刻話§記憶力のいいところ、そうでないところ [記憶]
定年退職このかた、鋼鉄の記憶力もすっかり赤錆びてしまったようである。
一度衰えてしまった能力を復活させるのは、まずもって不可能であることは間違いない。こうなってしまった以上は、可能な限り食いとめるしかない。
何度か書いていることだが、直近……昨日のこととか、数時間前のこととかの記憶が抜け落ちてしまったりするのに、何十年も前の些末なことを覚えているというのは、いかなる脳内メモリーの為せる技なのか。
もちろんのことながら、忘却の彼方へと消えていってしまった記憶などは、限りなく存在している。覚えているようでいて覚えていないのは、宮仕えの日々のようなもので、37年半というもの、あれだけせっせと通って仕事していたのは間違いないのに、そうした中の細かいあれこれなど覚えていない。
忘れたい物事だけを忘れてくれて、必要なものは留めておく……そんな都合のいい記憶力などあろうはずなどないことはわかっているが、そのあたりの使い分けができてくれればなあと、昨日のことすら忘れてしまった自分を恨みがましく思うのである。
《私事のトピックス一覧》
一度衰えてしまった能力を復活させるのは、まずもって不可能であることは間違いない。こうなってしまった以上は、可能な限り食いとめるしかない。
何度か書いていることだが、直近……昨日のこととか、数時間前のこととかの記憶が抜け落ちてしまったりするのに、何十年も前の些末なことを覚えているというのは、いかなる脳内メモリーの為せる技なのか。
もちろんのことながら、忘却の彼方へと消えていってしまった記憶などは、限りなく存在している。覚えているようでいて覚えていないのは、宮仕えの日々のようなもので、37年半というもの、あれだけせっせと通って仕事していたのは間違いないのに、そうした中の細かいあれこれなど覚えていない。
忘れたい物事だけを忘れてくれて、必要なものは留めておく……そんな都合のいい記憶力などあろうはずなどないことはわかっているが、そのあたりの使い分けができてくれればなあと、昨日のことすら忘れてしまった自分を恨みがましく思うのである。
《私事のトピックス一覧》
宴話§文月七月終了 [日常]
そして暑い夏はまだまだ続く。
……そう書いて終わりにしたいが、四百字でまとめることを基本としている拙ブログであるがゆえに、もう少し色を付けていかなくてはならない。だが週末に7月終了のエントリーを書いているから、もう少し違った中身でまとめる必要がある。
そういえば、一か月前の6月終わりのことである。我々とはほぼ40歳年下の従甥(じゅうせい=従妹の長男)が結婚するというので、少しばかり気張った祝いの席を設定した。
20歳下くらいだったら、会社の部下とかがそんな年齢だったりするから、何とか会話は成立するが、はてさて40歳下となると、経験などはない。なので例えば“説教めいた話はしない”とか“自慢話らしいことも話さない”とか自戒を込めて臨んだ。
まあまあ、新婚夫婦も気を遣ってくれていたようで、こちらの話に耳を傾けてくれたのだった。それはありがたかったのだが、少しは“自分たちは”みたいな話をしてくれればありがたかった……何というか、こちらばかりが自分の話をしていたような気がしないでもなかったのである。
それでも3時間ほどの席の間は緩むことはなく無事に終わってくれたが、さすがに疲れたのだった。まあ要するに、我々のほうが気を遣っていたのだ。
《日常のトピックス一覧》
……そう書いて終わりにしたいが、四百字でまとめることを基本としている拙ブログであるがゆえに、もう少し色を付けていかなくてはならない。だが週末に7月終了のエントリーを書いているから、もう少し違った中身でまとめる必要がある。
