街話§神保巷塵[72]新潟ラーメンおもだかや [神保町]
[承前]
前の神保町エントリーで“酔の助”閉店について書いたら、近くにあった新潟ラーメン“おもだかや”のことを思い出した。ずいぶん前に書いたことはあったが、改めてまとめておきたい。
おもだかやが開店したのは1980年頃だったかと思うが判然としない。場所は神保町1丁目、酔の助から1ブロック北側にあって、昼は普通にラーメンを出していたが、おもだかやの真価は夜……居酒屋に変身してからである。
新潟と標榜しているだけあって、酒は新潟の地酒各種を取り揃えをていた。久保田や八海山に始まり、一人1杯限定だったが越乃寒梅も呑ませてくれていた。加えて栃尾のジャンボ油揚げに始まって、新潟酒肴の揃えもご機嫌なものがあって、けっこう足繁く通っていたのだ。
一合400円の日本酒を三合、それに400円ほどの肴を2つ注文しても2000円で収まってくれ、最後には締めのラーメンとなるわけだが、酒肴2つでいい感じなので、チャーシューやメンマ入りは余計だとわがままを言って、刻み葱だけの“かけラーメン”を作ってもらっていた……もちろん同じ代金でだ。
その後おもだかやは猿楽町にも店を出し、なかなかの繁盛店として盤石だと思っていたら、あれよあれよという間に相次いで閉店してしまった。今だに閉店にいたる事情は判然とはしないのだが、3000円出してお釣りがきて、日本酒を三合に酒肴を楽しんで、最後にはラーメンまで楽しめる稀有な店なのだったが、20世紀の終わり頃には神保町から姿を消してしまったのである。
[続く]
《神保町のトピックス一覧》
前の神保町エントリーで“酔の助”閉店について書いたら、近くにあった新潟ラーメン“おもだかや”のことを思い出した。ずいぶん前に書いたことはあったが、改めてまとめておきたい。
おもだかやが開店したのは1980年頃だったかと思うが判然としない。場所は神保町1丁目、酔の助から1ブロック北側にあって、昼は普通にラーメンを出していたが、おもだかやの真価は夜……居酒屋に変身してからである。
新潟と標榜しているだけあって、酒は新潟の地酒各種を取り揃えをていた。久保田や八海山に始まり、一人1杯限定だったが越乃寒梅も呑ませてくれていた。加えて栃尾のジャンボ油揚げに始まって、新潟酒肴の揃えもご機嫌なものがあって、けっこう足繁く通っていたのだ。
一合400円の日本酒を三合、それに400円ほどの肴を2つ注文しても2000円で収まってくれ、最後には締めのラーメンとなるわけだが、酒肴2つでいい感じなので、チャーシューやメンマ入りは余計だとわがままを言って、刻み葱だけの“かけラーメン”を作ってもらっていた……もちろん同じ代金でだ。
その後おもだかやは猿楽町にも店を出し、なかなかの繁盛店として盤石だと思っていたら、あれよあれよという間に相次いで閉店してしまった。今だに閉店にいたる事情は判然とはしないのだが、3000円出してお釣りがきて、日本酒を三合に酒肴を楽しんで、最後にはラーメンまで楽しめる稀有な店なのだったが、20世紀の終わり頃には神保町から姿を消してしまったのである。
[続く]
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