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顧話§今日の歴史~空手チョップ~ [歴史]

1963年12月15日、力道山死去。

1950年代から60年代のスポーツ・ヒーローといえば、プロ野球は長嶋茂雄、大相撲なら若乃花&栃錦、そしてプロレスだったら力道山である。

若い頃の父親は血の気が多かったのかどうか、格闘技を見るのが好きだったようで、金曜夜20時から放送されていたプロレス中継は欠かさず見ていた。

その時の主役は言うまでもなく力道山で、外国人レスラーをヒールに仕立てて、反則の限りを尽くして力道山を苦しめるが、クライマックスが近づくと一転、力道山の華麗な反撃が始まり“空手チョップ”の連打で相手をマットに沈めるのだ。

まあ、そんな他愛のないプロレスの一大ヒーローであった力道山だが、日頃の行状は紳士とは言えず、あちこちでトラブルを起こしていたのだった。

力道山が赤坂のナイトクラブで暴力団の構成員に刺されたのは、一週間前の12月8日のことで、手術もうまくいっていたのが、病室でかなりな無茶ぶりをしたことが祟ったらしく、この日あえなく死去したのである。享年三十九

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顧話§今日の歴史~七年後に時効成立~ [歴史]

1968年12月10日、府中で三億円強奪事件発生。

府中刑務所北側の学園通りで、日本信託銀行の現金輸送車が強奪され、運んでいた約3億円(2億9430万7500円)が跡形もなく消え去ってしまった。

その当時、中学2年だったが騒ぎの様子は鮮明に記憶に残っている。テレビでは“3億円あったら……”みたいな企画が林立して、何だかなあと思いはしたが、そんな自分も似たようなことを想像していたのだ。

当時の定期預金程度でも利率5%で運用されていたから、利息だけで悠々と暮らせるようなとんでもない金額だったのである。

そうして、警視庁が公開した犯人のモンタージュ写真のおかげで、府中市周辺に居住する同じような年齢の男性たちが、容疑者扱いされたり、任意の聴取を受けたりして、その人数はかなりなものだったと聞く。

ちなみに強奪された3億円は、府中刑務所から府中街道を挟んだ向かいの、東芝府中工場の従業員に支給するボーナスなのだった。

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顧話§今日の歴史~三多摩南北交通~ [歴史]

1998年11月27日、多摩都市モノレール立川北駅〜上北台駅間開業。

三多摩に住んでいて、南北鉄道インフラの貧弱さは身をもって感じている。

東西の鉄道は充実しているのに、南北については……南武線、横浜線、はいおしまい!なのだ。

八王子や立川に住んでいるのであれば、さほどの不便を感じないかもしれないが、これが東久留米あたりに住んでいて、調布に行こうと考えたら、これがけっこうな旅程になってしまうだろう。ならば車でと思っても、三多摩の道路は、ほとんど片側1車線だから、渋滞と紙一重を覚悟せねばならない。

これでは地域間の積極的な交流もままならず、地域地域で孤立するばかりである。

そう考えたのかどうかはわからないが、20世紀の終わり頃、ようやく南北交通の不便さを解消しようと重い腰が上がって、多摩都市モノレールが部分ではあるが開通した。その後、多摩センターまで延伸したのは2000年1月のことだった。

この先さらに多摩センターから町田に、上北台から箱根ヶ崎へと延伸が計画されているが、我が眼の黒いうちに開通へと漕ぎつけるものか。ちなみに、箱根ヶ崎まで延伸することで、多摩地域市部で唯一鉄道が通っていない武蔵村山市にも一筋の光が射しこむということだが。

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顧話§今日の歴史~大は小を兼ねず~ [歴史]

2006年11月19日、エアバスA380がテスト飛行で日本に初飛来。

2005年に就航を始めたエアバスA380が風前の灯火である。このコロナ過禍の中で、大量輸送の意義が失われているようだ。2021年には、あえなく製造が終了となる。

そんなA380が日本に初めて飛んできたのが2006年のこと。だが、日本の航空会社はなかなか手を出すことはなかった。初めてエアバスの姿を拝んだのは2008年8月の成田空港。シンガポール航空で、第1号機を購入した航空会社である。

↓A380と初対面
DSC01669.JPG

さすがに巨大な機体だと思ったのは、乗客が搭乗するためのフィンガーが、上階と下階へと伸びていたことだ。ジャンボ旅客機よりもはるかに多い座席数のゆえだが、そんなA380に初めて乗ったのは2011年のことだった。

↓とにかく馬鹿でかい
DSC00013.JPG

搭乗前に間近で眺めてみれば、フィンガーは上階に1基、下階には2基設備されていて、まざまざと大きさを思い知り、搭乗して客室空間を見回せば、その広大なことよ。

こんなでかい飛行機が飛べるものか、離陸はいかにと身構えて動き出せば、最初はもっさりもっさり動き始め、少しずつスピードは増していっても、なかなか陸地から浮き上がらず、延々と滑走路を走ってようやく離陸したが、そのまま走り続けるのではと思うくらいだったのである。

