異話§芹乃栄~七十二候~小寒 [七十二候]
小寒の初候“芹乃栄(せりすなわちさかう)”である。
小寒の初候……いよいよ寒さのピークが近づいてきつつあり、家の内外を問わず防寒に余念のない日々となる。
太平洋側、我が家は多摩丘陵の上に建っているから、晴れの日には真っ白に冠雪した富士山をくっきりと見ることができる。それが唯一の売りだと言えよう。
そして関東平野は晴れ続き。言わずもがなながら日本海側は降雪の日々で、今冬も交通の往来に差し支えるようなドカ雪に見舞われてしまった……本州の“背骨”の北と南でかくも天気の様子が違うことになるとは。何とも地形の妙としか思えない。
我が家のあたりにも、たまにだが20cmくらいの積雪があったりするが、今年はどうだろうか。
《七十二候のトピックス一覧》
小寒の初候……いよいよ寒さのピークが近づいてきつつあり、家の内外を問わず防寒に余念のない日々となる。
太平洋側、我が家は多摩丘陵の上に建っているから、晴れの日には真っ白に冠雪した富士山をくっきりと見ることができる。それが唯一の売りだと言えよう。
そして関東平野は晴れ続き。言わずもがなながら日本海側は降雪の日々で、今冬も交通の往来に差し支えるようなドカ雪に見舞われてしまった……本州の“背骨”の北と南でかくも天気の様子が違うことになるとは。何とも地形の妙としか思えない。
我が家のあたりにも、たまにだが20cmくらいの積雪があったりするが、今年はどうだろうか。
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嗜話§クラシックの大好物~管弦楽曲編~ [クラシック]
[承前]
管弦楽曲となると途端に範囲が広くなる。バロック期から20世紀までなので音楽のバリエーションが豊富になってくれるのだ。というわけで数曲ほど。
バッハ:ブランデンブルク協奏曲
ベートーヴェン:序曲『レオノーレ』3番
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』
ストラヴィンスキー:春の祭典
バッハからストラヴィンスキーという選曲になった。この中で一番の大好物といえばもちろん春の祭典である。初めて実演を聴いたのは1976年頃、N響定期のことで、それ以前から特に深い理由などもなく、複雑怪奇な音楽に惹かれ続けてきた。半世紀ほど前には日本のプロオーケストラにとっても難曲だったのだが、初演から百年を過ぎた今や、アマチュアのオーケストラでも演奏できちゃうくらいにまでなっている。
そんな春の祭典と同じくらい大好物なのが牧神の午後への前奏曲で、まさに好対照の音楽ではないか。朦朧として蕩けそうな音楽に、交響曲とはまったく違う世界を感じ取った。
そして、尾瀬を歩いている時、自然に頭の中で冒頭のフルート独奏が聴こえてきたのだ。尾瀬ヶ原の夏の午後は、まさに牧神の午後のそれでしかなく、拠水林越しの風景を見ながら自分自身が牧神になったような錯覚に陥ってしまうのである。
そうしてリヒャルト・シュトラウスの交響詩だが、冒頭の弦楽器の上昇走句があまりにも颯爽としていて聴き惚れてしまう。そこまではいいのだが、リヒャルトという人は気まぐれなのかどうか、どの交響詩を聴いても中間部が印象に残らず、それこそ『ツァラトゥストラかく語りき』の冒頭がそうであるように、その後の音楽は何も覚えていないのだ。
[続く]
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管弦楽曲となると途端に範囲が広くなる。バロック期から20世紀までなので音楽のバリエーションが豊富になってくれるのだ。というわけで数曲ほど。
バッハ:ブランデンブルク協奏曲
ベートーヴェン:序曲『レオノーレ』3番
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
リヒャルト・シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』
ストラヴィンスキー:春の祭典
バッハからストラヴィンスキーという選曲になった。この中で一番の大好物といえばもちろん春の祭典である。初めて実演を聴いたのは1976年頃、N響定期のことで、それ以前から特に深い理由などもなく、複雑怪奇な音楽に惹かれ続けてきた。半世紀ほど前には日本のプロオーケストラにとっても難曲だったのだが、初演から百年を過ぎた今や、アマチュアのオーケストラでも演奏できちゃうくらいにまでなっている。
そんな春の祭典と同じくらい大好物なのが牧神の午後への前奏曲で、まさに好対照の音楽ではないか。朦朧として蕩けそうな音楽に、交響曲とはまったく違う世界を感じ取った。
そして、尾瀬を歩いている時、自然に頭の中で冒頭のフルート独奏が聴こえてきたのだ。尾瀬ヶ原の夏の午後は、まさに牧神の午後のそれでしかなく、拠水林越しの風景を見ながら自分自身が牧神になったような錯覚に陥ってしまうのである。
そうしてリヒャルト・シュトラウスの交響詩だが、冒頭の弦楽器の上昇走句があまりにも颯爽としていて聴き惚れてしまう。そこまではいいのだが、リヒャルトという人は気まぐれなのかどうか、どの交響詩を聴いても中間部が印象に残らず、それこそ『ツァラトゥストラかく語りき』の冒頭がそうであるように、その後の音楽は何も覚えていないのだ。
[続く]
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