SSブログ

顧話§今日の歴史~半世紀が過ぎても~ [歴史]

1970年11月25日、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺。

毎年この日になると、三島の割腹自殺について書いているような気がする。去年が丸50年で、半世紀が過ぎていた。

事件が起きた当時は高校1年、まだ三島の作品は一冊も読んではおらず、ただ“盾の会”なる奇妙なグループを組織していたことを知っていた程度だ。

長じて数冊ほどは読んだが、乏しい頭ゆえに、何冊読んでも動機などわかろうはずはなく、謎は謎のままに半世紀……そして三島が没した年齢をとっくに超えてしまっていた。

そうしておそらく我が身が消滅するまで、11月25日が近づくたびに三島への思いを馳せ続けることだろう。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~こんにゃく糊で~ [歴史]

1944年11月3日、日本陸軍が風船爆弾によるアメリカ本土攻撃開始。

風船の材料は和紙で、それをこんにゃく糊で貼り合わせ、太平洋を越えてアメリカ本土を攻撃しようという、思えば荒唐無稽な作戦でしかなかった。

実際、9000個の風船を飛ばしてアメリカの陸地にたどり着いたのは1000個。そのうち実害となったのは数個にも満たなかったのである。やらないよりもましとかいうレベルですらない。

真珠湾で先制攻撃を成功させたものの、次第次第にジリ貧になっていったのは無理からぬことで、どう考えても無理無茶無謀な戦いだったことは明らかだったのだ。

戦争に必要な中に、物量とその供給があるが、その二点に関して日本は。まるでダメとしか言いようがなかった。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~享年六十一~ [歴史]

1979年10月26日、朴正煕が暗殺される。

これに先立つ5年前の1974年8月にも暗殺未遂事件があり、この時は朴正煕夫人の陸英修が殺害され、朴正煕は難を逃れていた。

朴は1961年に軍事クーデターを起こして実権を握り“漢江の奇跡”と呼ばれる経済成長を推進していったが、その一方で苛烈な言論弾圧を続けていき、そうした中には、東京のホテルグランドパレスから金大中を拉致するなど、政敵を遠ざけるためには他国の主権侵害も厭わないというなりふり構わずの行動をしていたのである。

ゆえに当然ながら彼をつけ狙う人間は後を絶たず、かくして朴正煕の命運はこの時に尽きるのだ。

享年六十一だったとは……彼が軍事クーデターを起こしたのは43歳の時なのだった。

《歴史のトピックス一覧》
タグ:歴史 韓国 人権
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~大統領から大富豪~ [歴史]

1968年10月20日、ジャクリーン・ケネディが海運王オナシスと再婚。

アメリカ大統領ジョン・F・ケネディがテキサス州ダラスで凶弾に倒れたのが1963年11月。それから5年足らずでギリシャの海運王オナシスと再婚した時にはさすがに驚いた。

あまつさえ、浮名を流しまくっていたオナシスは、その当時ソプラノ歌手のマリア・カラスと結婚するのではと噂されていたが、オナシスが選んだのは悲劇の未亡人ジャクリーンだったのである。

そんな経緯を眺めながら不思議な世界があるものだと……それは今になっても理解できないままなのだ。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

週話§土曜粛々~今日は・・・・・・~ [歴史]

1793年の今日、フランス革命の結果、ルイ16世妃マリー・アントワネットが断頭台の露と消えた。その2年前には「お嫁さんにしてあげる」と、彼女に向かって言い放ったモーツァルトが36歳にならず亡くなっている。

さらに20年後、1813年のこの日、ナポレオンが“ライプツィヒの戦い”を始めている。そのライプツィヒで5月に生まれたのがリヒャルト・ワーグナーで、騒然とした世間を前にどのような乳児生活を送っていたのだろうか。

そうして1985年の日本では、阪神タイガースが21年ぶりにセリーグ優勝を成し遂げたという……そんな10月16日なのだ。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~なぜだ!~ [歴史]

