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週話§土曜枯寂~四代目市川猿之助・・・・・・~ [歌舞伎]

いったい何が起きたのか……今だに頭の中が混乱している。

確実なことは、もはや四代目市川猿之助が舞台に立つことは二度とないということとしか考えられない。あの……黒塚も、狐忠信もこの先に観ることは叶わないだろう。

前名の亀治郎から数多くの舞台を観てきた。眼から鼻へ抜ける……才気煥発そのもので、客席を沸かせてきた。二十代後半から彼の舞台を観ているが、常にわくわくさせられてきた。同じ世代の中では抜群の集客力を誇っていたはずだし、間違いなく次の大看板を背負う中心に位置していたはずだ。

いずれ詳しい事情が判明するかもしれないが、現時点で愚にもつかない憶測を広げることだけは避けておく。

そして舞台から久しく遠ざかっていた、猿之助の父である段四郎も旅立ってしまったのである。合掌

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塀話§鳳凰祭四月大歌舞伎夜の部~仁左玉~ [歌舞伎]

実は夜の部を“もう一丁!”してしまっていたのだ。高齢者である仁左衛門のことゆえ、何があってもおかしくなく……現実に5日から三日間休演をしちゃったし。念の為、前半後半のチケットを保険として用意していたのだ。

↓前回より舞台近くに席を
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千秋楽前日で雨の平日にもかかわらず、ほぼ満席のお運び。やはり、観たいものは観ておきたいというお客さんの熱気が感じられた。

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おそらく玉三郎&仁左衛門のお富与三郎はこれが最後であろうと思われるが一回目に観たとおり、まさに水の如く“あるがまま”のお富さんと与三郎が自然体でそこに在ったのである。

芝居するべき多くの要素が、さり気ない動きの一つ一つに込められていて、こういう境地まで達することができるのかという感慨を覚えたのだ。

ところで、ふと三世瀬川如皐の手になる台本に、ちょっと首を傾げる場面があって、それは源氏店幕切れ近く、和泉屋多左衛門(権十郎)がお富に「これを」と臍の緒書を渡し、そこで兄妹だとわかる大事なところなのだが、どうして“今になって”のタイミングで兄だと名乗るのか?

3年前に海を漂っていたお富を見つけて救い、介抱を続けていたのだから、その間にいくらでも名乗りをあげることはできただろうに。そんなところを考えるなら、いささか無理筋に押し込めているんじゃないの……野暮な話をしてしまった。

市蔵の蝙蝠安が下衆っぽくてよく、松之助の藤八、橘太郎の五行亭相生は安定の手慣れ。その他、片岡亀蔵の赤間源左衛門、坂東亀蔵の鳶頭金五郎。

そして松緑&左近親子の『連獅子』は前回と変わらず。何というか緊張感に欠ける踊りだったが、毛振りをたくさんすれば熱演と思う客の多いことよ。

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悼話§市川左團次さん(歌舞伎役者) [歌舞伎]

大柄な歌舞伎役者として『助六』の意休や『夏祭浪花鑑』の釣舟三婦、菅原伝授手習鑑『賀の祝』の白太夫といったあたりを持ち役にしていた。

テレビ番組で素顔で登場している様子を見ると、柄の大きさとは裏腹に繊細な表情を見せていて、なかなかに複雑な人柄と見受けた。襲名披露の口上に並んだ時は、必ず与太話を披露して客席を沸かせていたことも懐かしい思い出だったが、四月大歌舞伎『与話情浮名横櫛』で和泉屋多左衛門を務める予定が初日から休演となり、そのまま逝去したことは悔やまれる。享年八十二

合掌

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無話§鳳凰祭四月大歌舞伎夜の部~仁左玉~ [歌舞伎]

仁左衛門の体調不良で5日から7日まで休演となった夜の部に行ってきた。仁左衛門の与三郎、玉三郎のお富で『与話情浮名横櫛』……鉄板である。

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木更津海岸見染の場~赤間別荘の場~源氏店の場まで、和泉屋多左衛門を務める左團次が体調不良で一か月休演となり、権十郎に代わった。