A380に乗ったのは、2011年から2013年までの3回、フランクフルトから成田への帰国便で、その後はルフトハンザは羽田からの運行に変わり、A380に乗ることはなくなったが、さして惜しいとは思わずだった。それよりも、成田まで行かなくて済むほうがありがたかったのだ。

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顧話§今日の歴史~マイスタージンガー~ [歴史]

1494年11月5日、親方歌手ハンス・ザックス誕生。

言うまでもなく、ワーグナーが作曲した『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の主人公である。靴屋の親方(マイスター)にしてマイスタージンガーでもあった。

↓ウィキペディアより借用
Hans_Sachs.jpg

多感であっただろう二十代はじめの頃、遍歴の旅に出ていて、ビール純粋令が発布された1516年に遍歴を終えてニュルンベルクに戻った。翌1517年にはマルティン・ルターの宗教改革が起き、ザックスもまた改革に深く関わっていくことになる。

ちなみに『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の舞台設定は16世紀半ば頃で、ザックスは男やもめとなっているけれど、史実は1560年に最初の妻を失っているから、そのあたりは時系列が微妙か……その後、65歳で40歳近く歳若い女性と再婚を果たしたのだが。

ハンス・ザックスが亡くなったのは1576年1月、当時としては稀有な長命で享年八十一のことだった。

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顧話§今日の歴史~日中国交正常化~ [歴史]

1972年9月25日、田中角栄首相が中華人民共和国を訪問。

台湾が中華民国として国連に加盟していた時代、米中は着々と国交樹立への道筋を模索していた、それが1972年2月の電撃的なニクソン大統領の訪中である。

言うまでもなくアメリカ追随を“国是”とする日本が、アメリカに先んじてなどできようはずもないし、ニクソン訪中も“同盟国”日本に事前通告もなかったので、日本側が泡を食ったのも無理からぬところだろう。

というわけで、ニクソンから遅れること5か月で角さんが訪中……土産は、中国産パンダのカンカンとランランである。二頭が来日したのは、角さんの訪中から一か月後のことだった。

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顧話§今日の歴史~大相撲力士大麻問題~ [歴史]

2008年9月8日、露鵬と白露山の大麻吸引で、北の湖理事長辞任。

大相撲の露鵬と白露山が大麻を使用していて逮捕されたというニュースは、バイロイト音楽祭で滞在中のホテル近くのインターネットカフェで開けた日本の報道ページで知ったことである。ただし、日本語環境ではなかったので英語で読むしかなかったのだが。

この頃から徐々にインターネットのモバイル環境が構築されるようになっていったが、旅行するのにタブレットなどのモバイルツールを持ち歩くようになったのは2011年あたりからだった。

それ以前は、最終滞在地がミュンヘンのような都会であれば、世界中の新聞を扱う店が中央駅にあるので、赴いて一部数百円で買い求めていたのだが、ネットの御時勢に従って、辺鄙なアルプス山中であっても、リアルタイムで日本のニュースをそのまま見ることができるのだ。

これがいいことか悪いことかはわからないが、少なくとも帰国したところで旅行中に大きなニュースがあったことを知ってひっくり返るようなことはなくなった……まあ、それもまた旅行というものの一つの“あれ”だけれど。

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顧話§今日の歴史~ビロード離婚~ [歴史]

1992年8月26日、チェコスロバキアの連邦解体合意。

チェコスロバキアが、チェコとスロバキアの連邦だったとは、ずいぶん後になって知ったことである。

そのチェコスロバキアが1989年の東欧ドミノ革命の後、3年で連邦制を解消して、2つの国に分かれることになるとは、けっこうな驚きだった。

聞きかじりでは、チェコが工業国でスロバキアが農業中心の国で、国力についてはチェコのほうが上であるということだったが、そうした経済的な問題を排しても、一個の国としての存在を選択したのだ。

そして現在のスロバキアは工業立国としての道を歩んでいるのである。

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週話§土曜恬淡~ソ連のクーデター~ [歴史]

1991年だから29年前の今頃は、ミュンヘンからバイロイト音楽祭初詣に向かう頃合いだった。

ホテルの部屋でテレビを見ていると、ニュースが“ソ連で何かが起きたらしい”と報じているのはわかったが、詳細まではわからずじまいのまま、その日の午後にはバイロイト到着。

色々と報道をすり合わせると、どうやらクーデターが起きたようだったが、軟禁されていたゴルバチョフ大統領はこの日に解放され、後に大統領となるエリツィンが、クーデターは失敗したと勝利宣言を行ったのである。

かくして東欧圏の社会主義体制は終焉。世界も安定化へと進んでくれるかという期待は大きかったが、また別の要素に取って代わられ、相変わらず世界秩序は不安定であり続けているのだ。

