過話§備忘録的な何か~2020年4月7日付~ [備忘録]
3月23日……東京都心の桜が満開となった。去年の満開は3月27日、2013年は3月22日が満開日だったので、最速というわけではない。
この日の我が家周囲の桜は、木にもよるが、三分咲きだったり五分だったり七分咲きとまちまちで、満開は三月末の頃である。
3月24日……東京オリンピックが一年延期と決まった。優柔不断なIOCの動きに業を煮やした各国のスポーツ団体やアスリートたちから噴き上がった不満に抗し切れずの決断となった。
かくも世界規模のパンデミックが発生し、ウイルスに対抗するワクチン開発が進んでいない状況にあって、仮に日本一国が“我が国は大丈夫ですから”と開催を推進しようとしても、流行が収まらない多くの国にとっては、はいそうですねと、二つ返事で諾とするはずなどのない状態が続いているのだ。
元より、1980年代以降の商業化が進んだオリンピックに興味などなく、多くのアスリートや指折り数えて開催を待っていた人たちには申し訳ないが、状況次第で延期から中止に向かうことになってもしかたないと思うしかない。
1980年のモスクワオリンピックではボイコットで選手として参加できず、このたび2020年の東京オリンピックではIOC会長として延期を容認する立場になってしまったのが、柔道の山下泰裕である。
3月29日……いわゆる“南岸低気圧”が通過したことで、東京でも雪が降った。例によって豪雪地帯の我が家では、10cmほどの積雪となってしまったのだ。
写真は、満開となった桜の白雪包みの図である。15時頃には雪が止んだので道路の雪除けをした。雨から雪に変わったので重い湿雪だったが、30分ほどで終了。何とか歩けるようにできた。
3月31日……欧米の名だたる音楽祭の中でも、ザルツブルク音楽祭と双璧をなすバイロイト音楽祭が中止の声明を出した。
他の多くの著名どころ音楽祭の先陣を切った形になったが、この先追随する音楽祭が増えていくのは間違いのないところであろう。
《日常のトピックス一覧》
この日の我が家周囲の桜は、木にもよるが、三分咲きだったり五分だったり七分咲きとまちまちで、満開は三月末の頃である。
3月24日……東京オリンピックが一年延期と決まった。優柔不断なIOCの動きに業を煮やした各国のスポーツ団体やアスリートたちから噴き上がった不満に抗し切れずの決断となった。
かくも世界規模のパンデミックが発生し、ウイルスに対抗するワクチン開発が進んでいない状況にあって、仮に日本一国が“我が国は大丈夫ですから”と開催を推進しようとしても、流行が収まらない多くの国にとっては、はいそうですねと、二つ返事で諾とするはずなどのない状態が続いているのだ。
元より、1980年代以降の商業化が進んだオリンピックに興味などなく、多くのアスリートや指折り数えて開催を待っていた人たちには申し訳ないが、状況次第で延期から中止に向かうことになってもしかたないと思うしかない。
1980年のモスクワオリンピックではボイコットで選手として参加できず、このたび2020年の東京オリンピックではIOC会長として延期を容認する立場になってしまったのが、柔道の山下泰裕である。
3月29日……いわゆる“南岸低気圧”が通過したことで、東京でも雪が降った。例によって豪雪地帯の我が家では、10cmほどの積雪となってしまったのだ。
写真は、満開となった桜の白雪包みの図である。15時頃には雪が止んだので道路の雪除けをした。雨から雪に変わったので重い湿雪だったが、30分ほどで終了。何とか歩けるようにできた。
3月31日……欧米の名だたる音楽祭の中でも、ザルツブルク音楽祭と双璧をなすバイロイト音楽祭が中止の声明を出した。
他の多くの著名どころ音楽祭の先陣を切った形になったが、この先追随する音楽祭が増えていくのは間違いのないところであろう。
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壁話§喰える胃袋 [老化]
胃袋は鍛えれば、年齢を積み重ねてもそれなりに健啖を維持できるようだがそうしてこなかったこともあってか、年齢とともに食欲が淡泊になっていくような気がする。
若い頃……といっても三十代前半くらいまでだったのではと思うが、人並みに食欲はあったと思う。神保町で仕事をしていた当時、学生やサラリーマンの食欲を満たしてくれていた“いもや”に足繁く通っては、巨大なとんかつ定食を“がっつり”いただいていたのだった。
ところがそんな食欲が年とともに落ちていき、五十代に入った瞬間、いもやのとんかつと訣別したのだ。理由は簡単で、昼食に食べたとんかつが胃にもたれ、夕食が食べられなかったのである。
そんなわけで、五十代以降は徐々に食べる量が減っていったが、当然ながら基礎代謝も落ちてきているから妥当といえば妥当なのだけれど。
ドイツやオーストリアを旅して、ビールを呑むのは大きな楽しみなのだが、その時に注文する料理には常に悩まされる。一抱えもあるような大皿に巨大な肉塊がごろんと横たわっている様を見ると、それだけで負けそうになってしまう。だからこれなら食べられそうだという量の料理を常に頭に入れておかなくてはならない。
例えば、仔牛肉のカルパッチョやタルタル、あるいはソーセージサラダなどがそれにあたる。そしてごくたまにだが、ウィンナシュニッツェルを口にしてみるが、よほど空腹であるとか限られたコンディションの時である。
それに比べると彼の国の人たちは、幼少のみぎりから営々と胃袋が鍛えられ続けたことで、我々よりずうっと年長と思われる御仁が嬉々として巨大な皿に挑んでいるのを眼にして呆然とすることになるのだ。
《私事のトピックス一覧》
若い頃……といっても三十代前半くらいまでだったのではと思うが、人並みに食欲はあったと思う。神保町で仕事をしていた当時、学生やサラリーマンの食欲を満たしてくれていた“いもや”に足繁く通っては、巨大なとんかつ定食を“がっつり”いただいていたのだった。
ところがそんな食欲が年とともに落ちていき、五十代に入った瞬間、いもやのとんかつと訣別したのだ。理由は簡単で、昼食に食べたとんかつが胃にもたれ、夕食が食べられなかったのである。
そんなわけで、五十代以降は徐々に食べる量が減っていったが、当然ながら基礎代謝も落ちてきているから妥当といえば妥当なのだけれど。
ドイツやオーストリアを旅して、ビールを呑むのは大きな楽しみなのだが、その時に注文する料理には常に悩まされる。一抱えもあるような大皿に巨大な肉塊がごろんと横たわっている様を見ると、それだけで負けそうになってしまう。だからこれなら食べられそうだという量の料理を常に頭に入れておかなくてはならない。
例えば、仔牛肉のカルパッチョやタルタル、あるいはソーセージサラダなどがそれにあたる。そしてごくたまにだが、ウィンナシュニッツェルを口にしてみるが、よほど空腹であるとか限られたコンディションの時である。
それに比べると彼の国の人たちは、幼少のみぎりから営々と胃袋が鍛えられ続けたことで、我々よりずうっと年長と思われる御仁が嬉々として巨大な皿に挑んでいるのを眼にして呆然とすることになるのだ。
《私事のトピックス一覧》