週話§土曜流転~今年も葉月八月終了~ [日常]
はい、8月終了!
暑い夏については前話でまとめたので、何を書こうか……今年も残すところ4か月となるし、間もなく古稀の誕生日を迎えるし、そんな9月がやってくるのだ。
10年前の2014年は、還暦を迎えつつ定年退職まで残すところ一年となって、いよいよ“老後の自分”について考えを巡らす時期にあった。不足はあれど自分なりに準備は進めていたつもりだが、給与生活者でなくなることが何を意味するのか、そのあたりに頭が回ってはくれなかった。
ただ例えば、この期に及んで借金はしないとか、浪費の類はしないようにとか、そうしなくても済むように最低限の手は打っておいたつもりではある。
そして、最後の一年に万が一のことがあって37年半が台無しにならぬよう、笑い事ではないけれど、通勤電車の行き帰り、特に帰りの込み合った電車の中で疑われるようなことはしないようにとか……いや、これはもうまじめな話であるぞよ。
そんな風に身を処しつつ、一年後確実にやって来る自分の行く末についてはまだまだ想像が及ぶことなどなかった。
《日常のトピックス一覧》
暑い夏については前話でまとめたので、何を書こうか……今年も残すところ4か月となるし、間もなく古稀の誕生日を迎えるし、そんな9月がやってくるのだ。
10年前の2014年は、還暦を迎えつつ定年退職まで残すところ一年となって、いよいよ“老後の自分”について考えを巡らす時期にあった。不足はあれど自分なりに準備は進めていたつもりだが、給与生活者でなくなることが何を意味するのか、そのあたりに頭が回ってはくれなかった。
ただ例えば、この期に及んで借金はしないとか、浪費の類はしないようにとか、そうしなくても済むように最低限の手は打っておいたつもりではある。
そして、最後の一年に万が一のことがあって37年半が台無しにならぬよう、笑い事ではないけれど、通勤電車の行き帰り、特に帰りの込み合った電車の中で疑われるようなことはしないようにとか……いや、これはもうまじめな話であるぞよ。
そんな風に身を処しつつ、一年後確実にやって来る自分の行く末についてはまだまだ想像が及ぶことなどなかった。
《日常のトピックス一覧》
糀話§味噌ラーメンの世界観~普通が好き~ [ラーメン]
まあまあ人並みに“麵喰い”ではないかと思う、蕎麦、うどん、ラーメンと何でもござれ。
そしてラーメンも豚骨ものは苦手で避けているが、それ以外の醤油、塩、味噌とウエルカムである。
中でも特異な位置にあるのが味噌ラーメンで、これもまたついつい食べたくなってしまう。だが……札幌味噌ラーメン専門店がなかなか見当たらない。神保町で宮仕えをしていた頃、会社近くにそんな専門店があって、いそいそ食べに出かけていたが、ラーメン激戦区の宿命かどうか、10年足らずで消えてしまった。
そんな札幌ラーメン専門店が食べさせてくれる味噌ラーメンが好きだ。それは炒めたたっぷりのもやしと野菜が麵の上にのって出てくる豪快さに惹かれるようだし、そんな炒めもやしと味噌のスープが殊のほか相性抜群なのだ。
それなのに今は、奇を衒ってなのか、それともハイクオリティ追及なのか、そのあたりはわからないが、いわゆる普通の味のラーメンが、軽んじられて久しく、それらの影が薄くなってしまっていることのほうがおかしい。
結局、神保町あたりにおけるラーメン屋の乱立と頻繁な開店と閉店の繰り返しは“普通”というものをないがしろにし“普通”を恐れるあまり、愚にもつかない試行錯誤をした揚句の自滅ではないかと密かに考えているのだ。
《ラーメンのトピックス一覧》
そしてラーメンも豚骨ものは苦手で避けているが、それ以外の醤油、塩、味噌とウエルカムである。
中でも特異な位置にあるのが味噌ラーメンで、これもまたついつい食べたくなってしまう。だが……札幌味噌ラーメン専門店がなかなか見当たらない。神保町で宮仕えをしていた頃、会社近くにそんな専門店があって、いそいそ食べに出かけていたが、ラーメン激戦区の宿命かどうか、10年足らずで消えてしまった。
そんな札幌ラーメン専門店が食べさせてくれる味噌ラーメンが好きだ。それは炒めたたっぷりのもやしと野菜が麵の上にのって出てくる豪快さに惹かれるようだし、そんな炒めもやしと味噌のスープが殊のほか相性抜群なのだ。
それなのに今は、奇を衒ってなのか、それともハイクオリティ追及なのか、そのあたりはわからないが、いわゆる普通の味のラーメンが、軽んじられて久しく、それらの影が薄くなってしまっていることのほうがおかしい。
結局、神保町あたりにおけるラーメン屋の乱立と頻繁な開店と閉店の繰り返しは“普通”というものをないがしろにし“普通”を恐れるあまり、愚にもつかない試行錯誤をした揚句の自滅ではないかと密かに考えているのだ。
《ラーメンのトピックス一覧》
匠話§ごつい自動車は苦手 [自動車]
自動車のデザインも世につれて変化してきた。新しいと思っていたデザインも、気がつけば古臭く感じて、時が人間の嗜好を変えていっているようだ。
そして今は“ごつい”デザインの車がトレンドと感じる。だが、ワタシは、ごついデザインの車は好きではない。代表的なのがこいつである。
何というか存在が尊大で、一目見た時から好きではなかった。
そもそも、ごつい車自体には可愛げも愛敬の欠片もなく、個人的には乗りたいとも、外見を見たいとも思わない。というか、車を走らせている時に、背後から上のような車が近づいてきたりしたら“オラオラ!”感満載で、思わず「お先にどうぞ」と譲ってしまいそうになる。それにしても、どうしてこんな上から目線のデザインになったのだろう。