そこにある舞台の作為のなさは驚くべきことである。大げさな身振りの演技などどこにもなく。空気の如く、水の如くの舞台がそこにあったのである。

とりわけ、源氏店の場の仁左衛門と玉三郎が対峙する様が際立っていて、お富を執拗に責める与三郎と、受け留めるお富の沈黙。歳月を積み重ねた中で培われた空気感が見事に表出されていたのだ。

何もしない……不作為の演技とはこういうものなのか。どのあたりからかは覚えていないが“芝居を観ている”という行為から離れ“事実を観ている”かのような錯覚を覚えた。

主役二人に絡む、脇の役者もまたそれぞれの持ち場を十分に熟知してアンサンブルを形づくっていて、とりわけ市蔵の蝙蝠安の下衆っぽさ、権十郎の多左衛門の落ち着きといったあたりが秀逸だったと感じる。

『与話情浮名横櫛』の後には、松緑と左近親子の『連獅子』が踊られたが、何とも残念な踊りに終始。雑といえば雑、技量不足といえば技量不足で、毛振りばかりが悪目立ちして、そりゃあ振れば振るほどお客は喜ぶだろうが、全体を考えれば、最後の毛振りの何ともな居心地の悪さを感じずにはいられなかった。そして、終演19時半というのはありがたい。

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☆話§鳳凰祭四月大歌舞伎昼の部~新・陰陽師~ [歌舞伎]

歌舞伎座が新開場して丸10年の4月は、鳳凰祭四月大歌舞伎と銘打たれての興行。昼の部は若手花形中心の『新・陰陽師』が、夜の部は仁左衛門&玉三郎で『与話情浮名横櫛』と松緑、左近親子で『連獅子』を出してきた。

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一昨日観たのは昼の部。10年前、柿落とし公演の一環で9月に上演されたがその時とはまったく違う舞台になっていたので、戸惑ってしまった。市川猿之助脚本・演出とあって、いかにも彼らしい台本だと思ったのは、他の歌舞伎からのパロディーがあったり、あちこちで楽屋オチで笑わせたりしていたが、あれこれ詰め込み過ぎも感じられ、全編を通すと薄い印象は否めない。

一番の問題は“主役”の二人、隼人の安倍晴明、染五郎の源博雅が活躍する場面がほとんどなく、誰が主役なのかまったく見えてこなかったのである。



……ついでに隼人、染五郎の二人がまったく前面に出てきてくれず、気を吐いていたのは、福之助の俵藤太、尾上右近の興世王、あるいは巳之助の平将門あたりか。結局は舞台のスケール感が感じられないまま終わってしまったようだ。いっそのこと居直って“スーパー歌舞伎”に仕立ててしまったほうが、よほどエンターテインメントとして楽しめるような気がした……要するに中途半端なのだ。

最後に取って付けたような猿之助(蘆屋道満)の宙乗りで幕……筋の一片すらわからない海外のお客さんには、ケレンや引き抜きなどあって、それなりに楽しめたのではと思ったけれど……。

追記:琴吹の内侍を務めた、歌舞伎役者最長老の寿猿翁は5月で93歳になる そうだが、矍鑠とした舞台姿を見せてくれた。

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祝話§歌舞伎座が新開場して十年に [歌舞伎]

来月の四月大歌舞伎で新しい歌舞伎座の柿落としからちょうど10年となる。

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写真は新開場45日前に初ライトアップされた時のもので、もうすぐ柿落としのワクワク感が横溢していたようだ。

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そうして、新開場の歌舞伎座に初めて足を踏み入れたのは4月の半ば。柿落とし公演は6月まで三部制、せっせとお客さんを呼び込んでいたのである。

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新しい歌舞伎座の中に入れば、それ以前のつぎはぎで雑然とした様子が一変していて、その取り留めのなさを懐かしく、新しい様子に物足りなさを覚えなくもなかったが、客席空間はかつての歌舞伎座とほぼ生き写しで、それについては再現してくれた隈研吾に感謝したいと思った。

