顧話§今日の歴史~初日に行ったのだ~ [クラシック]
1986年10月12日、サントリーホール開場。
大阪のザ・シンフォニーホールに遅れること4年。東京にも待望久しいコンサート専用ホールがようやく誕生した。37年前のことである。
この日の午前、完成式典が行われた。オーケストラのチューニングをするのに、佐治敬三サントリー社長が、パイプオルガンのAを押してという演出で第一音がホールに響いた。演奏されたのは芥川也寸志作曲の『響』だった。
それに続いて、一般客を入れての最初のコンサートは、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮、NHK交響楽団によるベートーヴェンの第九交響曲が演奏されたのだ。
残念ながら最初のコンサートのチケットは取れず、同じ日17時開演で行われた“ザ・ガラ オープニングナイト”に出かけることはできた。これがまた盛りだくさんな消化不良を起こした内容で、こちらを見ればどれほど詰め込んだかが理解できるだろう。
しかも並行して小ホール(ブルーローズ)でもパフォーマンスが行われ、入場者は大ホールと小ホールと行き来することになったでのある。
かくしてプログラムが終了したのは23時を過ぎていたという、欧米のガラ公演並みの凄まじさ。当日は車で往復したが、それはもう大正解だった。
《歴史のトピックス一覧》
大阪のザ・シンフォニーホールに遅れること4年。東京にも待望久しいコンサート専用ホールがようやく誕生した。37年前のことである。
この日の午前、完成式典が行われた。オーケストラのチューニングをするのに、佐治敬三サントリー社長が、パイプオルガンのAを押してという演出で第一音がホールに響いた。演奏されたのは芥川也寸志作曲の『響』だった。
それに続いて、一般客を入れての最初のコンサートは、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮、NHK交響楽団によるベートーヴェンの第九交響曲が演奏されたのだ。
残念ながら最初のコンサートのチケットは取れず、同じ日17時開演で行われた“ザ・ガラ オープニングナイト”に出かけることはできた。これがまた盛りだくさんな消化不良を起こした内容で、こちらを見ればどれほど詰め込んだかが理解できるだろう。
しかも並行して小ホール(ブルーローズ)でもパフォーマンスが行われ、入場者は大ホールと小ホールと行き来することになったでのある。
かくしてプログラムが終了したのは23時を過ぎていたという、欧米のガラ公演並みの凄まじさ。当日は車で往復したが、それはもう大正解だった。
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街話§神保巷塵[102]思ひ出の神保町 [神保町]
[承前]
神保人だったのは1978年4月から2015年9月までだった。もっとも神保町という行政区画にいたのは11年ほどで、残りは神田猿楽町だったり、靖国神社近くが仕事場だったりした。
そんな神保町暮らしの中で便利に使わせてもらった店は多いが、その中の多くもまた、惜しくも姿を消してしまって既にない。そんな懐かしい店を思い出すままに書き連ねていってみようか。
亀半……定食屋というか居酒屋というか、神保町2丁目南側さくら通りの路地裏の小ぢんまりとした店。ランチもやっていたが、もっぱら夜の食事のために使っていた。売りは焼き魚定食、麦とろご飯の定食などなど。軽く1杯喉を潤してという店。世紀が変わる頃に閉店したはず。
くるみ……神保町2丁目北側、白山通り沿いにあった洋食屋。神保町の飲食店らしく、深夜まで営業していたので、遅くなっての夜食に利用していた。店に入るとホールの優しそうなお兄ちゃんが「とりあえずおビール?」と聞いてくるので、もちろん“応”である。地上げで店を閉め、銀座あたりに移転したと聞いたが行方知れずである。
纏寿司……神保町2丁目南側靖国通りの一筋裏の路地で店をやっていた、渋い寿司屋。夜もいいが、ランチの鯵のたたき定食が佳き。何しろご飯がうまかったのだ。
末広……神保町2丁目南側さくら通り、亀半と同じ区画にあったカウンターだけの定食屋。厨房も一人がやっと入る大きさだったがゆえに、徹底的に合理化されていて、記憶に鮮やかなのは豚汁を注文した時。まず店主が、豚バラ肉を胡麻油で炒め、そこに大鍋の味噌汁をお玉で注いで出来上がり。これはアイデアだと感心したのだった。おそらく亀半と似たようなタイミングで店を閉じたと思われる。
また、いくつか思い出したら、続編はある……かもしれない。
[続く]
《神保町のトピックス一覧》
神保人だったのは1978年4月から2015年9月までだった。もっとも神保町という行政区画にいたのは11年ほどで、残りは神田猿楽町だったり、靖国神社近くが仕事場だったりした。
そんな神保町暮らしの中で便利に使わせてもらった店は多いが、その中の多くもまた、惜しくも姿を消してしまって既にない。そんな懐かしい店を思い出すままに書き連ねていってみようか。
亀半……定食屋というか居酒屋というか、神保町2丁目南側さくら通りの路地裏の小ぢんまりとした店。ランチもやっていたが、もっぱら夜の食事のために使っていた。売りは焼き魚定食、麦とろご飯の定食などなど。軽く1杯喉を潤してという店。世紀が変わる頃に閉店したはず。
くるみ……神保町2丁目北側、白山通り沿いにあった洋食屋。神保町の飲食店らしく、深夜まで営業していたので、遅くなっての夜食に利用していた。店に入るとホールの優しそうなお兄ちゃんが「とりあえずおビール?」と聞いてくるので、もちろん“応”である。地上げで店を閉め、銀座あたりに移転したと聞いたが行方知れずである。
纏寿司……神保町2丁目南側靖国通りの一筋裏の路地で店をやっていた、渋い寿司屋。夜もいいが、ランチの鯵のたたき定食が佳き。何しろご飯がうまかったのだ。
末広……神保町2丁目南側さくら通り、亀半と同じ区画にあったカウンターだけの定食屋。厨房も一人がやっと入る大きさだったがゆえに、徹底的に合理化されていて、記憶に鮮やかなのは豚汁を注文した時。まず店主が、豚バラ肉を胡麻油で炒め、そこに大鍋の味噌汁をお玉で注いで出来上がり。これはアイデアだと感心したのだった。おそらく亀半と似たようなタイミングで店を閉じたと思われる。
また、いくつか思い出したら、続編はある……かもしれない。
[続く]
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