というわけで、これまで乗り継いできた車はといえば、尖ったデザインではなく、どれも比較的丸みを帯びてスマートめなタイプのものばかりである。
そして、今乗っている車が最後のマイカーなのだが、もしも“次”があるのだったら、こんなコンパクトな丸っこいのを選ぶのではないのだろうか……たまに道を走っているこいつを見かけるが、思わず走り去る様子を眺めてしまうくらいだ。
《ドライブのトピックス一覧》
そして今は“ごつい”デザインの車がトレンドと感じる。だが、ワタシは、ごついデザインの車は好きではない。代表的なのがこいつである。
何というか存在が尊大で、一目見た時から好きではなかった。
そもそも、ごつい車自体には可愛げも愛敬の欠片もなく、個人的には乗りたいとも、外見を見たいとも思わない。というか、車を走らせている時に、背後から上のような車が近づいてきたりしたら“オラオラ!”感満載で、思わず「お先にどうぞ」と譲ってしまいそうになる。それにしても、どうしてこんな上から目線のデザインになったのだろう。
というわけで、これまで乗り継いできた車はといえば、尖ったデザインではなく、どれも比較的丸みを帯びてスマートめなタイプのものばかりである。
そして、今乗っている車が最後のマイカーなのだが、もしも“次”があるのだったら、こんなコンパクトな丸っこいのを選ぶのではないのだろうか……たまに道を走っているこいつを見かけるが、思わず走り去る様子を眺めてしまうくらいだ。
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顧話§今日の歴史~音のない音楽~ [クラシック]
1952年8月29日、ジョン・ケージの『4分33秒』初演。
ゲンダイオンガクとは何なのだろう……ストラヴィンスキーの『春の祭典』で思考がストップしている人間にとっては、今だに答えなど出てきてくれていない世界である。
『4分33秒』の存在を知ったのは、クラシック音楽を聴き始めてまだ間もない頃に読んだ音楽の友の記事ではなかっただろうか。
記事には“無音の間のノイズを聴く”とかみたいな御託が書かれていたが、それでもピンとくることはなかった。
4分33秒は3楽章構成のピアノ曲で……
Ⅰ:TACET……33秒
Ⅱ:TACET……1分20秒
Ⅲ:TACET……2分40秒
……と指定されている。TACETは音楽用語で“長い休み”である。
ジョン・ケージ生誕百年を記念して発行された楽譜の写真を貼っておく。
《歴史のトピックス一覧》
ゲンダイオンガクとは何なのだろう……ストラヴィンスキーの『春の祭典』で思考がストップしている人間にとっては、今だに答えなど出てきてくれていない世界である。
『4分33秒』の存在を知ったのは、クラシック音楽を聴き始めてまだ間もない頃に読んだ音楽の友の記事ではなかっただろうか。
記事には“無音の間のノイズを聴く”とかみたいな御託が書かれていたが、それでもピンとくることはなかった。
4分33秒は3楽章構成のピアノ曲で……
Ⅰ:TACET……33秒
Ⅱ:TACET……1分20秒
Ⅲ:TACET……2分40秒
……と指定されている。TACETは音楽用語で“長い休み”である。
ジョン・ケージ生誕百年を記念して発行された楽譜の写真を貼っておく。
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坐話§座席は最後列&通路側 [私事]
演奏会、観劇、そしてスポーツ観戦と、チケットは基本的に発売日の購入を心掛けている。それは、自分たちが座りたいと思う席を確保したいからで、それは“最後列&通路側”という場所なのである。
マンションの角部屋と同じで、両側を人に挟まれるよりは、片方でも通路に面しているほうが気兼ねはないし、何より何か体調が急変したりでもした時に、そっと席を外し、すぐ後ろの出入口から退出することができるからだ。
そして、上に挙げたそれぞれについては、夫婦して上から俯瞰して聴いたり観たりするのが性に合っているので、最後列&通路側が我々の特等席なのである。
そんな定位置に落ち着くまでには、何十年にも及ぶ長い長い道のりがあり、そうして座ってみれば“そうだよ、ここがベストなんだよ!”と今さらながらのように、高みの見物を気楽に満喫するは精神衛生にもよろしい。
ところで通路側の席については、そこを目あての人は多そうだとは思うが、最後列大好きの人がどれほど多いのかは、判断がつきかねる。だがまあまあ狙った席はほぼほぼ確保できていると思うので、そんなものなのかと思う。
《私事のトピックス一覧》
マンションの角部屋と同じで、両側を人に挟まれるよりは、片方でも通路に面しているほうが気兼ねはないし、何より何か体調が急変したりでもした時に、そっと席を外し、すぐ後ろの出入口から退出することができるからだ。
そして、上に挙げたそれぞれについては、夫婦して上から俯瞰して聴いたり観たりするのが性に合っているので、最後列&通路側が我々の特等席なのである。
そんな定位置に落ち着くまでには、何十年にも及ぶ長い長い道のりがあり、そうして座ってみれば“そうだよ、ここがベストなんだよ!”と今さらながらのように、高みの見物を気楽に満喫するは精神衛生にもよろしい。
ところで通路側の席については、そこを目あての人は多そうだとは思うが、最後列大好きの人がどれほど多いのかは、判断がつきかねる。だがまあまあ狙った席はほぼほぼ確保できていると思うので、そんなものなのかと思う。
《私事のトピックス一覧》
行話§天地始粛~七十二候~処暑 [七十二候]
処暑の次候“天地始粛(てんちはじめてさむし)”である。
いや、寒くなんかないってば!
