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街話§神保巷塵[78]閉店情報・・・・・・なおも [神保町]

[承前]

この3年ほどは、月に一度か二度の神保町通いをしているのだが、ここにき
て、店舗の閉店数が増加の一途である。

神保町1丁目靖国通りの南側にあった“いきなりステーキ”と“嵯峨谷”と
いう蕎麦屋が相次いで閉店していた。どちらも今世紀になって営業を始めた
店で、2軒とも入ったことはない。

そしてさらに東へ歩を進めると、革製品を扱っていたレオ マカラズヤの建物
が取り壊し工事の最中だった。こちらは閉店ではなく、一年後には新しい建
物で営業が再開される。

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ちょっと残念だったのは、かつて小学館ビルの地下にあって、今は小学館の
向かいのビル1階で商っていた老舗蕎麦屋の柳屋が閉店していた。

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創業百年を超えて四代続いた店は、気取ることのない町場の蕎麦屋の風情を
残していて、月に二度くらいは蕎麦で1杯でお世話になっていた。この写真
を撮った日、たまにはと思い立って出向いてみたら入口に閉店のあいさつが
貼られていたのだ。

店の消長は世の常ではあるけれど、定年退職このかたの神保町の様変わりは
仕事をしていた頃の比ではないような気がする。
                               [続く]

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街話§神保巷塵[77]カジュアル三幸園ある日 [神保町]

[承前]

7月最終火曜日午後、会社OB会のために神保町に行ってきた。14時前から3時間近く、パソコンを叩いて名簿の整理、文書作成をこなしたのである。

終わったのが16時半過ぎ。昼飯を軽く済ませてOB会事務局に向かったので久々に仕事らしい仕事をしたことと合わせて、会社を出る頃には、すっかり腹が減ってしまっていた。

いずれにしても、晩飯は神保町でと決めていた……4か月ぶりのことで、選択肢が数ある中から、白山通りのカジュアル三幸園で餃子&ビールにしようと、さっさと店に入ったのだ。

晩飯には少しばかり早い時間だったので、客はまばら。ほどよいソーシャルディスタンスの店内の隅のテーブルに座って、もちろん!生ビールと餃子を注文。

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ずいぶん久々だなあと調べてみたら、何と去年一年ごぶさたで、一昨年の暮が最終訪問。しかも餃子ではなく海老マヨを頼んでいたのだった。そして、およそ2年ぶりに三幸園の餃子にありつけたのである。かつては月に2回ほどは行っていたはずで、それは寂しい話である。

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餃子で生ビールを2杯と常温紹興酒一合をやっつけ、締めに注文したのは、何とも情けないことに半チャーハン……だが、これ以上食べるのは危険だ。サクサク食べて17時半にはお勘定。3000円でしっかりお釣りが来た。

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街話§神保巷塵[76]キッチン南海閉店三日前 [神保町]

[承前]

会社OB会の打ち合わせで神保町に行ってきたのは6月24日のことだった。一時間ちょっとで会合は終わり、ふと思い立ってすずらん通りはキッチン南海の様子を見に行ったところ、行列が白山通りを曲がって伸びていたのだ。

↓行列はすずらん通りの入口から白山通りへ
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↓通常の行列は、せいぜい2軒先くらいまでだが
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並んでいる人のほとんどは、神保町住人というよりも、明らかに記念行列の“閉店ビジター”と思われるが、元住人としては何だかなあとしか感じられなかったのもむべなるかな。

漏れ伝わってきた話では2時間待ちということで、正直に言えば、そこまでして並ぶようなものではないと思うのだが、これが“消費者心理”と言うものなのだろう。もっとも7月中には、すぐ近くで再開するのだから、やはりよくわからない。

……こうして“閉店”が消費されるのである。
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街話§神保巷塵[75]下町と山の手 [神保町]

[承前]

神保町話が少し続く。ずいぶん長いこと“下町と山の手”を誤解していた。誤解というよりも範囲をめちゃくちゃ広く考えていたのである。

いわゆる昔ながらの下町は、日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、本所、深川といったあたりのことで、山の手とはわかりやすく言えば、神田神保町から九段坂を上がった先のことを指すのだ。

半世紀以上前の映画で、倍賞千恵子が主演した『下町の太陽』という作品があって、この舞台は京成線の荒川周辺というものだったから、さすがに範囲を広げ過ぎた感がないでもなく、荒川あたりを下町と呼べるものか。