1982年9月22日、三越取締役会議で岡田茂代表取締役社長を解任。

10年にわたって三越に君臨を続けた岡田茂がこの日、社長を解任された。愛人に入れ揚げたり、会社の金を私的流用したり……極めつけといえるものは1979年に三越日本橋本店で開催された『古代ペルシア秘宝展』の出展物の大半が贋作だったということである。

ここに来て岡田茂を解任すべく謀議が行われ、1982年のこの日の取締役会で解任動議が可決され、岡田は三越を追われることになった。その場で岡田が発したのが「なぜだ!」という一言で、後に流行語となったのだった。

岡田支配は終わったが、ほぼ同時に百貨店冬の時代が到来。三越も例外ではなく、およそ30年後の2011年には伊勢丹と合併し、三越伊勢丹ホールディングスと変貌したのだ。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~ビロード離婚~ [歴史]

1992年8月26日、チェコスロバキアの連邦解体。

チェコスロバキアがチェコとスロバキアの連邦国であると知ったのがいつのことだったか、記憶がない。けっこう長いこと“チェコスロバキア”という一つの単語で、一つの国だと思い込んでいたのだ。

それが、1989年のベルリンの壁崩壊に始まる東欧ドミノの連鎖の中で、一つの連邦国家だったチェコスロバキアがチェコとスロバキアへと別れることになったのである。

1918年にチェコスロバキアとして発足したが、その経緯は何度読んでもよくわからない。

連邦国の解消を提案したのは農業国でどちらかといえば貧しいスロバキア側からであったのは意外なことで、経済的に豊かであった工業国のチェコでなかったのもまた不思議だと感じたが、単純な意味で隷属を潔しとしなかったということだったのだろうか。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~敗戦処理~ [歴史]

1945年8月17日、鈴木貫太郎が内閣総理大臣を辞任。

中学生の頃『日本のいちばん長い日』という映画を観ている。第二次世界大戦も大詰めの1945年8月14日から、翌日正午の玉音放送が流れるまでを描いた作品だった。

終戦直前の混乱しきった政府、軍部のせめぎ合いの中にいた首相が鈴木貫太郎で、その年の4月に総理大臣就任してから百日余りの在任期間ということになる。

ポツダム宣言を受諾し、敗戦の玉音放送までで自分の仕事を終えたと考えたのかどうか、終戦の翌々日に辞任という形をとったが、まだまだ混乱期が続いている状態で、あっという間の辞任はどうだったのだろうか。

なお、映画で鈴木貫太郎を演じたのは笠智衆だった。

《歴史のトピックス一覧》
タグ:歴史 戦争 日本
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~何もかも吹っ飛んで~ [歴史]

2020年8月5日、ベイルート港爆発事故。

8月5日は日本時間で、現地ベイルートで大爆発が発生したのは8月4日の
夕刻、ちょうど一年前の出来事である。ベイルートとの時差は6時間。



驚くべき大爆発だったことは、複数の人間が“たまたま”撮影していた動画
が、多くのニュースで紹介され、我々も目のあたりにすることになったのは
スマホで手軽に撮影できるがゆえのことであろう。

中には“衝撃波”らしきものまでが映っている映像もあって、後々の事故検
証の貴重な資料になったのは間違いない。

なお、非核による爆発としては史上6番目の規模だった。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~光秀と信長~ [歴史]

1582年6月21日、本能寺の変。

“たられば”が禁物であることを承知で、もしも織田信長が本能寺において明智光秀に討たれることがなかったら、彼は天下を平定できただろうかと考えてみる。

そして、天下を取ることはできたかもしれないが、敵を作りやすいタイプであるのは間違いなく、そうした中で足を引っ張られてしまったような気はしないでもない。

強圧的に支配するならば、しっぺ返しも大きいものがあると承知する必要はあるだろう。

どこかの国の首相のように、官僚を一喝して自分の考えを通すようなことを続けていては、人望がなくなるのも当然のことで。まずもって他者の言葉に耳を傾ける度量は必須であるのは言うまでもない。

《歴史のトピックス一覧》
タグ:歴史 日本 政治
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~明治維新へ~ [歴史]