そんなことを感じるのは、本州であれば標高1400mほどの尾瀬ヶ原のような高原地帯くらいのものである。標高が100m上がるごとに0.6度気温が下がるから、東京あたりより8度から9度くらいは涼しいはずだ。
だから、真夏でも尾瀬一帯は最高気温が25度より上にはいかないと言われていたのだが、このところの猛暑で尾瀬でも、最高気温が30度を超えることが珍しくなくなったと聞いた。
地球温暖化の影響を如実に受けるのはもちろん自然界で、今年の尾瀬もまた雪が少なかったりしたことで水芭蕉の群落がちょっとばかり残念だったりしたが、それでもほかの植物ががんばってくれたようで、ワタスゲやニッコウキスゲが咲き誇ってくれたようである。
尾瀬は、立秋の日のタイミングで秋風が吹き出して、湿原に咲く花の種類も少なくなる……そんな時季になってしまった。
《七十二候のトピックス一覧》
いや、寒くなんかないってば!
そんなことを感じるのは、本州であれば標高1400mほどの尾瀬ヶ原のような高原地帯くらいのものである。標高が100m上がるごとに0.6度気温が下がるから、東京あたりより8度から9度くらいは涼しいはずだ。
だから、真夏でも尾瀬一帯は最高気温が25度より上にはいかないと言われていたのだが、このところの猛暑で尾瀬でも、最高気温が30度を超えることが珍しくなくなったと聞いた。
地球温暖化の影響を如実に受けるのはもちろん自然界で、今年の尾瀬もまた雪が少なかったりしたことで水芭蕉の群落がちょっとばかり残念だったりしたが、それでもほかの植物ががんばってくれたようで、ワタスゲやニッコウキスゲが咲き誇ってくれたようである。
尾瀬は、立秋の日のタイミングで秋風が吹き出して、湿原に咲く花の種類も少なくなる……そんな時季になってしまった。
《七十二候のトピックス一覧》
別話§終活のおはなし~古稀目前~ [終活]
[承前]
月が替われば、古稀七十歳を迎える。70年も生きたのかと思う。1954年9月に生まれた。ちなみに出来事としてはこんなことがあった。我が身がこの世に生を享けた直後に起きたのが洞爺丸事故である。
80歳を超えても矍鑠としている先達がゴロゴロいる中にあって、70歳などとはまだまだ若いということなのだろうが、それは“……にしては”といった言い方が付け加わるということを自覚しなくてはならない。
誰でも生き続けていれば70歳、80歳、90歳と歳を重ねていくが、まさかそんな年齢に我が身がなるとは二十代や三十代の頃には想像などできることではなかった。もちろん、漠然と年を取っていくという疑いようなない事実は認識していたけれど。
定年退職から来年で10年となり、まあまあ順調に老後を過ごしている。そして気分的には老後も第2フェーズに入っていくようで、自分自身の勝手な捉え方としては“この先の人生はオマケ”ではないかと感じているのだ。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
月が替われば、古稀七十歳を迎える。70年も生きたのかと思う。1954年9月に生まれた。ちなみに出来事としてはこんなことがあった。我が身がこの世に生を享けた直後に起きたのが洞爺丸事故である。
80歳を超えても矍鑠としている先達がゴロゴロいる中にあって、70歳などとはまだまだ若いということなのだろうが、それは“……にしては”といった言い方が付け加わるということを自覚しなくてはならない。
誰でも生き続けていれば70歳、80歳、90歳と歳を重ねていくが、まさかそんな年齢に我が身がなるとは二十代や三十代の頃には想像などできることではなかった。もちろん、漠然と年を取っていくという疑いようなない事実は認識していたけれど。
定年退職から来年で10年となり、まあまあ順調に老後を過ごしている。そして気分的には老後も第2フェーズに入っていくようで、自分自身の勝手な捉え方としては“この先の人生はオマケ”ではないかと感じているのだ。
[続く]
《老化のトピックス一覧》
栖話§環境優先でした [私事]
ニュータウンと呼ばれて既に半世紀……今や高齢化の一途をたどり続けている我が住居の付近である。
暮らし始めて、気がつけば40年を過ぎてしまった。そしてつくづく暮らしやすいエリアだと感じているのだ。
もちろん一長一短はあって、短所のほうから書くならば、都心からのアクセスで、新宿からは30分ほどだが、歌舞伎座に行こうものなら一時間とか要して、朝もはよから出かけなくてはならないし、夜の部が終演したら、帰宅は22時を回ってしまう。
住環境の短所はといえば山坂の多さで、これはそもそもの地形に沿って意図して開発したから、あまり大きな声で文句は言えない。
さて、いい面についてであるが、まずもって住環境が卓越しているということである。開発された住宅群は多摩丘陵の上に建ち並び、車が走ることのない遊歩道が団地の合間を縫っていく、そしてその遊歩道には、半世紀の間に育ってきた樹木が鬱蒼と、道行く人たちに木陰を形作っている。
都心へのアクセスを取るか、良好な環境を取るか……両方ともをというのは無理に決まっていて、ならばと下した結論は、良好な環境を!なのだった。
