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顧話§今日の歴史~電子マネー事始め~ [鉄道]

2001年11月18日、JR東日本がSuicaのサービス開始。

非接触型IC乗車カードを使いだしたのがいつ頃だったか忘れてしまったが、たぶんSuicaのサービス開始から数年後くらいではなかっただろうか。

それまで定期券は、裏が磁性体の定期カードを改札口の機械に通していた。しばらく様子見をしていたところで、IC乗車カードに定期券を組み込むことにした。

これが自分にとって最初となる“電子マネー”のカードで、その後もう一枚だけ使い出したのはスーパーマーケットの電子マネーカード。これもまた、現金を出しての支払いよりも、圧倒的に決済がスピードアップして、レジがスムーズに流れる一助になっているのではと思う。そうして見ていると、現金で支払いしている人がもどかしく見えてしまうのだ。

相変わらず現金信仰が続く日本、自分自身も現金信仰に寄っているような気がしないでもないが、この先に普及が進むのは言うまでもなく間違いない。ちなみに、今使っているのはSuicaではなくPASMOのほうである。

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秋話§九月も半ばと~シルバーシート~ [鉄道]

9月も半ば……残暑は相変わらずである。

かつては“敬老の日”だったが、三連休を目論んでの第三月曜日に変わって敬老感が薄まってしまった。まあ、元々意義ある祝日とは言えなかったが。

ところで、年齢的には十分にシルバーシートに座る“権利”はあると思っているが、これまで一度も座ったことはない。別に何も若ぶっているなどというわけでもないが、自分たちより必要としている人はいるだろうからと考えてのことである。

そんな高齢者が考えていることをあっさりと覆して、何の考えもなく、シルバーシートに座る若い人間がいて、彼らにとってはすべて座ってもかまわないシートということなのだろう。

もしくはシルバーシートなるものの存在意義すら理解していないのではないかと思われる。要するに何も考えてはいないのだ。

いずれ、一般シートに座れず、体調が悪かったりしてシルバーシートに座ろうとしたら、既に先客がいるところを、どうやって席を譲ってもらおうか、何というか、実に頭の痛いことではある。

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顧話§今日の歴史~かつては銅鉱を運搬~ [鉄道]

1989年3月29日、JR足尾線がわたらせ渓谷鐵道に転換。

生まれ育った町を起点に、足尾銅山があった栃木県間藤との間を往復していたのが国鉄時代の足尾線だった。

国鉄からJRに経営が変わって2年ほどで、第三セクター鉄道として再出発を始め、トロッコ列車を導入したり経営努力に努めているようだが、どれほど効果が出ているものか。

かつての足尾線時代でも何人かの同級生が通学に利用していて、中には足尾町を6時過ぎに乗り込み、一時間以上をかけて通っていた猛者もいたのだ。

渡良瀬川が穿った狭い渓谷沿いに線路を走らせている足尾線は、時に大雨による土砂崩れが起きて不通になることもあって難儀したこともあった。

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タグ:鉄道 歴史 群馬
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顧話§今日の歴史~山手線は緑色~ [鉄道]

1963年12月28日、旧国鉄通勤型電車の主力だった、103系デビュー。

東京に出てきたのは1973年、その頃は既に、山手線の緑、中央線快速のオレンジ、中央・総武緩行線の黄、京浜東北線の青と、103系の同型電車の色分けが進んでいた。

それだけ運行が頻繁で、だから地方からぽっと出てきた人間でも、どれに乗ればいいのか、迷わなくて済むようになっていたのだ。

その後、103系から205系を経て、現在はE231系に統一されている。ただし、車体全身が同じ色ではなく、それぞれの路線の“シンボルカラー”的位置付けのようになったのは、すっきりしていることは否定できないけれど、少しばかり物足りなくもある。

東京生活が長くなっているから、新宿駅にいても、迷いはしなくなってはいるが、東京に出てきたばかりの人たちが、あの程度の色分けで迷わずに済んでいるものか……まあ今時は、スマホがあったりするから、心配する必要もなさそうかな。

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乗話§回数券受難の日々 [鉄道]

この半年、外出頻度が激減したことで、重宝していた鉄道の回数券の使用も激減した。

普通回数券であれば、10枚の値段で11枚買える。スイカやパスモを使うより安いから、年金生活者にとってはありがたかったのである。

それが……3か月前に買った京王線の新宿行き回数券は期限ぎりぎりで11枚使い切れたが、同じタイミングで買った東京メトロの回数券は、7枚残ってしまい、地下鉄の改札口の係員に払い戻してもらった。数百円戻ってきたのは、まあまあありがたいと思うしかない。

コロナウイルス流行以前であったら、一か月程度で11枚を使いきってしまえたのにと、今の状況を恨めしく思う。

定期券で過ごしていた宮仕え時代は、そんなことを考えもしなかったが、今の境遇を考えれば天国ではなかっただろうか。

幸いなことに、会社OB会の事務仕事に出ると往復の交通費は出してくれるので、その日に他の用事も合わせて済ませ、さらに神保町呑みまで組み込む……何とも麗しいスケジュールで神保町を存分に堪能してしまうのである。

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徹話§夜行列車に乗って~大垣編~ [鉄道]

昨日の尾瀬号話から引き続いいての夜行列車話である。

貧乏大学生時代に、東京駅発大垣行の夜行列車に乗って2回京都に行った。発時刻はその時々で変わっているが、自分の頃は確か23時35分だったような記憶である。

平日に乗車すると、残業したサラリーマンが大量に乗り込んできて、かなりごった返すが、川崎、横浜、藤沢と進むにつれてどんどん降りていって、神奈川県を抜ければ貧乏旅行者専用列車となってしまうのだ。

神奈川県内までは各駅停車だったのが、小田原を過ぎると、熱海や三島、沼津、富士、静岡と快速仕様に変わるが、それも浜松あたりからは各駅停車で走っていくのだった。

岐阜県は大垣に到着するのは確か7時12分。数分後には西明石行きの各駅停車に接続して、京都着が9時過ぎである。

だが、2回乗ったうちの最初の大垣行きは20分くらい遅れてしまって、接続できず、一時間ほど遅れて京都に到着したのだった。

それにしても、当時は青春18きっぷなんてものもなく、普通運賃で往復するには、こうした列車を利用するしかなかった。おまけに、電車の座席で寝るなどということがまるでできず、起きたまま夜明かしして京都に着いて歩き回るという……今だったら想像もできないタフさだったのである。ちなみに西明石行き各停に接続できて、京都駅に着いたその足で向かったのは、三条堺町のイノダコーヒ本店である。

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