長いこと神保町で仕事をしていたが、よそ者にとって神保町を下町と見なす意識はほとんどないままだったが、下町生まれの人間と話す機会があって、その時に東京人の下町意識がどういうものであるのかを知ったのであった。

その時、彼らの説明によれば「谷根千を下町と呼ぶかどうかは微妙で、特に谷中は“寺町”と呼ばれている」といったニュアンスの話を聞いて、自分が勝手に判断していたこととまったく違っていたことに驚かされ、それ以降の東京地域観ががらりと変わったのだ。なるほど、人に話を聞くものである。
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街話§神保巷塵[74]スヰートポーヅ閉店 [神保町]

[承前]

そして悲報は続く……神保町すずらん通りのキッチン南海の閉店に続いて、その斜め前にある餃子の老舗“スヰートポーヅ”が6月10日に突然の閉店である。ボクシングで言えば、右ジャブがクリーンヒットしたその直後、間髪入れずに左フックが横っ面に飛んできたようなものだ。

スヰートポーヅが創業したのは1936年のことで、同じ場所で店が続いていたのであれば、幻の“すずらん通り中華街”の一翼を担っていたかもである。

定年が近づいた頃は行列に並ぶのが面倒だったので行くことはなかったが、それ以前は餃子が好物だったので、けっこう頻繁に足を運んでいた。

そして肝腎の餃子はというと、やや小ぶりで両端が塞がれておらず、辣油ではなく、辛子酢醤油で食べるというものである。普通にある餃子とは微妙に違うユニークな存在だったと言えそうだ。

焼き餃子以外に水餃子と包子も出していて、一度水餃子を注文したことがある。注文したら、いきなり「20分ほどかかりますが」と“できれば注文しないでほしい”的ニュアンスの反応があったが、そのまま注文をお願いした。それで味のほうだが、期待したほどではなかったという記憶である。

その後、水餃子を注文することはせず、ひたすら焼き餃子ばかり食べていたのだった。
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街話§神保巷塵[73]キッチン南海閉店 [神保町]

[承前]

すずらん通りのキッチン南海が6月26日で閉店という……これはもう本当にショックな閉店である。さぶちゃんラーメンやいもやが閉店したのと同じくらいの衝撃度だ。

↓懐かしき行列
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最初に南海で食べたのは大学生の頃だったと思う。その時はカツカレーを食べるほどの余裕などなかったから、カレーライスで我慢したが、あの独特な真っ黒いカレーは悪魔的な魅力があると感じた。

その後、神保町で仕事をするようになって、月に2回か3回は南海に足を運んだ。カツカレーは言うまでもないが、鶏ささ身フライと豚生姜焼きの盛り合わせなどなど、若い頃はそれこそワシワシ!とカロリー補給ができたのである。

若者の懐に優しい神保町であるがゆえに、年齢が重なるにつれてガッツリ系のハードルは高くなり、五十代前にカツカレーに別れを告げるしかなく、たまに食べに行ってもカレーライスのご飯少なめという、らしからぬ注文しかできなかったのは何とも不本意にでしかなかった。

今回の閉店は建物の老朽化に伴ってのことで、どうやらそう遠くない場所に後継店が開くようなので、安心といえば安心なことではある。

ところで、なぜ“キッチン南海”なる店名なのかと調べてみたら、創業者がプロ野球の南海ホークスファンということだった。なるほど、確かに看板の色はホークス・グリーンではないか。
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街話§神保巷塵[72]新潟ラーメンおもだかや [神保町]

[承前]

前の神保町エントリーで“酔の助”閉店について書いたら、近くにあった新潟ラーメン“おもだかや”のことを思い出した。ずいぶん前に書いたことはあったが、改めてまとめておきたい。

おもだかやが開店したのは1980年頃だったかと思うが判然としない。場所は神保町1丁目、酔の助から1ブロック北側にあって、昼は普通にラーメンを出していたが、おもだかやの真価は夜……居酒屋に変身してからである。

新潟と標榜しているだけあって、酒は新潟の地酒各種を取り揃えをていた。久保田や八海山に始まり、一人1杯限定だったが越乃寒梅も呑ませてくれていた。加えて栃尾のジャンボ油揚げに始まって、新潟酒肴の揃えもご機嫌なものがあって、けっこう足繁く通っていたのだ。