気のおけない居酒屋とか蕎麦屋みたいな店があればいいなあと思わないでもないが、そもそもいいとこ取りは無理な話なのである。
《私事のトピックス一覧》
暮らし始めて、気がつけば40年を過ぎてしまった。そしてつくづく暮らしやすいエリアだと感じているのだ。
もちろん一長一短はあって、短所のほうから書くならば、都心からのアクセスで、新宿からは30分ほどだが、歌舞伎座に行こうものなら一時間とか要して、朝もはよから出かけなくてはならないし、夜の部が終演したら、帰宅は22時を回ってしまう。
住環境の短所はといえば山坂の多さで、これはそもそもの地形に沿って意図して開発したから、あまり大きな声で文句は言えない。
さて、いい面についてであるが、まずもって住環境が卓越しているということである。開発された住宅群は多摩丘陵の上に建ち並び、車が走ることのない遊歩道が団地の合間を縫っていく、そしてその遊歩道には、半世紀の間に育ってきた樹木が鬱蒼と、道行く人たちに木陰を形作っている。
都心へのアクセスを取るか、良好な環境を取るか……両方ともをというのは無理に決まっていて、ならばと下した結論は、良好な環境を!なのだった。
気のおけない居酒屋とか蕎麦屋みたいな店があればいいなあと思わないでもないが、そもそもいいとこ取りは無理な話なのである。
《私事のトピックス一覧》
興話§音楽のスコアを眺める・・・・・・だけ [クラシック]
我が家に数十冊のクラシック音楽の交響曲や協奏曲、弦楽四重奏曲などなどのスコアが本棚に収まっている。
初めて買ったスコアは、中学2年くらいの時でドヴォルザークの新世界交響曲だった。なぜスコアを見てみたいと思った最初の動機が何だったのか……それは記憶にはないけれど、テレビでオーケストラのコンサート中継を見た時に、指揮者が眼の前でめくっている“あれ”が何なのか興味を惹かれたのは間違いない。
それから、あのスコアの中に音楽が詰まっているのではと想像して、それを眼にしてみたいと思ったのだろう。そうして、新世界交響曲のスコアを見つけて手に入れたのは、実家近く大通りの商店街の中にあった楽器屋だった。
半世紀以上前の全音楽譜のポケットスコアの表紙は青いビニール装幀で、その当時買ったのは、新世界とベートーヴェンの交響曲第五番の2冊である。
そして……読めないのだ。
音楽を聴きながら、1ページから目を通し始めたが、五線譜に書かれた音符であることはわかっても、それらをどのように読んでいってやればいいのかさっぱりわからなかった。
だが、しばらく同じことを繰り返しているうちに、何となく音楽を聴きながら音符をたどれるようになったのだ。だが、そこ止まりでそれ以上先に進むことはできないまま。
読譜して、頭の中で音楽を鳴らすなどということなどできようはずもなく、音楽を聴きながら楽譜をなぞるだけである。ちょっと音楽を学んだ人たちであれば、調性がどうだとか、様々な情報を楽譜から読み取ることができるところを、素人にして音楽的素養皆無の人間にできることといったらその程度でしかないのだ。
《クラシックのトピックス一覧》
初めて買ったスコアは、中学2年くらいの時でドヴォルザークの新世界交響曲だった。なぜスコアを見てみたいと思った最初の動機が何だったのか……それは記憶にはないけれど、テレビでオーケストラのコンサート中継を見た時に、指揮者が眼の前でめくっている“あれ”が何なのか興味を惹かれたのは間違いない。
それから、あのスコアの中に音楽が詰まっているのではと想像して、それを眼にしてみたいと思ったのだろう。そうして、新世界交響曲のスコアを見つけて手に入れたのは、実家近く大通りの商店街の中にあった楽器屋だった。
半世紀以上前の全音楽譜のポケットスコアの表紙は青いビニール装幀で、その当時買ったのは、新世界とベートーヴェンの交響曲第五番の2冊である。
そして……読めないのだ。
音楽を聴きながら、1ページから目を通し始めたが、五線譜に書かれた音符であることはわかっても、それらをどのように読んでいってやればいいのかさっぱりわからなかった。
だが、しばらく同じことを繰り返しているうちに、何となく音楽を聴きながら音符をたどれるようになったのだ。だが、そこ止まりでそれ以上先に進むことはできないまま。
読譜して、頭の中で音楽を鳴らすなどということなどできようはずもなく、音楽を聴きながら楽譜をなぞるだけである。ちょっと音楽を学んだ人たちであれば、調性がどうだとか、様々な情報を楽譜から読み取ることができるところを、素人にして音楽的素養皆無の人間にできることといったらその程度でしかないのだ。
《クラシックのトピックス一覧》
説話§今日の一言~実は・・・・・・~ [天気]
避雷針
避雷針とは日本語表記であるが、いつ誰がこの単語を創出したものか、探してみたが見当たらない。
だが、どこをどう見ても、雷は避雷針に向かって飛んでくる。ということは避けるのではなく呼び込む……つまり“招雷針”ということではないか。
ちなみに英語では“Lightning Rod”で、直訳すれば“稲妻の棒”なのだが。