そういえば、一か月前の6月終わりのことである。我々とはほぼ40歳年下の従甥(じゅうせい=従妹の長男)が結婚するというので、少しばかり気張った祝いの席を設定した。
20歳下くらいだったら、会社の部下とかがそんな年齢だったりするから、何とか会話は成立するが、はてさて40歳下となると、経験などはない。なので例えば“説教めいた話はしない”とか“自慢話らしいことも話さない”とか自戒を込めて臨んだ。
まあまあ、新婚夫婦も気を遣ってくれていたようで、こちらの話に耳を傾けてくれたのだった。それはありがたかったのだが、少しは“自分たちは”みたいな話をしてくれればありがたかった……何というか、こちらばかりが自分の話をしていたような気がしないでもなかったのである。
それでも3時間ほどの席の間は緩むことはなく無事に終わってくれたが、さすがに疲れたのだった。まあ要するに、我々のほうが気を遣っていたのだ。
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莢話§枝豆とビール [枝豆]
揚げ物とビール、餃子とビール……それらはすべて温かい料理だが、冷製で最強といえば、枝豆にとどめを刺すことに異論のある人間はいないだろう。
まさに枝豆こそ、呑み助に遣わされた“天の配剤”ではないか。今年我が家では、6月に入った頃からスーパーに並び始めた各地の枝豆を茹でて楽しんできたが、個人的な本命は群馬の天狗枝豆がイチ推しである。それは、何より実入りがグラマラスで、食感にボリュームがあって、満足感が高いのだ。
それに比べると、味わいはあるのだろうが、だだちゃ豆などは、少しばかり実入りが貧弱と感じられる時があって、やはり天狗に軍配をあげてしまう。何というか、食べ応えあるのは圧倒的に天狗枝豆のほうだと思うのである。
そして、やはり夏らしいビールの肴として揺るぎない地位を占めているということか。
以前は鍋一杯の湯を沸かして茹でていたが、何年か前からは、フライパンに両端を切った枝豆を並べて水をひたひたに張り、軽く塩を振って4分ほど、湯が蒸発する頃合いまで茹でてやるのが簡単で佳き。
《酒肴のトピックス一覧》
まさに枝豆こそ、呑み助に遣わされた“天の配剤”ではないか。今年我が家では、6月に入った頃からスーパーに並び始めた各地の枝豆を茹でて楽しんできたが、個人的な本命は群馬の天狗枝豆がイチ推しである。それは、何より実入りがグラマラスで、食感にボリュームがあって、満足感が高いのだ。
それに比べると、味わいはあるのだろうが、だだちゃ豆などは、少しばかり実入りが貧弱と感じられる時があって、やはり天狗に軍配をあげてしまう。何というか、食べ応えあるのは圧倒的に天狗枝豆のほうだと思うのである。
そして、やはり夏らしいビールの肴として揺るぎない地位を占めているということか。
以前は鍋一杯の湯を沸かして茹でていたが、何年か前からは、フライパンに両端を切った枝豆を並べて水をひたひたに張り、軽く塩を振って4分ほど、湯が蒸発する頃合いまで茹でてやるのが簡単で佳き。
《酒肴のトピックス一覧》
華話§藤山直美『はなのお六』七夕喜劇まつり [舞台]
東京の最高気温が35度を超えた猛暑の土曜日、朝から新橋演舞場に行ってきた。お目当てはもちろん直美ちゃんである。
それにしても暑かった。地下鉄東銀座の駅から地上に出たら、容赦ない陽射しに、思わず持っていた雨用の折り畳み傘拡げてしまったくらい。そして、七夕喜劇まつりもこの日と翌日の千秋楽を残すばかり。
開演11時の一本目は『唐木の看板』という一時間足らずの舞台。江戸と大坂それぞれに住む許婚が東海道をすったもんだの揚句、めでたしめでたしとなるのだが、直美ちゃんは出ず、歌舞伎から市村萬次郎、中村亀鶴、澤村宗之介といった面々が登場したのだが、どうもこの日の客席は、歌舞伎役者である彼らを知らないような反応で、軽いジャブが飛んできた程度で終わった。
