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街話§神保巷塵[93]餃子三幸園の在りし日 [神保町]

[承前]

宮仕えの37年半の間、足繁く通った店といえば、まず第一位にランチョンを挙げる。そうして、神保町の食生活がどんどんカジュアル化していった中、白山通りの餃子三幸園通いの比率も上がっていったのである。

特に、まだまだ食べられる年齢だった四十代半ば頃までは、けっこう元気に呑めたし食べられたしで、三幸園を楽しんでいたのだ。

仕事が終わり、さあ!っと店に入って、生ビールを注文しつつ、焼き餃子に加えて、もやし炒め、あるいは肉野菜炒めを頼む。その頃は食欲も酒欲も旺盛にあったので、餃子と炒め物を前に生ビールを3杯、その後に、紹興酒を二合もらって大満足……ケロリとした顔で帰宅していた。

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最後に、半チャンラーメンにするか、野菜たっぷりの湯麵か味噌ラーメンで締めるという……今考えれば、よく完食していたものだと思うのだが。

それがまあ五十代も半ばを過ぎると、すっかり食欲も枯れて、最初に頼むのは焼き餃子一皿のみ。そして生ビールは2杯に紹興酒が一合。そして最後、調子がよかったら半チャンラーメンを頑張れるが、半チャーハンでも満足できるようになってしまった。もう“あの日”が還ってくることなどはない。
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街話§神保巷塵[92]岩波ホール閉館 [神保町]

[承前]

1968年2月に開館した神保町の岩波ホールが今日、54年の歴史を刻んで閉館となる。

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初めて岩波ホールを訪れたのは1973年。映画ではなく、越後の瞽女唄を聴く会で、当時は映画上映だけでなく、こうしたパフォーマンスも行っていて、まさに滅んでいく刹那の門付け芸をつぶさに観ることができたのだ。

映画もいくつか観ているが、印象に残っているのはヴィスコンティ監督作品『家族の肖像』だろうか。

仕事場からすぐお近くの存在だったのに、なかなか行けなかったのは、仕事にかまけて……言い訳にもならない言い訳である。

常に岩波ホールがそこにあると思いながら、神保町の地下鉄出入口を行き来していたが、それも半世紀で打ち止めになってしまう。
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街話§神保巷塵[91]ランチョン~改めて~ [神保町]

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神保町の老舗洋食ビアホールであるランチョンについては、これまでも事あるごとに書いてきている。今さらながらだが、改めて神保巷塵でも書き留めておこうと考えた。

↓かつては平屋だったが、今は2階に店が
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神田神保町1丁目北側のビル2階にランチョンは店を出している。創業したのは1909年(明治42年)と、つい先年創業110年を迎えたところである。

↓注ぎ場後ろ、壁画左上の二番目男性が二代目
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今は四代目がビールの注ぎ場を守っている。ランチョンを初めて訪れたのは1974年のことで、間もなく50周年を迎えるわけだが、初訪問当時は二代目の当主が、注ぎ場から動くことなく淡々とビールを注いでいた。

神保町で宮仕えを始めはしたものの、仕事の忙しさの中で、しばらくの間はランチョンに出入りすることは少なかったが、再びランチョン通いが頻繁になったのは三十代後半からになってからである。

さらに頻繁に通ったのは四十代以降、定年退職した当日の私的打ち上げまで20年くらいは、月に最低3回……お目当ては新鮮なアサヒ樽生マルエフで、気合が乗った時は5杯くらいは呑んだが、コンスタントに4杯。そして最近はめっきりで3杯で満足。

↓ご機嫌マルエフ
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そしてビールのアテは“自慢メンチカツ”で、ランチョンを代表する一品と言っても言い過ぎではない。

↓そして自慢メンチカツの雄姿
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定年退職して数年。すっかり神保町への足が遠のいてしまったが、何とかかんとか、年に2回くらいは呑みに行きたいものである。それにしても、個人営業の飲食店が、四代も商いを続けてこれたのは奇跡とした思えないのだ。
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街話§神保巷塵[90]神田天丼家 [神保町]

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神田天丼家は専修大学交差点近くの路地裏にある。かつては神保町1丁目の北側路地裏、とんかついもや、天麩羅いもや、そして天丼いもやの3軒が集まっていたが、とんかつも天麩羅も閉店し、そして20年くら前には天丼の店も閉店してしまった。