上の動画は、そんな巨大な避雷針に向かって収束していく雷之圖である。
《日常のトピックス一覧》
避雷針とは日本語表記であるが、いつ誰がこの単語を創出したものか、探してみたが見当たらない。
だが、どこをどう見ても、雷は避雷針に向かって飛んでくる。ということは避けるのではなく呼び込む……つまり“招雷針”ということではないか。
ちなみに英語では“Lightning Rod”で、直訳すれば“稲妻の棒”なのだが。
上の動画は、そんな巨大な避雷針に向かって収束していく雷之圖である。
《日常のトピックス一覧》
遠話§金教授定年退官 [韓国]
韓国の大学校で医学部教授をしていた金さんが定年退官したようだ。
彼と会ったのは2018年の尾瀬ヶ原龍宮小屋。その経緯についてはこちらを。さらに、神保町好きの教授のために一席設けた話はこちらに。
尾瀬で出会っただけだったら、せいぜいメイルのやり取りをする程度だっただろうが、何というか神保町絡みだったり、クラシック音楽が好きだったりと共通する嗜好があれこれあるという、これはもう日韓友好に勤しむしかないではないか。
しかも!金さんは“痛風”持ちなのだ、不肖我が身も偽痛風の経験があったりして、つい4か月前にそのことが判明したりで、同病相憐れむの士なのである。
メイルには「医学部生時代から40年通った場所なので、まだ実感が湧いてこない」とあったが、さもありなん。
そして間もなく、金さんは尾瀬の人となるはずなのだが、それは尿酸値次第ということなのだ。
《尾瀬のトピックス一覧》
彼と会ったのは2018年の尾瀬ヶ原龍宮小屋。その経緯についてはこちらを。さらに、神保町好きの教授のために一席設けた話はこちらに。
尾瀬で出会っただけだったら、せいぜいメイルのやり取りをする程度だっただろうが、何というか神保町絡みだったり、クラシック音楽が好きだったりと共通する嗜好があれこれあるという、これはもう日韓友好に勤しむしかないではないか。
しかも!金さんは“痛風”持ちなのだ、不肖我が身も偽痛風の経験があったりして、つい4か月前にそのことが判明したりで、同病相憐れむの士なのである。
メイルには「医学部生時代から40年通った場所なので、まだ実感が湧いてこない」とあったが、さもありなん。
そして間もなく、金さんは尾瀬の人となるはずなのだが、それは尿酸値次第ということなのだ。
《尾瀬のトピックス一覧》
週話§日曜流転~眼鏡~ [私事]
初めて眼鏡をかけたのは中学2年の時だった。学校の健康診断で、眼科医から再検査を勧められ、診てもらったところ“遠視性乱視”と出たので、その日のうちに眼鏡店で眼鏡を誂えた。
そんなものかと思いながら、大学に入った頃に眼鏡なしでも問題ないことが自覚できたので、外して生活をしていたが、宮仕えを始めた頃から、文字を読む仕事ゆえ、近視が進んできたことを自覚したが、その近視もそれほどにひどいとは感じられずにいたのである。
30歳になるタイミングで運転免許を取ることになったので、新しく近視用の眼鏡を作ることにして今に至っているが、これまでに10本くらいか。そんな使った眼鏡の推移を見ていると、流行とかに疎い人間であっても、何がなしご時勢の眼鏡をかけていることに気がつく。
そして間もなく眼鏡歴も60年ということか……ブランクはあるけれど。
《私事のトピックス一覧》
そんなものかと思いながら、大学に入った頃に眼鏡なしでも問題ないことが自覚できたので、外して生活をしていたが、宮仕えを始めた頃から、文字を読む仕事ゆえ、近視が進んできたことを自覚したが、その近視もそれほどにひどいとは感じられずにいたのである。
30歳になるタイミングで運転免許を取ることになったので、新しく近視用の眼鏡を作ることにして今に至っているが、これまでに10本くらいか。そんな使った眼鏡の推移を見ていると、流行とかに疎い人間であっても、何がなしご時勢の眼鏡をかけていることに気がつく。
そして間もなく眼鏡歴も60年ということか……ブランクはあるけれど。
《私事のトピックス一覧》
週話§土曜流転~演奏会は2時間~ [クラシック]
もちろん伸び縮みはあるが、大雑把にクラシックの演奏会は2時間である。オペラやバレエだったら3時間とか4時間、ワーグナーの楽劇であれば5時間から6時間を要することもある。
日本における夜のコンサートの場合、19時に開演、21時が終演時刻である。欧米では、これから一時間遅い開演時刻が一般的である。もちろんマチネーも同様。
かつてお約束的にあった典型的なプログラム構成は、序曲や前奏曲が10分、協奏曲が30分、そこに20分の休憩を挟んで、最後に40~50分ほどの交響曲でちょうど2時間というもの。
そして、そこに様々な要素が入る。たとえばブルックナーやマーラーなどの交響曲は、短くても70分から90分くらいを要するので、休憩なしの一本勝負ということも珍しくない。
