顧話§今日の歴史~大統領から大富豪~ [歴史]
1968年10月20日、ジャクリーン・ケネディが海運王オナシスと再婚。
アメリカ大統領ジョン・F・ケネディがテキサス州ダラスで凶弾に倒れたのが1963年11月。それから5年足らずでギリシャの海運王オナシスと再婚した時にはさすがに驚いた。
あまつさえ、浮名を流しまくっていたオナシスは、その当時ソプラノ歌手のマリア・カラスと結婚するのではと噂されていたが、オナシスが選んだのは悲劇の未亡人ジャクリーンだったのである。
そんな経緯を眺めながら不思議な世界があるものだと……それは今になっても理解できないままなのだ。
《歴史のトピックス一覧》
アメリカ大統領ジョン・F・ケネディがテキサス州ダラスで凶弾に倒れたのが1963年11月。それから5年足らずでギリシャの海運王オナシスと再婚した時にはさすがに驚いた。
あまつさえ、浮名を流しまくっていたオナシスは、その当時ソプラノ歌手のマリア・カラスと結婚するのではと噂されていたが、オナシスが選んだのは悲劇の未亡人ジャクリーンだったのである。
そんな経緯を眺めながら不思議な世界があるものだと……それは今になっても理解できないままなのだ。
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住話§実家の未練 [私事]
18歳で実家に別れを告げた身にしてみれば、何歳になっても実家が実家がと拘り続ける人のことが理解できない。まあ、我が実家は昭和初期に建てられた思しき、見事なオンボロボロボロのしかも借家だから、拘る理由など見つかるはずもない。
これがもし、百坪の土地とそこそこの家がというのであれば、あるいは、話は別かもしれず、そのあたりが運命の分かれ道であったのかもしれない……などというはずなどはなく、そんな仮の問いに対する答えなどもないのだ。
要するに“実家”にまつわるあれやこれや、父親であったり、実家のある町であったり、そうした要素が合わせ技となって、距離を取るという選択をしたのだった。
まあ、町そのものに対しては、それほど忌避する理由はないが、50年近く前に、現役合格ならず一浪が決定し、東京で独り暮らしをスタートした最初の日の夜、一人快哉をあげたことは鮮明に覚えている。いかに“家”なるものが束縛としての存在であったか、そしてそこからの解放であったか、実家に未練を抱く人たちのことが今だに理解できないのはそういうことである。
《私事のトピックス一覧》
これがもし、百坪の土地とそこそこの家がというのであれば、あるいは、話は別かもしれず、そのあたりが運命の分かれ道であったのかもしれない……などというはずなどはなく、そんな仮の問いに対する答えなどもないのだ。
要するに“実家”にまつわるあれやこれや、父親であったり、実家のある町であったり、そうした要素が合わせ技となって、距離を取るという選択をしたのだった。
まあ、町そのものに対しては、それほど忌避する理由はないが、50年近く前に、現役合格ならず一浪が決定し、東京で独り暮らしをスタートした最初の日の夜、一人快哉をあげたことは鮮明に覚えている。いかに“家”なるものが束縛としての存在であったか、そしてそこからの解放であったか、実家に未練を抱く人たちのことが今だに理解できないのはそういうことである。
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