……と思っていたら、現在の場所に引っ越してきたのだ。先代は既に亡く、息子が後を継いで、店名も“神田天丼家”として新たな出発をしたのだ。

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宮仕えしていた会社からもほど近くなったので、食べに行きやすくなった。営業時間は11時から16時頃までとランチ使いの店なのだ。12時近くなると、10人くらいは並んでしまうので、混雑を避けて11時半過ぎには早飯よろしく店に入ると“若旦那”が顔を覚えてくれたようで「いつもどおりですか?」と、ご飯を少し軽めにして出してくれる。

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海老、烏賊、鱚、南瓜、海苔が胡麻油で香ばしく揚がり、そこに辛口タレが食欲を刺激してくれるのがうれしい。

定年退職した時は600円だったが、最近食べに行ったら700円になっていた。ずいぶんと久々の訪問だったにもかかわらず、若旦那は顔を覚えていてくれて“いつもどおり”ご飯軽めで出してくれた。値上がりはしたけれど、変わらぬ味を提供していてくれることに感謝したのだった。
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街話§神保巷塵[89]同じ店にばかり [神保町]

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神保町で宮仕えをしていたにしては食べ物屋のレパートリーは実に少ない。あまつさえ、新規開店した店に、開店早々など入ってみたことなどはない。

臆病というわけではなく、単なる天邪鬼の類だとは思う。37年半の宮仕えで入った店だが、どう数えても3けたには届かない。この方のように毎日違う店で昼食を食べ続け、しかも一年で210軒などとはまず考えられないことだ。ざっと数えてみたところ、40軒くらいしか食べにいっていない。それでも、けっこう行っているものだと感心したのだが。

会社帰りにふらりと立ち寄って酒を呑む店だって、せいぜい10軒程度ではと思う。毎週とか一週おきに出向く店もあれば、一か月に一度、あるいは年に2、3回なんて店もある。

まあ、ランチョンや三幸園がその中の“レギュラー”と言えるだろう。要するに、店に入って安心&リラックスして酒を楽しめるということが、第一に肝要なことで、そんなあたりが新規開拓を逡巡させる理由ではなかろうか。
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街話§神保巷塵[88]岩波ホール閉館 [神保町]

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神田神保町交差点南西角の岩波神保町ビル10階で優れた映画を上映していた岩波ホールが7月29日で閉館すると聞いた。

初めて岩波ホールを訪れたのは1973年12月『越後瞽女唄』の実演で、当時は映画だけでなくこうした公演も行われていたのだ。

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その後、映画のほうは何回か観に行ったが、印象的だったのはルキノ・ヴィスコンティ監督の『家族の肖像』か。

カルチャー発信の担い手として、常に質の高い映画を上映し続けていたが、コロナ禍の時勢の中で営業が立ちゆかなくなっての閉館とは、何とも不本意かつ残念なことである。

全国には岩波ホールのように心あるカルチャー発信を苦しみながらも続けようとしている施設が数多くあるだろう。そうした施設が存続できるように、ほんの少しだが力を貸せたらと思う。
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街話§神保巷塵[87]神保町で餃子といえば [神保町]

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すずらん通りのスヰートポーヅ既になく、その名も神田餃子屋(天鴻餃子房)なる店もあるが、神保町に立ち寄った時に迷わず入ってしまうのが白山通りに立つ餃子三幸園である。

いわゆる“街中華”で、B級感満載の店は常に活気に満ち溢れていて、食べる気満々で入店するのだ。

↓あまりにもお約束
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注文するのは当然ながら生ビールと焼き餃子。これでひとしきり楽しむのだが、三幸園の餃子は野菜多めで個人的には好みとは言えないが、とりたてて不満があるわけではないのはもちろんのこと。

6個出てくる餃子を、生ビール2杯+紹興酒一合でやっつけて、昔だったらもやし炒めも注文し、最後に半チャンラーメンで締めていたのだが、還暦を過ぎた今、餃子に半チャンラーメンをプラスすることもできず、せいぜいが半チャーハンを食べれば大満足……食べられなくなったということは、払う勘定も少なくなって、財布に優しい食生活でもあるのだ。
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街話§神保巷塵[86]もって2週間 [神保町]

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神保町で仕事していた頃、足繁く通った店が何軒かあった。そのうちの一軒は、そこそこ名の知れた居酒屋で、頻繁に通えたわけではないが、通っているうちにとりあえず顔なじみのようにはなった。