記憶の限りだが、オーケストラの演奏会で最も公演時間が短かったと思われるのは、1987年のザルツブルク音楽祭でカラヤンがベルリンフィルを振ってのタンホイザー序曲(約15分)、ジークフリート牧歌(約20分)、そしてトリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死(約20分)と一時間足らず……おそらくは休憩なしで3曲演奏しておしまいだったのではないか。
これでチケット代が他と同じでは身も蓋もないなあとは、その当時に思ったことである。
《クラシックのトピックス一覧》
日本における夜のコンサートの場合、19時に開演、21時が終演時刻である。欧米では、これから一時間遅い開演時刻が一般的である。もちろんマチネーも同様。
かつてお約束的にあった典型的なプログラム構成は、序曲や前奏曲が10分、協奏曲が30分、そこに20分の休憩を挟んで、最後に40~50分ほどの交響曲でちょうど2時間というもの。
そして、そこに様々な要素が入る。たとえばブルックナーやマーラーなどの交響曲は、短くても70分から90分くらいを要するので、休憩なしの一本勝負ということも珍しくない。
記憶の限りだが、オーケストラの演奏会で最も公演時間が短かったと思われるのは、1987年のザルツブルク音楽祭でカラヤンがベルリンフィルを振ってのタンホイザー序曲(約15分)、ジークフリート牧歌(約20分)、そしてトリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死(約20分)と一時間足らず……おそらくは休憩なしで3曲演奏しておしまいだったのではないか。
これでチケット代が他と同じでは身も蓋もないなあとは、その当時に思ったことである。
《クラシックのトピックス一覧》
破話§いい加減に水分摂取! [日本]
中学で部活をしていた時だから、既に半世紀以上前のことである。夏休みも午前中は部活に出ていって、真夏日の日向でボールを追いかけまわしていたのだ。
下級生だった時、上級生から「部活中に水は飲むな」と“指導”されていて当時はそんなものかと思いつつ、最初の一時間くらいは、殊勝に言いつけを守っていたのだが、当たり前だが喉は渇く。
だからトイレに行くのにかこつけて、こっそり水を飲んでいたのは、誰もが同じことをしていたと確信している。
そして21世紀の今、暑さ対策で水分摂取が強く推奨されているのは言うまでももないことだが、相も変わらず“水飲むな”信仰らしきものが時折だが首をもたげて現れるのはいかなることかと思う。
しかも校則とやらを振りかざして、ペットボトルを買うことに難を唱える教師がいるというのに及んでは、何か事が起きた時にどのような言い訳をするつもりなのか?である。
水を飲むと体力が奪われるとか、いったい何に囚われているのだろうかと、もしもそうした現場に出くわしたならば“大人”の対応をしようと決めているのだ。
《日本のトピックス一覧》
下級生だった時、上級生から「部活中に水は飲むな」と“指導”されていて当時はそんなものかと思いつつ、最初の一時間くらいは、殊勝に言いつけを守っていたのだが、当たり前だが喉は渇く。
だからトイレに行くのにかこつけて、こっそり水を飲んでいたのは、誰もが同じことをしていたと確信している。
そして21世紀の今、暑さ対策で水分摂取が強く推奨されているのは言うまでももないことだが、相も変わらず“水飲むな”信仰らしきものが時折だが首をもたげて現れるのはいかなることかと思う。
しかも校則とやらを振りかざして、ペットボトルを買うことに難を唱える教師がいるというのに及んでは、何か事が起きた時にどのような言い訳をするつもりなのか?である。
水を飲むと体力が奪われるとか、いったい何に囚われているのだろうかと、もしもそうした現場に出くわしたならば“大人”の対応をしようと決めているのだ。
《日本のトピックス一覧》
連話§ワタシの酒肴[187]ハンバーグ [酒肴]
[承前]
ハンバーグが嫌いな人……手を挙げて!
“いない”ということにして先に進むことにしよう。初めてハンバーグを食べたのがいつのことだったか、意外にもかなり正確に記憶していると思う。それは、小学校の入学式の帰りで、両親が世話になっていた町一番の洋食屋に行った時、ちょうど昼飯時だったので、店主が入学祝いにお昼ご飯を出してくれたのだ。
お子様ランチのような設えで、そんな中に肉団子くらいの大きさの挽肉料理が入っていたのだが、今思えば間違いなくハンバーグなのだった。
そして、それを最後にハンバーグの空白期が続く。長いブランクを経て、その次に食べたのがいつのことだったか、とんと記憶がない。何しろ、外食をほとんどしない実家だったので、ハンバーグにありつこうにも、そのチャンスがなかったのである。
今思えば、その“ハンバーグ”とやらは、レトルト製品ではなかったかと記憶をたどるのだ。そしてそれは、昔食べたハンバーグとは似ても似つかない別物だったのだ。
今、ハンバーグを食べる機会は多く、神保町のランチョンに行った時の多くは自慢メンチカツを注文するが、時にハンバーグ食べたい!の虫が騒いで、目玉焼きがお約束でトッピングされた真っ当そのもののハンバーグを頼むのである。
[続く]
《酒肴のトピックス一覧》
ハンバーグが嫌いな人……手を挙げて!
