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吟話§一日一句~それでも何とかかんとか~ [俳句]

季語は・・・睦月尽

面倒は 先送りする 睦月尽

【去年の今日】苦話§呼び込み君・・・・・・イラッ!
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流話§あっけなく一月おしまい [日常]

ああもう……月日の過ぎ去るスピードが途轍もなく速度を増してしまった。そして今年も残すところ11か月である。いたずらに齢(よわい)ばかりが重なって、とうとうこんなところまで来ちゃったのだ。

六十代半ばなどと、40年も前に自分が見ていたその世代の人たちは、まさに老人と言うしかない、ある意味枯れてしまった風貌で生きていたのである。

今まさに自分自身がその立場にあることに、我ながら驚かされてしまうが、なあに、どんな若者だって、生き続けていれば30年後とか40年後には、似たような境遇になってしまうのは間違いない。

若い人間が冷笑的に「そんな年齢になってまで生きたくない」とか言ったりするのだが、病を得て夭折するとか、自分で自分自身の生を断つとか、しない限りは、誰でも“そんな年齢の老人”になってしまう運命にあるのだ。

そうなってしまったら、おそらくは誰もが“自分の来し方”に思いを馳せ、なりたくなかった老人の我が身について、様々な感慨を持つのである。

“やっぱり歳を取るべきではなかった”と思うか、それとも“まあまあ、まんざらでもないか”と半ば自嘲気味に感じてしまうものか。

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懐話§昭和三十年代~味の素~ [昭和]

[承前]

その昔の、けっこう知られた話である……某化学調味料の会社の就職面接で面接官からの質問が「どうしたらわが社の製品の売り上げが上がるだろう」というもので、これに応募者の一人が「調味料の瓶の出口の穴を大きくすればいい」と答えたというのだ(諸説あります

というわけで、化学調味料といえば“味の素”というくらい、昭和三十年代の日本の食卓の象徴として存在していたことを覚えている世代なのである。

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例えば、皿に盛った白菜の漬物の上から味の素を振りかけて醤油をちょっと垂らすとか、まさにおまじないのように、誰もが疑いもなく同じことをしていたのだった。

たぶん、実家で暮らしていた時には味の素の日常だったはずである。しかも“味の素を舐めると頭がよくなる”などという根拠不明なネタまではびこっていたりしたのだ。

味の素と縁が切れたのは、実家を出て東京で自炊生活を始めたタイミングだったと思う。塩、醤油、味噌といった基本的な調味料以外をどうこうしようとは思わず、自然に味の素が除外されてしまったのである。

その後も味の素を使うことなく今に至っているが、なくても何か困ることはない。

もっとも、元々が味あれこれにうるさいわけでもなく、いわゆる化調多めのラーメンを食べても、気にはしないけれど、ごくごく時折だが、食べた後に化学調味料大量投入の後味を何だかなと思う程度である。
                               [続く]

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