だが、そんな歌舞伎座新開場を目にしないまま、十八世勘三郎や十二世團十郎、さらに五世富十郎、七世芝翫、四世雀右衛門が身罷ってしまったことは何とも切ないことである。

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学話§第二十六期歌舞伎俳優研修修了発表会 [歌舞伎]

伝統芸能の担い手を育成する国立劇場養成所研修生による修了発表会を観てきた。

↓桜も開花した隼町の国立劇場
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↓プログラムも立派
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13時開演、19時終演という長丁場なので無理はせず、途中の長唄『小鍛冶』からスタートして、最後『歌舞伎の立廻り』まで。

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そのうち第二十六期修了生の西澤大峰は、小鍛冶の三味線に始まって、日本舞踊『玉屋』から『鳴神』の鳴神上人、そして最後の『歌舞伎の立廻り』までフル回転。歌舞伎俳優は彼と第二十七期研修中の望月大夢の二人である。

多い年は9人くらいの研修生が歌舞伎の世界に巣立っていくのだが、2年の研修は相当に厳しいと聞いているので、志半ばで挫折した研修生もいたことは想像に難くない。

2年間で、歌舞伎芝居全般だけでなく、長唄三味線まで会得させるのだとは『小鍛冶』で西澤大峰が三味線を弾いていたことで、ところどころ怪しいところが垣間見えたりもしたが、まがりなりにもというレベルまで到達していたと感心したのである。

さらに日本舞踊も丁寧にこなし、この日のメイン演目『鳴神』で鳴神上人を立派に務め上げた……舞台指導をした中村芝翫が客席で眼を光らせていたのだ。

そして最後の『歌舞伎の立廻り』と、西澤大峰“ワンマンショー”は、彼にとって生涯忘れることのできない出来事となっただろう。そしてくたくたに疲れ切ったのは間違いない。

それ以外に、太神楽で研修を始めて一年目の研修生(女性)3人が芸を披露してくれた。今後の成長を楽しみにしている。

この発表会は、クラウドファンディング“伝統芸能の明日をになう、国立劇場の研修生にご支援を!”にささやかな支援をしたことで招待券をいただいての鑑賞だった。

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最後に、プログラム最後にこれまでの養成所研修生から歌舞伎俳優になった人たちの一覧があったので、紹介しておきたい。彼らなかりせば、歌舞伎は成り立たなくなっていたかもしれないのだ

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仇話§二月大歌舞伎第三部~仁左衛門~ [歌舞伎]

鶴屋南北の『霊験亀山鉾』を観た。2002年に国立劇場で初演、2009年の松竹座に続いて三回目となるが、歌舞伎座での上演は初。いずれも仁左衛門が藤田水右衛門と隠亡の八郎兵衛に二役を務めていて、今回が一世一代となる。

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やはり、役者は悪役がやりたいものだと改めて思い知らされた。因果は巡るというほど複雑な筋でないのは、初見の身にとってもありがたいことで……さすがに序幕からの一気2時間は、緊張を保つのが大変だったが、大詰まで舞台を楽しんだ。

雀右衛門の芸者おつま、吉弥の丹波屋おりき、東蔵の貞林尼と女形の好演が目に立った。

ただ、芝翫と鴈治郎それぞれが務めた二役が、自分の中で少しだけ混乱したことは、一工夫する余地があるかもしれない。

祝日だったこの日も客の入りは上々で、座った席から見た範囲でも九分以上の入りだったのではと思われる。終演は20時45分、この日も車での往復で、歌舞伎座駐車場を出たのはちょうど21時。首都高速も渋滞はまったくなく、順調に走って50分ほどで帰宅。

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節話§二月大歌舞伎~松緑の和尚吉三~ [歌舞伎]

我が家あたりは前日降った雪が残っていたが、都心に出れば跡形もなく融けていて、快晴の中を二月大歌舞伎へ。

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[第一部]『三人吉三巴白浪』が序幕~二幕~大詰と上演された。初春大歌舞伎の入りが悪くて心配された客の入りだが、祝日ということもあってかまずまずで安心した……油断はできないが。

