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暇話§一日一句~他愛ない理由で~ [俳句]

季語は・・・数へ日

数へ日や 夫婦喧嘩の 隣家なり

【去年の今日】見話§就職面接~何が選考基準なのか~
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過話§麋角解~七十二候~冬至 [七十二候]

冬至の次候“麋角解(さわしかのつのおちる)”である。

冬至の次候で2022年は終わりである。

太陽暦では一年の終わりだが、二十四節気も七十二候も旧暦の初月に始まるので、立春がこれらの始まりになるのだ。

日本には、異なる一年の区切りが3つくらいはあるようで、太陽暦の一年、旧暦の一年、そして4月に始まる年度である。

そして我々は、特に混乱することなく、うまいこと使い分けているようだ。そんなこんなで、それが自分にとっての数十年にもなってしまっていた。

また一年、年は重なり、古希の声も近くなってきたのだ……。

《七十二候のトピックス一覧》
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真話§通し狂言の歌舞伎座上演 [歌舞伎]

コロナウイルス以前からそうだったが、歌舞伎座では通し狂言の上演が極めて少なくなってしまっている。

特に今は三部制で、一部あたり2本の見取り狂言仕立てで、たまに短縮版になった通し狂言が上演されるが、何がなし中途半端と感じなくもない。昼夜二部制だった時は『仮名手本忠臣蔵』や『菅原伝授手習鑑』の通し狂言が数年に一度くらいのインターバルで上演されて、何度か観ることはできた。

↓こうした通し狂言が観られるのはいつのことやら
通し狂言.jpg

見取り狂言仕立ては、興行制作する側にしてみれば、どれとどれを組み合わせて、役者を誰にしたらいいかを考えれば済んでしまうような気がするが、通し狂言になると、これはもう“チームワン”で取り組みをしなくてはならないのではないか。

付け加えるなら、通し狂言を行うことは歌舞伎役者及び歌舞伎界にとっても“芸の継承”という大きな意義があると思われる。

だが、それが昨今は通し狂言の機会が少なく、少なからぬ若手役者の中にはそうした大物を上演する経験のないままに来てしまっているようだ。

観る側にとっても通し狂言は、貴重ではあるが、なかなかに負担の重い観劇機会で、ただだからこそ役者をはじめとしたスタッフも観客も気合を入れて臨む、必要欠くべからざる興行なのである。

歌舞伎観劇歴も20年を超えたけれど、まだまだ未見の通し狂言が数多くあることを知っている。それらの中には上演する意義が見出せないものもあるだろうが、そのあたりを吟味して、通し上演の可能性を探ってもらいたい。

《歌舞伎のトピックス一覧》
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