休憩後『はなのお六』で藤山直美をたっぷりと堪能。奈良の吉野から一旗揚げようと江戸にやって来たお六が、類稀な嗅覚を活かして行方知れずになっていた三つ葉葵の白旗を見つけ出して出世するという話。結末あたりについては突っ込みたくならないでもないが、そこは喜劇ということで。
脇を萬次郎、亀鶴、宗之助たちが囲んだことで、舞台が締まり、直美ちゃんの奔放な芝居が炸裂……理屈不要でしっかりと笑わせてもらいました。
芝居に対しての反射神経の鋭さが、台詞にも所作にも完璧に活かされて、何というか“天才肌”だよなあとしみじみ。
終演は14時、劇場から出れば陽盛りの午後であった。
《歌舞伎のトピックス一覧》
それにしても暑かった。地下鉄東銀座の駅から地上に出たら、容赦ない陽射しに、思わず持っていた雨用の折り畳み傘拡げてしまったくらい。そして、七夕喜劇まつりもこの日と翌日の千秋楽を残すばかり。
開演11時の一本目は『唐木の看板』という一時間足らずの舞台。江戸と大坂それぞれに住む許婚が東海道をすったもんだの揚句、めでたしめでたしとなるのだが、直美ちゃんは出ず、歌舞伎から市村萬次郎、中村亀鶴、澤村宗之介といった面々が登場したのだが、どうもこの日の客席は、歌舞伎役者である彼らを知らないような反応で、軽いジャブが飛んできた程度で終わった。
休憩後『はなのお六』で藤山直美をたっぷりと堪能。奈良の吉野から一旗揚げようと江戸にやって来たお六が、類稀な嗅覚を活かして行方知れずになっていた三つ葉葵の白旗を見つけ出して出世するという話。結末あたりについては突っ込みたくならないでもないが、そこは喜劇ということで。
脇を萬次郎、亀鶴、宗之助たちが囲んだことで、舞台が締まり、直美ちゃんの奔放な芝居が炸裂……理屈不要でしっかりと笑わせてもらいました。
芝居に対しての反射神経の鋭さが、台詞にも所作にも完璧に活かされて、何というか“天才肌”だよなあとしみじみ。
終演は14時、劇場から出れば陽盛りの午後であった。
《歌舞伎のトピックス一覧》
籤話§運がいいのか悪いのか [日常]
ちょうど一か月前のことである。ショッピングセンターで恒例の福引大会が行われた。お買い上げ3000円で一回ガラポンを回せる。今回は珍しく5回分の抽選券が貯まった。
会期終了近くに抽選会場に行けば、3台並んだガラポンには三々五々お客さんがガラポンを回している。会場に近づいた時、盛大に鐘が鳴らされて、いい賞品が当たったと知る。
というわけで我が順番となり、ガラポンを回す手にも力が入る……ほどのこともなく、最初に出てきたのは、漏れなく当たる参加賞のティッシュ。まあこんなものだと回し続けると、2個目から5個目まで玉の色が違っていた。
と思っていると、耳元で鐘が鳴らされて「おめでとーございますー!」という係員の声。何が当たったのかと思えば、期間中400名に当たる“夏の味わい賞”それに1万人に当たる“ハッピー賞”が3本という、久々に引きの強さを見せつけたのだ。
それぞれ選べるようになっていたので、味わい賞は三時のおやつ用の菓子、ハッピー賞はキッチンの消耗品をいただき、意気揚々と凱旋したのである。
《私事のトピックス一覧》
会期終了近くに抽選会場に行けば、3台並んだガラポンには三々五々お客さんがガラポンを回している。会場に近づいた時、盛大に鐘が鳴らされて、いい賞品が当たったと知る。
というわけで我が順番となり、ガラポンを回す手にも力が入る……ほどのこともなく、最初に出てきたのは、漏れなく当たる参加賞のティッシュ。まあこんなものだと回し続けると、2個目から5個目まで玉の色が違っていた。