まず松緑の和尚吉三がいい。三人吉三の中心として気迫充実、十分に存在感を示してくれた。愛之助のお坊、七之助のお嬢とのアンサンブルも上々で、なかなかに充実した舞台を堪能できた。

予想していたよりも硬派で、リアルなところも見える完成度の高い舞台である。

そして相変わらず黙阿弥の因果が重なって重なってという構造を思い出しつつの鑑賞である。黙阿弥は、一人ほくそえみながら台本を書いていたことであろう。

[第二部]『女車引』と『船弁慶』と、二本とも踊りというのは組み立てとしていかがなものかと。しかも25分休憩を挟んで上演時間は2時間足らずだ。

『女車引』を観るのは初めて、観る前は『車引』を女衆が演じるものだとばかり思っていたら『車引』の趣向を、松王丸の妻・千代、梅王丸の妻・春、桜丸の妻・八重の三人が踊るものだった。物足りないというか、いささか拍子抜けな踊りで退屈。

休憩後、五世中村富十郎の十三回忌追善狂言として『船弁慶』が、富十郎の息子鷹之資による静御前と平知盛の霊である。

……が、さすがに荷が勝ちすぎたか、前シテの静御前が小さくまとまり過ぎ舞台空間を埋めきれず、観る側の緊張感が途切れてしまうことに。後シテの平知盛の霊では存在感が増して揚幕へと消えていったが、まだまだ道遠し。

芝居がはねれば16時半前。快晴の銀座中央通りを横切って、丸ノ内線銀座駅までちょっとした散歩。新宿で買い物をして帰宅した。

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祝話§壽初春大歌舞伎第三部~十六夜清心~ [歌舞伎]

『十六夜清心』を観るのは初めてのはずだ。

確か一度だけ……2004年の初春大歌舞伎で稲瀬川の場面が上演されたのだが夜の部最後の演目、おまけに雪が降るとかの予報があり、まあいいやと早退したのだった。歌舞伎を観始めて三年目“ど”初心者の頃である。

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3階席の客入りは悲惨なものだった。特に6列目までの前半分(3階A)など半分も埋まっておらず、身を乗り出して1階席を見下ろせば、これまた上手側などガラガラだった。

理由はいくつもあって、コロナ禍、看板役者の高齢化、座組の薄さ、観客の高齢化、チケット代の高さが挙げられるだろう。特に1月の東京は、歌舞伎座以下、新橋演舞場、国立劇場、浅草公会堂と4劇場で歌舞伎が上演され、意外にも歌舞伎座がワリを喰った形になってしまったような気がしないでもない。

というわけで『十六夜清心』の感想を短く。序幕、清元連中をバックにした幸四郎の清心、七之助の十六夜は二人姿もよく、しっとりとした一時間。

大詰、清心が気弱な極楽寺所化から悪へと変化していく様が見ものと感じたが、肝腎の梅玉が務める白蓮(実は大寺正兵衛)が、やっていることはいつもどおりの梅玉が、三千両を盗み出すような大悪人とは見えず、そのあたりが際立っておらず、幕切れの印象が希薄になってしまった。

平日のこの日、終演が20時半過ぎなので車で往復……行き帰りともに一時間ほどの所要だったのはありがたい。

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祝話§壽初春大歌舞伎第一部、第二部 [歌舞伎]

先週土曜日に第一部、第二部とまとめて観てきた。第一部から第三部まで、黙阿弥の作品を揃えてという正月の歌舞伎座である。

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第一部は『卯春歌舞伎草紙』と題し、出雲の阿国と名古屋山三を中心に据えたいかにも正月らしい、舞台いっぱいの役者が踊る、晴れやかな舞台。

そして『弁天娘女男白浪』は愛之助の弁天小僧、勘九郎の南郷力丸、芝翫の日本駄右衛門、猿之助の忠信利平、七之助の赤星十三郎……音羽屋以外の弁天小僧は猿之助以来だったが、姿はいいものの、芝居細部への気配りがもう少しあればなあと思わせるものがあった。