細長いカウンターに4人ほどが座れる小上がりという小さな店で、座るのは入口入ってすぐのカウンター席。夕方開店してすぐだと、まだ客は自分しかおらず、店の主と他愛のない会話がしばし続く。

そんな時、たまたまグルメ雑誌か何かの居酒屋特集に掲載されたのを話のネタで振ってみると、かなり取材され慣れていて、そんなあれこれを話してくれるのだが、最後に「でもね、お客さんが入るのは、雑誌が発売された直後で、それももって2週間くらい」で……話が終わる。

素人からしてみれば、メジャーな雑誌で紹介されれば、一年くらいは繁盛して店も潤うのではないかくらいに思っていたが、実際はそんなことはなく、意外とあっさり客は引いていってしまうということのようだ。

そういえば、テレビのグルメ番組で紹介されるや否や長蛇の列となり、店に入るなど至難の業と思われるようなことがあっても、月日とともにその熱狂は消え去って、すんなりと入店できることはいくらでもある。
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街話§神保巷塵[86]6年ぶり神田天丼家 [神保町]

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先月の下旬、会社OB会の事務仕事が13時前に終わったので、久々にと神田天丼家まで足を延ばしてみた。

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店に入ると3人待ちで、すぐに席に着くことができた。マスクを外したところで、揚げ場に立っている“若旦那”が「ありゃ、お久しぶりです」と驚かれたので「6年ぶりよ」と返事を。

いつもどおり“ご飯少なめ”でお願いする。そして丼が白木のカウンターに置かれると、何も変わらぬ天丼の姿がそこにあった。

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海老、烏賊、鱚、南瓜、海苔の天麩羅に、これも変わらぬ、江戸風濃いめのタレがかかっていて食欲をそそってくれる。食事時間は10分足らず、あっという間に完食。お勘定は6年前の600円から700円と100円の値上げ。

若旦那の「また来てください!」の声に応えて、店を後にしたのだ。
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街話§神保巷塵[85]ノンノ創刊五十周年 [神保町]

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神保町――正確には千代田区一ツ橋――にある集英社が発行している、若い女性ファッション誌“ノンノ(non・no)”が、この日に創刊50周年を迎えた。

↓創刊号の表紙
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前年、マガジンハウス――当時は平凡出版――が創刊した“アンアン”の後を追っての創刊である。10年ほど前、月刊誌に変わるまでは、5日と20日の隔週で刊行されていたのだ。

そうして、京都や津和野、飛騨高山といった観光地紹介の特集が組まれると読者と思しき女性たちがこぞって旅の目的地とした。そんな彼女たちが“アンノン族”と呼ばれて、一つの現象ともなったのである。ちなみに世間では“ディスカバー・ジャパン”のキャンペーン華やかな頃でもある。

その後、ペンション・ブームの火付け役にもなったりして、若い女性の嗜好を巧みにすくい取っていたようだ。

雑誌の寿命がどれほどのものかはわからないが、創刊数号で廃刊になることも珍しくない業界ゆえ、50年というのは長寿と言ってもいいだろう。さて、この先どれほど続いていくか……それは編集者のセンスと読者次第である。

追記:どうでもいい話だが、アンアンの表紙ロゴが平仮名の“のんのん”に見えてしまうという……そんなエピソードがあったことを思い出す。
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街話§神保巷塵[84]店は開き・・・・・・店は閉じ [神保町]

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神保町へは月一程度は行き来している。週5日通っていた宮仕え時代と比べれば、比較にならない物足りなさと言えるだろう。

会社OB会の事務仕事を2時間くらいして、その後はほとんど昼飯を食べてそそくさと帰ってしまうので、それほどのんびりと神保町散策をしているわけではない。

ではあるが、界隈の店の消長は把握しきれないほど頻繁と感じられ、かつてもこんな感じだったのだろうかと思わせるものがある。

定年直前から顕著に感じられていたのは、ラーメン屋の侵食が激しいということだが、さらにこの数年は新しい店ができたなと思ったら、そのほとんどがラーメン屋という始末で、雨後の筍なんてものではなさそうなくらいだ。

だが、勇躍神保町に店を構えても、ああっという間に閉店してしまうことも珍しくはない。定期賃借の2年とか3年もてば上の部で、半年足らずで店を畳むことも珍しくはない。

というわけで、今の神保町はラーメン屋だらけとなり、定年から数年も経てば、町はこんな風に変貌するのかと、改めて思い知らされた。
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街話§神保巷塵[83]ランチョンご無沙汰! [神保町]