と思っていると、耳元で鐘が鳴らされて「おめでとーございますー!」という係員の声。何が当たったのかと思えば、期間中400名に当たる“夏の味わい賞”それに1万人に当たる“ハッピー賞”が3本という、久々に引きの強さを見せつけたのだ。
それぞれ選べるようになっていたので、味わい賞は三時のおやつ用の菓子、ハッピー賞はキッチンの消耗品をいただき、意気揚々と凱旋したのである。
《私事のトピックス一覧》
疲話§歳は取りたくない・・・・・・わけでは [老化]
……2か月後には古稀を迎える。えー!70年も生きてきちゃったわけ?と、
まじで驚いてしまう。
そして思い返す“過去”の何と多いこと。60年前は小学校4年で東京オリンピックのテレビ中継を見ていたわけだし、50年前は大学に入っていたのだ。
そして40年前には会社に入って6年目、結婚もして働かされ盛りだったが、10年後は、仕事がまったくうまくいってくれない、超スランプ期にあった。
などなどと、懐かしいとか感慨に浸ることもなく淡々と来し方を思い返しながら、かつてはそれなりに持ち合わせていた体力について、第一番に懐かしく思い出すのである。
それは、とりわけ海外旅行中の行動に顕著に表れていて、10日足らずのアルプス端っこの滞在中に、低山歩きとか、往復15kmほどのハイキングとか、特に考えることもなく歩き回ったり……それに、10年ほど前の6月は、今ほど猛暑のヨーロッパではなかったのだが。
それが、最後の数年の行動範囲の狭くなっていったことよ。前述したとおりで、2010年代に入ると、ヨーロッパの猛暑はいよいよ厳しく、我々の年齢に加えて、気象条件の悪化が最低限の遊びしかせず、ホテルの部屋で停滞してみたり、体力温存にこれ努めるという有様になってしまった。
それにしても、昨今の気象状況が我々高齢者の体力を奪っているのは間違いない。
《老化のトピックス一覧》
まじで驚いてしまう。
そして思い返す“過去”の何と多いこと。60年前は小学校4年で東京オリンピックのテレビ中継を見ていたわけだし、50年前は大学に入っていたのだ。
そして40年前には会社に入って6年目、結婚もして働かされ盛りだったが、10年後は、仕事がまったくうまくいってくれない、超スランプ期にあった。
などなどと、懐かしいとか感慨に浸ることもなく淡々と来し方を思い返しながら、かつてはそれなりに持ち合わせていた体力について、第一番に懐かしく思い出すのである。
それは、とりわけ海外旅行中の行動に顕著に表れていて、10日足らずのアルプス端っこの滞在中に、低山歩きとか、往復15kmほどのハイキングとか、特に考えることもなく歩き回ったり……それに、10年ほど前の6月は、今ほど猛暑のヨーロッパではなかったのだが。
それが、最後の数年の行動範囲の狭くなっていったことよ。前述したとおりで、2010年代に入ると、ヨーロッパの猛暑はいよいよ厳しく、我々の年齢に加えて、気象条件の悪化が最低限の遊びしかせず、ホテルの部屋で停滞してみたり、体力温存にこれ努めるという有様になってしまった。
それにしても、昨今の気象状況が我々高齢者の体力を奪っているのは間違いない。
《老化のトピックス一覧》
週話§日曜流転~7月おしまい!~ [日常]
今年も残すところ5か月となった。
それにしてもおかしな夏である。6月頃、最高気温30度の真夏日になるというのに、空気はどことなく涼しいと感じて、うっかりするとだまされそうになってしまうが、油断はできない、ただ、何とも不思議な空気と感じさせる夏である。
日本のラグビーはシーズンオフではあるが、ぽつぽつとテストマッチが行われている。先週は北海道でイタリアを相手に一試合。来月は、パシフィックネーションズカップ2024のプール戦があって、息を抜くことはできない。
何とかプロ化をとラグビー協会は鼻息を荒くはするが、この流れがきちんと定着してくれるかどうかは、今だに未知数ではなかろうか。