1858年6月4日、井伊直弼が江戸幕府大老に就任。

そもそもは“鎖国”論者であったらしい井伊直弼が、勅許を得ることなく、アメリカと日米修好通商条約を結んだことで、歴史の針は大きく進むことになった。

その後、安政の大獄で粛清を図ったことで、攘夷論者の怒りを一身に受け、後に“桜田門外の変”で凶刃に斃れることになるのである。

2世紀半続いた徳川体制から大きな変革の舵取りの判断を迫られ、結果的にこのような形の結論を導いたことで己が身をなき者としてしまったのだが、では、どのような判断がベターorベストであったのか、いかなる結論であろうが、直弼の身辺は危ういものとなったのは間違いない。

いずれにせよ、どのような形であれ諸外国に国の門戸を開くことは避けようがなかっただろう。

直弼にとっては、とんだ貧乏くじを引かされたとか思っているのだろうか。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~19世紀の消滅~ [歴史]

2018年4月21日、1900年に生まれた最後の日本人女性が死去。

人間の寿命は次第に伸びていって、120歳くらいまで生きるようになった。

19世紀の終わり、1900年に生まれた日本人女性も軽々と100歳を超え、117歳まで生きて没したのだ。

そうして考えることは、明治が終わったのは1912年7月30日のことで、まだまだ明治生まれの人たちは存命なのだ。現時点では、おおよそ2600人ほどが100歳を超え、矍鑠として明治、大正、昭和、平成、令和を生きている。

昭和も戦後生まれの我が身であるが、この目で明治生まれの人がいなくなるのを眼にすることがあるかどうか……最近は自信がなくなってきてしまった。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~都の西北若き血に~ [歴史]

1920年2月5日、慶應義塾大学と早稲田大学を初の私立大学認可。

この日、早慶両大学が大学令により旧制大学として発足した。それまでは、専門学校的な位置付けだったかと思われるが、明治から大正期の制度がどうなっていたものか、ざっと眺めてみたが、この場で書いて説明するのは難しいので省略。

かくして私学の雄と呼びならわされている早稲田と慶應が大学としての道を歩み始めたのは1920年(大正9年)のことだった。

余計なことながら、我が出身大学が大学に昇格したのは、2年遅れの1922年のことである。

日本の大学としての起源は明治維新頃に発祥しているわけだが、正式な大学という位置付けが為されて、まだ100年しか経っていないことを知った。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~326億6000万光年??~ [歴史]

2011年1月26日、最も遠い天体であるUDFj-39546284が発見されたと公表。

炉(ろ)座は、東京からはかなり低い位置にあるあまり目立たない星座だが、明るい恒星がないということで遠いところに存在する星の探査に適しているということのようだ。

2011年、地球から326億6000万光年にあるUDFj-39546284が発見された。人類にとっては1光年という距離すら行き来不可能なのに、何百億光年だなどと想像の遥か彼方の存在である。

第一、このUDFj何ちゃらが今現在も存在しているものか……それが地球上で判明するのは326億6000万年という未来を待たなくてはならない。

それにしても、そんな超遠方から届く光で、天文学者にはどれほどの情報がもたらされるものか。いずれにしてもネットの片隅で見つけた最遠の星について、とりあえず書き留めておこうとは、ほんの気まぐれに思ったことだ。

《歴史のトピックス一覧》
タグ:歴史 宇宙
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

顧話§今日の歴史~バスは走る~ [歴史]

1924年1月18日、東京市で市営バス運行開始。

日本で路線バスが走り出したのは昭和に入ってからとばかり思っていたら、大正の終わりには東京の町を走り始めていたとは知らなかった。

東京都民となって半世紀近くになるが、都営バスを利用したことは少ない。比較的頻繁に利用したのでよく覚えているのは、渋谷駅からアークヒルズを通る都営バスで、サントリーホールに行くために乗ったのだが、1997年には銀座線の溜池山王駅ができたので、それ以来乗らなくなってしまったのだ。

そして、記憶をたどってみるのだが、サントリーホールに行くため以外には都営バスに乗ったことがない。要するに路線の状況が把握できず、山手線内であれば、地下鉄に乗れば事足りるので、わざわざ乗ろうとはしなかった。

たぶんおそらく、他の路線を利用したのは10回もなさそうである。

《歴史のトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog