顧話§今日の歴史~三部作の1曲目~ [ストラヴィンスキー]
1910年6月25日、ストラヴィンスキーのバレエ『火の鳥』が初演。
ストラヴィンスキーは10曲ものバレエ音楽を作曲した。その中にあって三大バレエ音楽と呼ばれる『火の鳥』(1910年)、『ペトルーシュカ』(1911年)、そして『春の祭典』(1913年)の三曲で『火の鳥』が一番最初に作曲されたのである。
3作目の『春の祭典』がアヴァンギャルドの極致だったのに比べれば『火の鳥』はむしろ後期ロマン主義的で、耳に聴きやすい音楽だったと言えよう。
個人的にはハルサイよりも後に聴いたので“何だ、まともな音楽も書けるんじゃないか”などと生意気なことを考えたりもした。
そして毎度のことながら“版”の問題がある。ストラヴィンスキーは1911年版に始まって、1919年版、1945年版とある。相変わらずズボラなので、いきなり聴いて何年版であるとわかるわけではない。
ちなみに我が家にある『火の鳥』は1枚だけで“1910年原典版”と呼ばれているものである。
《歴史のトピックス一覧》
ストラヴィンスキーは10曲ものバレエ音楽を作曲した。その中にあって三大バレエ音楽と呼ばれる『火の鳥』(1910年)、『ペトルーシュカ』(1911年)、そして『春の祭典』(1913年)の三曲で『火の鳥』が一番最初に作曲されたのである。
3作目の『春の祭典』がアヴァンギャルドの極致だったのに比べれば『火の鳥』はむしろ後期ロマン主義的で、耳に聴きやすい音楽だったと言えよう。
個人的にはハルサイよりも後に聴いたので“何だ、まともな音楽も書けるんじゃないか”などと生意気なことを考えたりもした。
そして毎度のことながら“版”の問題がある。ストラヴィンスキーは1911年版に始まって、1919年版、1945年版とある。相変わらずズボラなので、いきなり聴いて何年版であるとわかるわけではない。
ちなみに我が家にある『火の鳥』は1枚だけで“1910年原典版”と呼ばれているものである。
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護話§長靴の歳月 [尾瀬]
長靴を履く頻度はそれほど多いわけではないと、記憶をたどってみると……最初は保育園の行き帰りに履いていたと思われる。当時、昭和三十年代は、道のコンディションもいいところばかりではなかったので、長靴は必須なのだった。
ひょっとしたら小学校低学年の頃も状況に応じて履いていたと思うが、十代になるのを境に履かなくなってしまったのではと思われる。
その次、我が人生で一番履きまくったのは大学の4年間、尾瀬の山小屋でのアルバイト時代なのだった。山小屋で外仕事する時は、常に長靴を履いての作業だった。
ちょっとした山に登って、鎌を使って笹を刈って登山道を整備するのにも、長靴をさっと履いて出動していたのだ。
そういえば、ゴールデンウィークの小屋開けの時、山小屋の人と一緒に雪道を歩いた時も、我は登山靴だったのに彼らは長靴でひょいひょいと登っていくのだが、ブカブカなように見えて、思っている以上に機能的なのだった。
というわけで、一生分を4年で履きまくった長靴のその後だが、世間がよほどの豪雨の時に外出する必要がある時とか、豪雪地帯の多摩丘陵に住んでいるがゆえ、大雪に見舞われた外出とか、雪かきする時のために常に臨戦態勢にあって待機している。
《私事のトピックス一覧》
ひょっとしたら小学校低学年の頃も状況に応じて履いていたと思うが、十代になるのを境に履かなくなってしまったのではと思われる。
その次、我が人生で一番履きまくったのは大学の4年間、尾瀬の山小屋でのアルバイト時代なのだった。山小屋で外仕事する時は、常に長靴を履いての作業だった。
ちょっとした山に登って、鎌を使って笹を刈って登山道を整備するのにも、長靴をさっと履いて出動していたのだ。
そういえば、ゴールデンウィークの小屋開けの時、山小屋の人と一緒に雪道を歩いた時も、我は登山靴だったのに彼らは長靴でひょいひょいと登っていくのだが、ブカブカなように見えて、思っている以上に機能的なのだった。
というわけで、一生分を4年で履きまくった長靴のその後だが、世間がよほどの豪雨の時に外出する必要がある時とか、豪雪地帯の多摩丘陵に住んでいるがゆえ、大雪に見舞われた外出とか、雪かきする時のために常に臨戦態勢にあって待機している。
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