一合400円の日本酒を三合、それに400円ほどの肴を2つ注文しても2000円で収まってくれ、最後には締めのラーメンとなるわけだが、酒肴2つでいい感じなので、チャーシューやメンマ入りは余計だとわがままを言って、刻み葱だけの“かけラーメン”を作ってもらっていた……もちろん同じ代金でだ。

その後おもだかやは猿楽町にも店を出し、なかなかの繁盛店として盤石だと思っていたら、あれよあれよという間に相次いで閉店してしまった。今だに閉店にいたる事情は判然とはしないのだが、3000円出してお釣りがきて、日本酒を三合に酒肴を楽しんで、最後にはラーメンまで楽しめる稀有な店なのだったが、20世紀の終わり頃には神保町から姿を消してしまったのである。
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街話§神保巷塵[71]酔の助閉店 [神保町]

[承前]

昨日をもって、神保町1丁目北側路地裏の名物居酒屋“酔の助(よのすけ)”が40年の歴史を閉じた。

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開店した1979年頃は、神保町からちょっと離れたところで仕事をしていたので、存在を知らなかった。10年後くらいに神保町に戻ってきて存在を知ったのだが、その当時から建物はくたびれていて、場末感満載と感じたのは、上階にあったゲームコーナーのうらぶれた様子がイメージを増幅させていたがゆえのことであろう。

ちなみにゲームコーナーは、今世紀になった頃には既に店仕舞いをしていたはずである。

元地元民として超意外なことに、この酔の助は“ロケの聖地”として広く知られているのだ。最近では、ドラマ『逃げ恥(逃げるは恥だが役に立つ)』で使われて、聖地巡りの存在になったようだし、あのタモリ倶楽部でもしばしば登場することは知っていた。そういえば、話題になった映画『新聞記者』にも登場していたのだった。

自分はというと、なじみの店にばかり通っていたので、酔の助に入って呑んだのは2回か3回……そのくらいではなかったか。確かにユニークな存在であったのは間違いない。
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街話§神保巷塵[70]職酒近接 [神保町]

[承前]

宮仕えの37年半を、神保町を中心としたごくごく狭い範囲内で過ごした。その経験から導き出されたのは、神保町が実に便利な町であるということだ。

仕事が終わって、さて息抜きに1杯でもと思えば、会社を出てすぐあちこちに呑める店がいくらでもある。もちろん、新宿や渋谷、六本木へと繰り出す人だっていないわけではないが、ちょいと呑んでという店には事欠かない。

↓ビアホールもあれば
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若い頃は、そうして足を延ばして呑み歩いたりしたこともないではなかったけれど、四十代、五十代と歳を重ねるごとに、ありがたく近場で済ませることばかりになってしまった。

それでも、いい酒に旨い物が出てきてくれるのだから、神保町は本当にいい町である。

↓カジュアル中華屋もあるぞ
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東京のサラリーマンのエリアといえば、大手町、日比谷、霞ヶ関というのがお約束だったりするが、それじゃあ、そのあたりに、会社がはねたらさっと入れるような気軽な店があるか?……ビルだらけのビジネス街ではないか。

そんな彼らが向かうのは、ちょっと離れた有楽町や新橋の呑み屋街だろう。あのあたりでは、仕事と息抜きの場所が分かれてしまって、そんなものだと思っているのだろうが、こちとら神保町族にとっては、渾然一体とした町が形成されているゆえに、職住近接ならぬ“職酒近接”が実現しているのだ。
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街話§神保巷塵[69]人生劇場閉店 [神保町]

[承前]

神保町に出かけて、時間がある時には自分の縄張りを巡回して歩いている。そうすると、あったはずの店がなくなっていて、知らない店に変わっていたりということしばしばで、時の流れをしみじみと思い知らされるのである。

2月初めに神保町1丁目北側を歩いていたら、路地裏のパチンコ屋人生劇場が閉まっていた。

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貼り紙には“機械整備のためしばらく休業”とあったが、どうやら年末には閉まっていたようだ。

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ネットであれやこれやと調べていたところ、どうやら、パチンコチェーンを展開している、とある企業に譲渡した模様である。

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仕事をしていた頃、仕事の時間待ちを持て余して、ごくごくたまに入ってみたことはあった。せいぜい2000円か3000円を突っ込んで玉砕するのが関の山だったが、ふと気まぐれに景品引換所を覗いてみたところ、単行本と文庫本のコーナーがあって、なるほど本の街のパチンコ屋だと感心したのだった。

