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街話§神保巷塵[94]“いもや”ありき [神保町]

[承前]

かつて、20世紀の間に神保町で隆盛を誇った揚げ物定食の店“いもや”は、現在神保町1丁目に一軒残っているのみである。

宮仕えをスタートした1970年代の終わり頃、神保町でとんかつ2軒、天麩羅3軒、天丼2軒のいもやが、学生やサラリーマンの胃袋を満たしていた。しかも代金がリーズナブルで、最初にとんかつを食べた時は380円という記憶。

そして天麩羅定食300円、天丼280円くらいで食べられたのだ。ご多分に漏れず若いがゆえの空腹ゆえ足繁く通ったのである。

そんな神保町外食の雄いもやが、少しずつ姿を消していったのは、21世紀に入った頃で、神保町1丁目北側路地裏のとんかつと天麩羅の店が相次いで閉店、しばらくしたら天丼のいもやも店を閉めてしまった。

そんな天丼のいもやが2011年に“神田天丼家”と店名を変えて神保町3丁目南側に移転したのだ。

そして神保町2丁目北側に残っていた、とんかつ、天丼、天麩羅のいもやは2018年に閉店。今残っているいもやは、暖簾分けの天麩羅いもやがあるのみである。

“個人経営”の店の存続は後継者がいるかいないか次第で、いなかったら、あえなく終了というのは何ともやるせない。そんな空腹だった若者も50歳の声を聞いた頃にとんかついもやで定食を食べたら、あろうことかその日の夕食を抜く羽目となり“我がいもや”の日々も終焉を迎えたのだった。
                               [続く]

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