勘九郎の力丸は姿もよく、立派な押し出しでこの先の持ち役となると思わせてくれた。芝翫の日本駄右衛門もまたニンと感じたのである。

浜松屋の番頭を務めたのは松之助。弁天小僧たちとの絡みで重要なキャラクターなのだが、残念な出来。そのあたり、音羽屋が演る時はお約束で橘太郎が務めていて、そのはまり方には一日の長があるようだ。

引き続いて第二部は『壽恵方曽我』……『寿曽我対面』を舞踊劇に仕立て直した一幕。うーん、わざわざ舞踊劇にする必要があったものかどうか、そのあたりはわからない。幸四郎の五郎、猿之助の十郎、白鸚の祐経。

そして『人間万事金世中』は、大河ドラマで“ブレイク?”した彌十郎が主役の辺見勢左衛門を務めた。

河竹黙阿弥が文明開化期を舞台に台本を書いた“散切物”だが、金にまつわる喜劇が、喜劇としては成立していないと感じ、芝居を観る意義が見出せずで、前半の幕が引かれたところで退散……結末は何となく見えてもいたし。

喜劇とするならもっと徹底して作り込んでほしかったが、そのあたりの中途半端感もあった。第一部はまあまあ正月らしかったけれど、第二部の芝居は正月に観る類ではなかろう。

土曜日という週末であったにもかかわらず、2階あたりの客入りは芳しくはなかった。それでも3階はそこそこ入ってはいたが、それもまた演目のゆえではなかったか。

追記:3か月ぶりの歌舞伎座は、お囃子の人たちの顔からマスクが消えて、心なしか声が通って聞こえたような気がしないでもない。加えて去年11月より大向こうが復活していたが、4階一幕見席下手寄りから3、4人が掛けていたけれど、上手、中央、下手と散らしての配置はできないものか、何がなし遠くから聞えるようで、何とも……だった。

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未話§新春浅草歌舞伎第二部[2023.1.12] [歌舞伎]

いよいよ浅草に出向くのが難儀と感じるようになった。我が家からは電車に乗りっぱなしの一時間超はさすがに長い。

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第二部は『傾城反魂香~土佐将監閑居の場~』と『連獅子』の二本立て。まずは『傾城反魂香』から。歌昇の浮世又平に弟の種之介が女房おとく、莟玉の修理之介、松也の雅楽之助、吉之丞の土佐将監光信、歌女之丞の北の方。

若手を育てるのが目的の浅草歌舞伎なので、歌舞伎座で同じ役が付くのは、10年どころか20年は先のことになるだろう。それまで熟成に熟成を重ねて、大歌舞伎の舞台に立つかもしれないわけだが、役の付き初めのゆえに、真っ直ぐな芝居を観ることができる。

この日の歌昇、種之介兄弟がまさにそれで、役に対して正面から向き合い、あるがままを舞台上で表現をする。それが、若さゆえにコントロールが効かず、感情そのままが出てしまう。歌昇の又平は“吃り”を強調し過ぎてか、台詞が聞き取れず、改善が必要と感じた。種之介の女房おとくは、いささか下世話に生っぽくなり過ぎて、どう自然に演じるべきかが課題となろう。

莟玉の修理之介は小粒、松也の雅楽之助は、何となくだが大衆演劇の匂いが感じられてしまった。

義太夫は何と何と!葵太夫が務めたが、これは贅沢なことである。

後半の『連獅子』でも松也のそれは同様で、柄の大きさが踊りに反映されず何となく腰高でぞんざいな踊りと感じた。毛振りの最後はまとまることなくきれいとは言えず。莟玉の子獅子のほうが丁寧に踊っていたのだ。間狂言は歌昇の僧遍念、種之介の僧蓮念。

終演は18時ちょっと前。浅草で夕食をと決めていたが、お目当てのとんかつ屋は水木が定休。それではと、雷門通り銀座線出入口近くの尾張屋支店へ。

普段はスルーの“観光地有名店”が、平日でそれほど込んではいなかろうと入店。楽勝で座り、ビール中瓶1本、日本酒も一合、食べたのは中海老天丼だったが、タレの塩梅が好みでおいしくいただいて完食……お勘定は観光地価格なるか。

