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節話§一日一句~将来の不安~ [俳句]

季語は・・・隙間風

行く末の 見えぬ下宿の 隙間風

【去年の今日】麥話§ビール~缶でも、瓶でも、生でも~
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悼話§中村吉右衛門さん(大播磨) [歌舞伎]

訃報を聞いた時は声も出なかった。

最後に吉右衛門の舞台に接したのは、今年1月の初春大歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』一力茶屋の大星由良之助。この頃、既に本調子ではなかったようで、声に張りがなく、動作もどこかきっぱりとしていないと見受けられたのだ。

3月『楼門五三桐』は行かなかったが、千秋楽に病気休演、5月大歌舞伎の『八陣守護城』は観ることにしていたが、初日から全休演で観ることができずだったのである。

吉右衛門の舞台を観た最初は歌舞伎ではなく、1973年か74年に渋谷公会堂で行われた『題名のない音楽会』の公開録画収録のことで、番組の前半は覚えていないが、最後に『ワルキューレ』3幕の終わり、ブリュンヒルデとの別れのくだりを羽織袴姿で語って、赤い照明の中を舞台から去っていくというもの。30歳になるかならないかの頃ではなかったかという記憶で、吉右衛門もワーグナーも何も知らない時期のことで“観た”だけという記憶でしかない。

2001年から本格的に歌舞伎を観始めて、立役では一番に吉右衛門、それから仁左衛門が甲乙つけがたく、とりわけ彼ら二人が出演する時は、できる限りチケットを買って出かけているのだ。

そんな吉右衛門の“三絶”を選べと言われたら、悩みに悩むことになるが、まずは『熊谷陣屋』の熊谷次郎直実、そして『梶原平三誉石切』の梶原平三景時、三つ目に『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助だろうか。

↓由良之助の舞台写真。実父先代白鸚そっくり
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もちろんそれ以外に、寺子屋の松王丸、御存鈴ヶ森の幡随院長兵衛……まだまだあって、全部を書くことは不可能だが、吉右衛門の柄の大きい舞台姿、口跡のきっぱりしたところ、そして愛敬も兼ね備えて、それが舞台を華やかにしてくれていた。

歌舞伎公演で売られている舞台写真だが、あまり買うことはなく、珍しくも買ったのが、歌舞伎座新開場杮葺落吉例顔見世大歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』の大星由良之助。写真を見ていると、実父の先代白鸚(八代目松本幸四郎)にそっくりになってきたと思ったのである。享年七十七……大播磨!

合掌

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弦話§フォークソング半世紀 [フォークソング]

グループサウンズが一段落して、フォークブームが始まったのは1970年……高校1年の頃だった。もちろん60年代には岡林信康、高石友也といった面々の活躍が勃興期で、1970年には一気に盛り上がりを見せたのだ。

生意気盛りの高校生だったがゆえに、アコースティックギターを手に入れ、1969年に創刊された音楽雑誌“ガッツ”に掲載された楽譜を見ながらギターコードを覚え、ご機嫌に歌うようになった。

ギターが少し上達すると、ただ単にかき鳴らすだけでなく、サイモンとガーファンクルや吉田拓郎あたりが弾くギターのコピーしようと試みた。いくつかは何とか形になったが、まるで手の出ないようなギター伴奏もあって、プロのテックニックに脱帽したのである。

高校の同級生の何人かは、仲間とかたらってグループを結成し、いくつかのグループと合同でホールを借りてフォークコンサートを催したりもしたが、さすがにそこまでギターがうまくなることはなかった。

その後、東京に出て行くのにギターを持っては行けず、そうこうしているうち、70年代後半になるとフォークソングに代わって“ニューミュージック”が台頭してきて、自分の中のフォークソングも終わったのである。

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