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節話§一日一句~人生黄昏近く~ [俳句]

季語は・・・冬夕焼(ゆやけ)

後はまあ 余生おまけか 冬夕焼

【去年の今日】愉話§呑藝春秋[72]泡の酒が好き
タグ:俳句 冬夕焼
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時話§閉塞成冬~七十二候~大雪 [七十二候]

大雪の初候“閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)”である。

年末12月に雪が降ることはほとんどない。東京だったら、降ってもちらつく程度で、積もるまではいかない。

一度だけ年末年始に、いやっというほど雪のあるところで過ごしたことがある。母親が生まれた山形北部の真室川に住む親類の家に10日ほど泊まらせてもらったのだが、その雪の量が半端なかった。

優に自分の背丈ぐらいは積もっていたし、そのおかげで鉄道の遅延は日常化していた。年明けて帰る時の国鉄の列車は、あちこちで停まっては除雪されるのを待っていたという記憶があって、おかげで自宅に帰ったのは予定より数時間遅れたのではなかったか。

そんな積雪だったらしかたないが、首都圏で5センチも積もろうものなら、あっというまに鉄道網が麻痺して利用客があたふたする光景も珍しくない。

《七十二候のトピックス一覧》
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稼話§尾瀬の山小屋で働いたこと [尾瀬]

大学時代に尾瀬の山小屋でアルバイトしたことは何回か書いている。尾瀬ヶ原で2年、尾瀬沼で2年。夏休みに50日ほどと、水芭蕉や草紅葉の週末には上野から金曜の夜行で出かけて、土曜の午後から日曜の午前中まで手伝いをして下りたのだった。多い年で70日は尾瀬に入っていたかもしれない。

で、どんな仕事をしていたか朝から書いてみると……5時には起き出して、6時に始まる朝食のサポートからスタート。7時頃からは宿泊客が出て行くので、使った部屋の布団を畳み直して掃除。一通り終えるまでに2時間くらいはかかってしまう。最後に出たゴミをまとめて処理場に持って行く。

↓尾瀬で最古の長蔵小屋
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一段落した10時にお茶、12時に昼食を食べた後は状況によっては2時間近く昼休みをもらえるので、カメラ片手に散策することもできた。

↓下田代十字路の山小屋群
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14時を過ぎると、次々に登山客がやって来るので、当時は部屋に案内しつつお茶を出していたが、最近は談話室などに用意されているようだ。そこから夕食までは、お客さんの相手がもっぱらだったと記憶している。明日の天気がどうなのか、大事なのは翌日の歩程のアドバイスなどをしていたのだ。

↓尾瀬ヶ原に面した尾瀬小屋
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17時半から夕食を出して、当時の消灯は20時。時間を過ぎても賑やかな部屋を注意しに回ったりしているうち、ようやく我々も部屋に戻って寝ることができたのである。

↓龍宮小屋は中田代に建つ一軒宿
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そんな小屋の仕事に加えるなら夏場に一回、各小屋から人を出して登山道に伸びた笹を半日かけて刈ったこともあったし、米が足りなくなって、鳩待峠まで行って30kgの米袋を歩荷(ボッカ)したこともあったが、山ノ鼻までは下ることができたけれど、上田代と中田代の間で完全にヘバって、ヘロヘロで下田代十字路の小屋に戻ってきたこともあった。

47年前の日給は2000円。夏休み50日働いた10万円を懐に、ホクホク顔で東京に戻っていったのである。

《尾瀬のトピックス一覧》
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