電車を乗り継いで一時間ちょっと。20時過ぎの帰宅はさすがに疲れました。

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週話§日曜枯寂~昨日は初歌舞伎座~ [歌舞伎]

新春浅草歌舞伎が今年の初芝居だったが、昨日は朝から歌舞伎座で初春大歌舞伎を第一部、第二部と一気に観てしまった。

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第一部は『卯春歌舞伎草紙』と『弁天娘女男白浪』と続き、第二部は曽我物の『壽恵方曽我』に始まり、去年の大河ドラマでブレイクした彌十郎主役の『人間万事金世中』というもの。ちなみに第三部まで黙阿弥作品が並んだ。

相変わらずの拙い感想は後日ということで、昨日のエントリーで正月気分など……と自嘲したが、まだまだ歌舞伎座の中は初月気分に満ち満ちていたのである。

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真話§通し狂言の歌舞伎座上演 [歌舞伎]

コロナウイルス以前からそうだったが、歌舞伎座では通し狂言の上演が極めて少なくなってしまっている。

特に今は三部制で、一部あたり2本の見取り狂言仕立てで、たまに短縮版になった通し狂言が上演されるが、何がなし中途半端と感じなくもない。昼夜二部制だった時は『仮名手本忠臣蔵』や『菅原伝授手習鑑』の通し狂言が数年に一度くらいのインターバルで上演されて、何度か観ることはできた。

↓こうした通し狂言が観られるのはいつのことやら
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見取り狂言仕立ては、興行制作する側にしてみれば、どれとどれを組み合わせて、役者を誰にしたらいいかを考えれば済んでしまうような気がするが、通し狂言になると、これはもう“チームワン”で取り組みをしなくてはならないのではないか。

付け加えるなら、通し狂言を行うことは歌舞伎役者及び歌舞伎界にとっても“芸の継承”という大きな意義があると思われる。

だが、それが昨今は通し狂言の機会が少なく、少なからぬ若手役者の中にはそうした大物を上演する経験のないままに来てしまっているようだ。

観る側にとっても通し狂言は、貴重ではあるが、なかなかに負担の重い観劇機会で、ただだからこそ役者をはじめとしたスタッフも観客も気合を入れて臨む、必要欠くべからざる興行なのである。

歌舞伎観劇歴も20年を超えたけれど、まだまだ未見の通し狂言が数多くあることを知っている。それらの中には上演する意義が見出せないものもあるだろうが、そのあたりを吟味して、通し上演の可能性を探ってもらいたい。

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想話§歌舞伎のことなど何一つ・・・・・・ [歌舞伎]

歌舞伎鑑賞歴がようやく20年を超えたのは去年の事。1980年代から90年代にかけて散発的に数回歌舞伎座に行ってはいるが、数の内には入れたくない。そして相変わらずの初心者状態なのだ。

そうして“まじめ”に歌舞伎見物に通うようになったものの、歌舞伎見物の作法やら約束事やら、何一つ知らずに出かけていたのだ。歌舞伎頭が形成されておらず、筋を追うのも精一杯で、時には舞台上の人間関係をまったく把握できず、途方に暮れそうになってしまった。

それこそ『勧進帳』であれば、おおよその筋は把握しているので、何とかついていけるけれど、それが『熊谷陣屋』だったら、最初に観た時はお手上げで、首桶に入っていた首は平敦盛ではなく、熊谷次郎直実の子である小次郎であるという事情を理解することができず、何がなんだかわからなかったという記憶である。

いつぞや、もう10年以上前に『白浪五人男』の通しを観た時、あまりにも人間関係が入り組み過ぎたストーリーに頭がついていかなくなって、河竹黙阿弥のファンタジーの凄まじさに感心したのだった。

時に荒唐無稽に過ぎて苦笑するしかなかったりするのだが、江戸時代の人たちの発想のぶっ飛びさ加減に驚きつつ楽しんでしまうのだ。

それからすると、一か月前に平成中村座で観た宮藤官九郎の新作『唐茄子屋~不思議国之若旦那~』など温い温いと思わざるを得ない。

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