“いない”ということにして先に進むことにしよう。初めてハンバーグを食べたのがいつのことだったか、意外にもかなり正確に記憶していると思う。それは、小学校の入学式の帰りで、両親が世話になっていた町一番の洋食屋に行った時、ちょうど昼飯時だったので、店主が入学祝いにお昼ご飯を出してくれたのだ。
お子様ランチのような設えで、そんな中に肉団子くらいの大きさの挽肉料理が入っていたのだが、今思えば間違いなくハンバーグなのだった。
そして、それを最後にハンバーグの空白期が続く。長いブランクを経て、その次に食べたのがいつのことだったか、とんと記憶がない。何しろ、外食をほとんどしない実家だったので、ハンバーグにありつこうにも、そのチャンスがなかったのである。
今思えば、その“ハンバーグ”とやらは、レトルト製品ではなかったかと記憶をたどるのだ。そしてそれは、昔食べたハンバーグとは似ても似つかない別物だったのだ。
今、ハンバーグを食べる機会は多く、神保町のランチョンに行った時の多くは自慢メンチカツを注文するが、時にハンバーグ食べたい!の虫が騒いで、目玉焼きがお約束でトッピングされた真っ当そのもののハンバーグを頼むのである。
[続く]
《酒肴のトピックス一覧》
行話§綿柎開~七十二候~処暑 [七十二候]
処暑の初候“綿柎開(わたのはなしべひらく)”である。
日の出は5時を過ぎ、日没は18時半より早まった。時間的には秋になってきたと思うが、もちろん世間は暑い日々のまま。
相変わらずヒグラシが我が家周辺から姿を消したままで、それだけでも秋を感じさせてくれていたのだが……いつの日か戻ってきてくれることがあるだろうか。
暦的には晩夏から初秋の趣だが、目の当たりにする風景は夏の陽盛りが延々と続いている。
《七十二候のトピックス一覧》
日の出は5時を過ぎ、日没は18時半より早まった。時間的には秋になってきたと思うが、もちろん世間は暑い日々のまま。
相変わらずヒグラシが我が家周辺から姿を消したままで、それだけでも秋を感じさせてくれていたのだが……いつの日か戻ってきてくれることがあるだろうか。
暦的には晩夏から初秋の趣だが、目の当たりにする風景は夏の陽盛りが延々と続いている。
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仏話§シャンソンを聴いていた [フランス]
フランス語など、いくつかの単語くらいしか知らないが、なぜかシャンソンに惹かれてしまった……謎である。
日本語に訳されたその歌詞の、いかにもフランスらしいエスプリがシャンソンの真髄だと気がついたのは、ずいぶん後になってのこと。そして来日した何人かの歌い手のライブに出かけたことがあって、シャルル・アズナヴールに始まり、ジュリエット・グレコ、レオ・フェレといった面々だった。
そんな中で、とりわけ印象深かったのがコラ・ヴォケールとイヴ・モンタンの二人。特にコラ・ヴォケールは、たまたまテレビで放送していた来日公演を見て、こんな歌い手がいるのかと驚いて、その後来日するたびに草月ホールやシアターコクーンなどに足を運んだ。
さらにイヴ・モンタンは、1982年11月に新宿厚生年金で行われたライブに出かけている。二人とも、さり気ない動きで歌の中身を巧みに表現する様子が印象的だった。
そんなイヴ・モンタンが歌ったのが『パリで(à Paris)』である。歌詞の最後あたりには“俺たちがバスチーユ広場を占拠して以来、あちらこちらの大通りやら十字路に、男たちがそして女たちもいて、舗道の上をたえず昼も夜も巡り巡る”と、フランス革命が登場するが、まさに“これぞシャンソン”なのだと思うのである。
《フランスのトピックス一覧》
日本語に訳されたその歌詞の、いかにもフランスらしいエスプリがシャンソンの真髄だと気がついたのは、ずいぶん後になってのこと。そして来日した何人かの歌い手のライブに出かけたことがあって、シャルル・アズナヴールに始まり、ジュリエット・グレコ、レオ・フェレといった面々だった。
そんな中で、とりわけ印象深かったのがコラ・ヴォケールとイヴ・モンタンの二人。特にコラ・ヴォケールは、たまたまテレビで放送していた来日公演を見て、こんな歌い手がいるのかと驚いて、その後来日するたびに草月ホールやシアターコクーンなどに足を運んだ。
さらにイヴ・モンタンは、1982年11月に新宿厚生年金で行われたライブに出かけている。二人とも、さり気ない動きで歌の中身を巧みに表現する様子が印象的だった。
そんなイヴ・モンタンが歌ったのが『パリで(à Paris)』である。歌詞の最後あたりには“俺たちがバスチーユ広場を占拠して以来、あちらこちらの大通りやら十字路に、男たちがそして女たちもいて、舗道の上をたえず昼も夜も巡り巡る”と、フランス革命が登場するが、まさに“これぞシャンソン”なのだと思うのである。
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米話§一升瓶とワタシ [日本酒]
