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吟話§一日一句~丹精する人は既になく~ [俳句]

季語は・・・葉牡丹

廃線の駅 葉牡丹は盛り哉

【去年の今日】週話§日曜諸相~日本酒、焼酎、ワイン~
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断話§“引退”を考える [クラシック]

ピアニストで指揮者でもあるウラジミール・アシュケナージが引退をする。昨年傷めた右手が癒えてくれなかったことが理由と思われる。

宮仕えのサラリーマンであったら“定年”という区切りが存在していて、一定の年齢に達したところで御役御免となる。その後、どこか別の何かにに再就職するか、自分で起業するか、完全リタイアを選択するのだが、いずれにしても、ひとまず辞めることに変わりはない。

そこからすると、アーティストとか職人といった手に職を持って自活している人たちは、持てる能力と、持てる能力を継続する気力さえあれば、80歳や90歳を超えても生業することができるのだ。

事実、ミェチスワフ・ホルショフスキのように、百歳直前までリサイタルを行っていたピアニストも存在していて、本人がやろうという意志があって、客を呼べるのであれば可能なことなのである。

スポーツ選手もまた、少し似たところがあるけれど、これは相手があっての勝負事だから、容赦なく体力の限界を自覚させられて引退という道を選ぶことになってしまうが、演奏家の場合は自分との戦いでしかない。

物理的な理由がまず一番に来るだろうが、精神的なモチベーションが枯渇することで引退を余儀なくされることもまた少なくないだろう。

げに、アーティストという人たちが持っている卓越した自己研鑽力には頭が下がる思いである。

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織話§新春浅草歌舞伎第二部~祇園一力茶屋~ [歌舞伎]

第1部に『菅原伝授手習鑑―寺子屋―』をやらされ、第2部は重量級を二本『絵本太功記―尼ヶ崎閑居の場―』さらに『仮名手本忠臣蔵―祇園一力茶屋の場―』と、歌舞伎界における若手育成は待ったなしである。

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というわけで、先週木曜日に吉例新春浅草歌舞伎第2部を観てきたので、簡単に感想を。

やはりというか、どちらも若手の手に余ってしまい、観ていて辛いと感じる時間が長かった。絵本太功記そのものについては“おじさん”と呼ばれるベテラン手練れの舞台を観ていても、何だかなと思わせるものがあり、前半はさすがに舞台が薄いと感じた。

が、後半へと進むに従って、歌昇の武智光秀がよくなってきた。小柄で顔が大きく見える姿は二代目尾上松緑のようにも見えたのだ。そして、徹頭徹尾謀反人としての光秀を古怪な姿で描いて見せたのだ。これは先々が楽しみ。

それに比べると、二本目の一力茶屋における松也の由良之助は表面的でしかなく、特に前半の酔った様子の時は台詞を聞き取ることができず。何となくだが、松也のニンではないように感じてしまったのだが。

大柄な松也にして、由良之助の柄の大きさを舞台から客席に向かって出せていないのである。

それに比べれば、米吉のお軽と巳之助の平右衛門兄妹は元気一杯に演じていて、なかなかに気持ちいいものだった。幕切れに近くなり、辛うじて松也が由良之助らしさを見せたと思ったが、やはり荷が勝ち過ぎだった。

とにかく、いずれにしても歌舞伎役者は覚えることがたくさんあって、役者人生の中で成長していかなくてはならないのだ。彼らが“ひとかどの役者”になるまで30年近く……残念ながら、その姿を見ることはできなさそうだ。

終演は18時半過ぎ。ちょうど晩飯の時間だったので、吾妻橋畔の居酒屋にしけ込んで酒と肴と蕎麦をいただいたが、観光地のお勘定に眼を剥いて帰宅。

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