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顧話§今日の歴史~アロハオエ~ [歴史]

1959年8月21日、ハワイ準州が州に昇格、50州に。

ハワイが準州から正式な州として昇格したのは、今から61年前のことで、それまでアメリカ国旗の左上の星の数は49個なのだった。独立当時の13州から50州になるまで200年近くを必要としたのだ。

ヨーロッパ――といってもドイツとオーストリアがメイン――と台湾に旅行したことはあるが、アメリカという国とは今だに無縁なままである。

たぶんおそらく、ハワイにすら行くこともないまま終わるのは間違いない。

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顧話§今日の歴史~東独崩壊はハンガリーから~ [歴史]

1989年8月19日、汎ヨーロッパ・ピクニック。

東欧がドミノ崩壊を起こしつつある時、辛うじて持ちこたえているように見えたのは、旧東ドイツだったが、それとて内情は相当に疲弊していたのだ。

日を追うごとに東独市民の出国圧力は強まっていき、とうとう東欧圏同胞のハンガリーが東独市民の西側出国に手を貸したのである。

ハンガリーの西部、オーストリア国境に近いショプロンという小さな町で行われたのが“汎ヨーロッパ・ピクニック”なのだった。かくして、8月中にハンガリー経由で西ドイツへと出国を果たした東独市民は3000人に及んだ。

かくして1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊したのだった。

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顧話§今日の歴史~男女関係なく~ [歴史]

1984年8月5日、ロサンゼルス・オリンピックで初の女子マラソン。

“女性にマラソンは無理だ”と何の根拠もなく、競技の開催に難色を示していたわけだが、ようやく1970年代に女子マラソンが認められ、それからほどない1984年のロサンゼルス・オリンピックで女子マラソンが正式競技として開催された。金メダルを獲得したのはアメリカのジョーン・ベノイト。

そして現在の世界最高記録は、2019年の2時間14分4秒。女性であっても、2時間20分を切らなくては勝負にならない時代になっているのである。

21世紀となり、この先、女性の可能性はまだまだ未知数と言えるだろう。

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顧話§今日の歴史~モスラーっや、モスラ!~ [歴史]

1961年7月30日、東宝の特撮映画『モスラ』が公開。

たぶん、初めて観た東宝の円谷特撮映画ではなかっただろうか。小学校1年の時である。

幼虫のモスラが、完成して3年しか経っていない東京タワーで糸を吐き出して繭を作り、ほどなく巨大な蛾として、インファント島から攫われていった“小美人”を取り戻すというストーリーだった。

その小美人を演じたのが、デビューして2年ほどのザ・ピーナッツである。そして印象的だったのが“モスラーっや、モスラ!”と歌うモスラの歌なのだ。

これを書くのに少しばかり調べていたら、原作を書いたのは3人の小説家、中村真一郎、福永武彦、堀田善衞という錚々たる顔触れと知り、何とまあと驚かされたのである。

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顧話§今日の歴史~直後にリーマンショック~ [歴史]

2008年7月23日、1ユーロ169.93円の最安値を記録。

自分自身にもかかわりがあったことなので記録がてらまとめておく。この年勤続30年を迎え、2週間の休暇をもらった。それに夏休みと有休を合わせて3週間超の旅に行ってきたのだが、出発が8月だったので、円安ユーロ高の影響を正面から被ってしまったのだ。

バイロイト音楽祭をメインの目的に日本を出発したのは8月15日のことで、その数日前にはユーロに両替をしていたわけだが、おそらくそのときの現金レートは170円を超えていたはずである……最近は125円台を推移しているから、いかに円安であったかがわかるというものだが、何ゆえに円安に振れていたのか記憶にない。

そして9月半ばにリーマンショックが襲ってきた。自分自身が、どれほどの影響を受けたのかはわからないが、9月半ば締めのクレジットカード決済のレートが160円から150円台まで円高に振れて、ちょっと安堵した記憶だが、この時点では、まだリーマンショックと直接の関係はないと思われる。

そしてその後、リーマンショックによる円高は、1ドル90円台までというすさまじいものだった。

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顧話§今日の歴史~小さな一歩~ [歴史]

1969年7月20日、アポロ11号が月面着陸。

大統領だったJ.F.ケネディが「1960年代中には人類を月に着陸させる」と公約した、そのぎりぎりでアポロ11号が月面着陸に成功した……それが1969年の今日のことで、去年2019年でちょうど50年となったのである。

大きなトラブルといえば、搭載していたコンピューターが着陸直前に容量をオーバーして機能しなくなってしまい、飛行士が手動で着陸したことだったが、今だったらiPad一台程度でも十分にコントロールできるようなレベルではなかろうか。

宇宙船が月に行ったという話題もまた“陰謀論”が流布されて「あれは……ハリウッドのスタジオで撮影されたんだぜ」という話が、まことしやかに語られたりもしたのだ。

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