一升瓶は豪快である。
できれば一升瓶からグラスになみなみと注いで、ぐびぐびしたいものだとは今でも考えていることだが、残念ながら四合瓶を冷蔵庫でちまちまと冷やしているに過ぎない。
といっても、一升瓶を買うのは年に一度もない。理由は、冷蔵スペースには入ってくれず、入れられるのは野菜庫だけで、何となく遠慮がちになってしまうのだ。
そして一升瓶も四合瓶も、中身に変わりがあるわけでもなく、ただ単に気分的な理由で一升瓶LOVE!というだけなのは言うまでもない。
もちろん一升瓶を一晩で空けたなどということは一度もない。半分すら空けたこともなく、四合ほど呑んだらひっくり返ってしまった程度の、ライトな酒呑みで終わってしまった。
だから、一升を空けてケロリとしている人を見ると、何だか別世界から来た存在ではないかと感じる。
そうした人たちは、豪快にぐびぐび!杯を重ねているのかというと、そんなことはなく、静かにかつ淡々と呑み続けていて、だからこそ恐ろしいのだ。
かくして、ピーク時であっても三合そこそこで出来上がってしまった我が身としては、何とまあ安上がりであったことよと、遠い遠い眼で眺めている。
《日本酒のトピックス一覧》
できれば一升瓶からグラスになみなみと注いで、ぐびぐびしたいものだとは今でも考えていることだが、残念ながら四合瓶を冷蔵庫でちまちまと冷やしているに過ぎない。
といっても、一升瓶を買うのは年に一度もない。理由は、冷蔵スペースには入ってくれず、入れられるのは野菜庫だけで、何となく遠慮がちになってしまうのだ。
そして一升瓶も四合瓶も、中身に変わりがあるわけでもなく、ただ単に気分的な理由で一升瓶LOVE!というだけなのは言うまでもない。
もちろん一升瓶を一晩で空けたなどということは一度もない。半分すら空けたこともなく、四合ほど呑んだらひっくり返ってしまった程度の、ライトな酒呑みで終わってしまった。
だから、一升を空けてケロリとしている人を見ると、何だか別世界から来た存在ではないかと感じる。
そうした人たちは、豪快にぐびぐび!杯を重ねているのかというと、そんなことはなく、静かにかつ淡々と呑み続けていて、だからこそ恐ろしいのだ。
かくして、ピーク時であっても三合そこそこで出来上がってしまった我が身としては、何とまあ安上がりであったことよと、遠い遠い眼で眺めている。
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済話§放漫家計?・・・・・・ではないぞ? [私事]
結婚してこのかた、我が家の“金庫番”を務め続けている。加えて、ザルの家計会計担当でもある。
結婚して同居を始めて以来、基本的な家計管理は変わっていない。宮仕えをしていた当時、会社からの給料は金融機関2口座に配分されていた。一つは光熱費、保険、税金、マンション管理費などの支払いに、もう一つは、一般家計費や小遣い、クレジットカード決済用というものだ。
そしてそれぞれ、月に振り込んでもらう額を一定に決めて、その予算範囲内で月々を差配しつつ、そこからはみ出た分は、会社の財形貯蓄などの貯蓄に振り向けていた。
自分なりの客観的観察を続けていた限りでも、むしろ引き締め気味の家計運営をしていたのは間違いない。
ただし、家計簿のようなものはつけていなかったから、支出の細かい費目は把握していなかったが、毎月決まった額以上に支出することは、可能な限り抑え込んでいたのだ。
外から見れば放漫会計(家計)と見えたかもしれないが、この程度の差配でもうまく運営できたのは、まずもって巨額の支出に関しては監視の眼を光らせていて、どうしてもそうした支払いが必要になった時は、夫婦で緩やかながら認証して進めるようにしていたのだった。
《私事のトピックス一覧》
結婚して同居を始めて以来、基本的な家計管理は変わっていない。宮仕えをしていた当時、会社からの給料は金融機関2口座に配分されていた。一つは光熱費、保険、税金、マンション管理費などの支払いに、もう一つは、一般家計費や小遣い、クレジットカード決済用というものだ。
そしてそれぞれ、月に振り込んでもらう額を一定に決めて、その予算範囲内で月々を差配しつつ、そこからはみ出た分は、会社の財形貯蓄などの貯蓄に振り向けていた。
自分なりの客観的観察を続けていた限りでも、むしろ引き締め気味の家計運営をしていたのは間違いない。
ただし、家計簿のようなものはつけていなかったから、支出の細かい費目は把握していなかったが、毎月決まった額以上に支出することは、可能な限り抑え込んでいたのだ。
外から見れば放漫会計(家計)と見えたかもしれないが、この程度の差配でもうまく運営できたのは、まずもって巨額の支出に関しては監視の眼を光らせていて、どうしてもそうした支払いが必要になった時は、夫婦で緩やかながら認証して進めるようにしていたのだった。
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