所有者が替わっても人生劇場というユニークな店名が引き続き維持されるかどうかはわからない……ましてや、そのパチンコチェーンの名称に変わってしまうのだったら、それではちっともおもしろくないではないか。
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街話§神保巷塵[68]カフェで一休み [神保町]

[承前]

神保町の書店でも、店内にカフェを併設する店が現れてきている。買った本をその場で読みつつとか、ちょっとパソコンやタブレットも動かせるよう、充電用コンセントも設置してあるのがありがたい。

会社OB会の事務仕事を片付ければ、15時過ぎ。ランチョンでビールをというにはさすがに早く、さてそれではコーヒーでも飲んで時間を潰しますかと入ったのが“東京堂書店”のカフェで、ブレンドコーヒー210円也である。

1階のカウンター席が満員だったので2階席に上がったが、2階の席もふさがっていて、席が空くまで数分待たされてしまったが、無事に席を確保できてのんびりとしたコーヒータイムが始まった。

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窓から外に眼をやると、こんな風景になっていて、いかにも神保町である。周りの人はといえば、買ったばかりの本を広げる人、ノートに何やら書き込んで、試験勉強をしている人、パソコンを開けて書類を作成している人と、様々なのだ。

そんな中にあって、何をするでもなくiPadの画面をいじってあれやこれやをボーっと眺めている年寄り一人之圖……。

2時間半ほど時間を潰せば、世間も少し薄暗くなって、生おビールの呑んでも後ろめたくない雰囲気が醸成されてきたようで、すっかり冷めきった残りのコーヒーを一口呑んで、本日のメインイベント会場へと向かうのである。

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街話§神保巷塵[67]ランチョン創業百十周年 [神保町]

[承前]

1909年(明治42年)に創業した神保町の老舗洋食ビアホールのランチョンが、めでたくも創業百十周年を迎えた。そのうち45年くらいは通っているはず。

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11月が創業記念月間ということで、通常より小ぶりのグラスで1杯限定記念価格百十円で提供するとのことだったが、11月に出向く機会はなく、残念と思っていたら、記念グラスの在庫がまだあったようで、百十円ビールにありつけた……瞬速でグラスを空けてお代わり。

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2杯目は、今年登場したチェコのピルスナー・ウルケル。ランチョンで普通に出しているマルエフの生ビールより値段は張るが、ガツンと来る苦味が好ましい。合わせて“自慢メンチカツ”を注文。これもまたルーチンである。

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まさに予定調和の流れが淡々と進んで、注文したあれやこれやがスルスルと胃の腑へと収まっていく。昼を軽めに済ませたので、腹も減っていたのだ。

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最後にマルエフをもう1杯。数年前、神保町で仕事をしていた頃は、一週間おきくらいに通いまくって、その都度4杯か5杯とぐびぐび!呑んでいたけれど、最近は3杯呑めば満足するようになった……酒に弱くなったのか、酒への執着が薄れたのか、それはわからない。

↓お土産にもらった記念グラス
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                               [続く]

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街話§神保巷塵[66]こんなのだめ! [神保町]

[承前]

2020年の東京オリンピックのマラソンコースが札幌へと変更になった。そもそも、あんな苛烈な猛暑の時期に野外でスポーツを……それもマラソンなどの長距離を走る競技を実施すること自体が間違っている。

カタールのドーハで、9月末から10月にかけて行われた世界陸上の女子マラソンで、大量の途中リタイヤ者が出た様子を見たIOCの委員が慌てたのは遅過ぎるくらいで、いきなり札幌にコース変更というドタバタとなった……事前に気象状況などきちんと調べておくのが肝要だったのに東京に決まってしまった。いかにいい加減な選考過程であったかがわかるというものだ。

↓組織委員会のページから拝借した幻のマラソンコース図
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さあ、おもしろくないのは沿道の人たちである。とりわけ神保町は、白山通りから南下してきて神保町交差点を左折して、また戻ってきてと、合わせて3回通過するベストポイントだったから、中には完全にあてにしていた店もあったらしく、それが下の写真の恨みつらみになっているようだが。

↓神保町1丁目北側で見かけた
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これはさすがにいただけない。というか、品の悪いことおびただしいものがある。コースが変更になるという報道の中でインタビューを受けた居酒屋の店主は、憤懣やるかたなく愚痴をこぼしまくっていたが、だからといって、ここまでやるのはいかにも大人げない。というか神保町という場所にはまったくそぐわない……らしくないと思うのだが、いかが?
                               [続く]

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