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驚くべきことが判明した。神保町のランチョンでマルエフの生ビールを最後に呑んだのは一年前の3月18日のことで、一年以上も前のことだったのだ。

↓去年最後に呑みに行った時のこと
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宮仕え時代は月に2度、3度と通っていたし、定年退職後も月一くらいには出かけていたので、一年以上行ってないと判明した時はさすがにショックが隠せなかった。

月一回の会社OB会の定期会合や事務仕事も、無理する必要がなければ、お休みしたりとコロナ対策としているので、神保町から遠ざかっているのだ。

仕事をしていた時だったら、禁断症状を起こしていたかもしれないが、こんな有様ではしかたがないと諦めるしかなく、外食度も低い現状なので、それほどに禁断症状が出ているわけではないが、さすがにここまでご無沙汰なのはまずい。

何とかして呑みに行く算段を考えなくてはならないと思うのだが……さても行く名目を見つけられずにいるもどかしさよ(苦笑
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街話§神保巷塵[81]神保町最古のビル解体 [神保町]

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10月下旬、会社OB会の事務仕事で神保町に行った時、神保町2丁目南側に建っている旧相互無尽会社解体作業の足場が組まれていた。一昨年頃あたりは財団法人日本タイ協会が入居していたとのことだが、既に退去済である。

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保存できればという声もあったらしいが、地下水が溜まって手がつけられず結局は取り壊しという道を選ぶしかなかったようだ。

1929年に竣工した5階建てのビルも、今は他の建物に埋もれてしまっているが、建築当時はそこそこの“高層建築”ではなかったかと想像している。

神保町には今だ、戦前に建てられたと思しき建物があちこちに残っていて、都心にありながら、ノスタルジックを辛うじて感じさせてくれて、そんな環境で仕事することができたことは幸運だったと言えよう。
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街話§神保巷塵[80]神保町1丁目南北動静 [神保町]

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10月初旬、目的もなくふらりと神保町を散歩した。ここ数年、町の消長は顕著で、新しい建物、新しい店が現れている。中には半年ももたずに閉店を余儀なくされる店も珍しくなさそうだ。

というわけで“老舗”2軒のその後を簡単に御報告……まずは神保町1丁目南側靖国通り沿いの“レオマカラズヤ”である。8月下旬には一旦店仕舞いして古い建物の解体が始まるところだった。

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そうして、出向いてみたら下の写真のように既に更地になって、路地の向うに三省堂の裏口が見えていたのである。

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もう1軒は1丁目北側路地裏の中華伊峡で、かつての店は下の写真。

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そうして訪れてみれば、何とも場にそぐわないとしか思えない……いかにも昭和然とした建物とは何という違いであろうか。

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定年退職して5年が経過した神保町は、少しずつ新しい変化が始まっているように感じたのはノスタルジーではなく、はっきりした事実の進行がそれを裏付けているようである。平成という30年ほどの時代を経たことで、昭和の形が徐々に姿を消していく“今”のように思われるのだが。
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街話§神保巷塵[79]伊峡再訪 [神保町]

[承前]

8月下旬ある日の午前中に始まった会社OB会の事務仕事だが、思いのほか時間がかかり、事務局を出たのが13時過ぎ。さすがに腹が減ったので、こんな時だからと新装開店したキッチン南海でカレーライス――カツカレーは、さすがに無理――でもと向かって、手前まで来たところで、行列があることに気がつき、すぐ手前を左折して伊峡に落ち着いた。

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かつてであれば半チャンラーメンを注文したのだろうが、寄る年波とやらでラーメンを注文。

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厨房はと見れば、主人夫婦は脇役に回り、長いこと手伝いをしていた息子が鍋やフライパンの前で主役になっていたのである。さすがに主人(二代目)が年を取ったことを痛感する。

ややあってラーメン着丼。細麵をすすれば、やや硬め……そういえば、この店の茹で加減は硬かったり柔かかったり、食べるごとにまちまちだったなあと、それを息子も踏襲しているようだ。

チャーシュー、メンマ、海苔というシンプルそのものの東京ラーメンを久々に食べてお勘定。450円とはお財布に優しい店である。
                               [続く]

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