顧話§今日の歴史~宗教改革~ [キリスト教]
1521年1月3日、マルティン・ルター、ローマ教会から破門。
ルターが司祭になった頃、ドイツでは贖宥状(免罪符)が大々的に販売されていた。それは、選帝侯として政治的に重要なポストであるマインツ大司教位の地位を得たいという野望を持ったアルブレヒトの資金稼ぎのためだった。
そうした行為を営利目的の非宗教的行為と考えたルターは、1517年10月31日に『95ヶ条の論題』と呼ばれる書簡を送ったのである。
神学論争が巻き起こる中、自説を頑強に否定しないルターは、1521年のこの日、ローマ教会から破門されたのだ。
かくしてルターはプロテスタント(新教)を組織化したのだった。プロテスタント系の保育園に通い、洗礼こそしなかったが長じても日曜学校に出向いていた人間から見れば、ルターが考えたことはもっともで、いかに当時のローマ教会が“腐敗”していたかである。
だから今でも、むしろプロテスタントのほうにシンパシーを感じているし、免罪符という言葉には嫌悪感を抱き続けているのだ。
《歴史のトピックス一覧》
ルターが司祭になった頃、ドイツでは贖宥状(免罪符)が大々的に販売されていた。それは、選帝侯として政治的に重要なポストであるマインツ大司教位の地位を得たいという野望を持ったアルブレヒトの資金稼ぎのためだった。
そうした行為を営利目的の非宗教的行為と考えたルターは、1517年10月31日に『95ヶ条の論題』と呼ばれる書簡を送ったのである。
神学論争が巻き起こる中、自説を頑強に否定しないルターは、1521年のこの日、ローマ教会から破門されたのだ。
かくしてルターはプロテスタント(新教)を組織化したのだった。プロテスタント系の保育園に通い、洗礼こそしなかったが長じても日曜学校に出向いていた人間から見れば、ルターが考えたことはもっともで、いかに当時のローマ教会が“腐敗”していたかである。
だから今でも、むしろプロテスタントのほうにシンパシーを感じているし、免罪符という言葉には嫌悪感を抱き続けているのだ。
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惣話§おかずにはなりません(個人の感想 [私事]
自分的に“おでん”の具とか鶏唐揚げは、ご飯のおかずになってくれない。おでんに関していうなら、練物の類はおかずにならないのだ。竹輪に始まって、さつま揚げなどなどといったあたりが該当する。
理由はというと、出汁はしっかり取れていても、やや薄味なところが、ご飯のおかずになりにくいのではなかろうかと想像。その他も、厚揚げや大根、卵と、いずれもおかずにするには、どこか物足りないと感じてしまうのだ。
だからもちろん、おでん定食などとは注文したことなど一度もない。これは実家暮らしをしていた子どもの頃から、食卓におでんが登場しても、それをおかずに食べたことなどはなかった。
そして鶏唐揚げも同様におかずになってくれない。これに関しても我が身はマイナーな存在で、食事処に行けば唐揚げ定食など珍しくもなくメニューにあって、多くの人が注文していることは承知している。
そして、ビールの肴として鶏唐揚げをいただくのは日常のことだが、これがおかずとなると、何とも手を出しにくい。
あまりにも個人的な嗜好ゆえに、どうしておかずになってくれないのか、その理由を解明するのは至難の業ということだろうか。
《私事のトピックス一覧》
理由はというと、出汁はしっかり取れていても、やや薄味なところが、ご飯のおかずになりにくいのではなかろうかと想像。その他も、厚揚げや大根、卵と、いずれもおかずにするには、どこか物足りないと感じてしまうのだ。
だからもちろん、おでん定食などとは注文したことなど一度もない。これは実家暮らしをしていた子どもの頃から、食卓におでんが登場しても、それをおかずに食べたことなどはなかった。
そして鶏唐揚げも同様におかずになってくれない。これに関しても我が身はマイナーな存在で、食事処に行けば唐揚げ定食など珍しくもなくメニューにあって、多くの人が注文していることは承知している。
そして、ビールの肴として鶏唐揚げをいただくのは日常のことだが、これがおかずとなると、何とも手を出しにくい。
あまりにも個人的な嗜好ゆえに、どうしておかずになってくれないのか、その理由を解明するのは至難の業ということだろうか。
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