……そして夏はまだまだ続く。
《日常のトピックス一覧》
それにしてもおかしな夏である。6月頃、最高気温30度の真夏日になるというのに、空気はどことなく涼しいと感じて、うっかりするとだまされそうになってしまうが、油断はできない、ただ、何とも不思議な空気と感じさせる夏である。
日本のラグビーはシーズンオフではあるが、ぽつぽつとテストマッチが行われている。先週は北海道でイタリアを相手に一試合。来月は、パシフィックネーションズカップ2024のプール戦があって、息を抜くことはできない。
何とかプロ化をとラグビー協会は鼻息を荒くはするが、この流れがきちんと定着してくれるかどうかは、今だに未知数ではなかろうか。
……そして夏はまだまだ続く。
《日常のトピックス一覧》
行話§土潤溽暑~七十二候~大暑 [七十二候]
大暑の次候“土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)”である。
7月最終土曜日である。そして本当に蒸し暑い。老人ではあれども、暑いということは暑いと感じるので、そうなったら迷わずエアコンのスイッチを入れて涼んでいるのだ。
老人は暑さを感じない……だから熱中症にかかりやすいというのだが、こと我々に関しては“今のところ”暑いものは暑いと感じてくれるので、ここはきちんとエアコンのお世話になっている。
電気代ははね上がってしまうが、一年12か月で均せばと思うことにしているが、まあよくしたもので、夏の間はガス代が下がって、結局のところ相殺で“行って来い”になってくれる……物事は考えようなのだ。
《七十二候のトピックス一覧》
7月最終土曜日である。そして本当に蒸し暑い。老人ではあれども、暑いということは暑いと感じるので、そうなったら迷わずエアコンのスイッチを入れて涼んでいるのだ。
老人は暑さを感じない……だから熱中症にかかりやすいというのだが、こと我々に関しては“今のところ”暑いものは暑いと感じてくれるので、ここはきちんとエアコンのお世話になっている。
電気代ははね上がってしまうが、一年12か月で均せばと思うことにしているが、まあよくしたもので、夏の間はガス代が下がって、結局のところ相殺で“行って来い”になってくれる……物事は考えようなのだ。
《七十二候のトピックス一覧》
週話§土曜流転~対応に困る~ [私事]
もう半世紀以上一度も顔を合わせたことのない、保育園から中学校までの同級生から突然電話がかかってきたのは15年ほども前のことだっただろうか。
おや、珍しい&懐かしいと思いながら会話を始めたのだが、しばらく話していたら、どうも様子がおかしい。
何を言うかと思っていたら「幹事をやっているから、次の同窓会に出て」と言う。それ以前に2回同窓会に出たが、その時も幹事はおろか出席すらしていないのだ。
それから先は、おざなりな対応に終始して電話を切ったのだった。その次に電話がかかってきたのは3年前。話す内容も以前と似たようなもので、これはやっぱりおかしいと、LINEで繋がっている地元の同級生に確かめると……案の定というか、同窓会名簿を見ては同級生に電話をかけまくっていたというのである。
あまり頻繁にかかってくるものだから、電話に出なくなったり着信拒否までする同級生も少なくないとか。
本人にしか窺い知れない心の闇があるのは間違いないが、こちらにはこちらの事情もあって、申し訳ないことながら電話に出ることは遠慮させてもらうことにした。保育園のクリスマス会で一緒に並んでお遊戯をした彼の名前は電話機の“出ない”リストに入っているのである。そして思い出す言葉……
関わるのは……やめよう
《日常のトピックス一覧》
おや、珍しい&懐かしいと思いながら会話を始めたのだが、しばらく話していたら、どうも様子がおかしい。
何を言うかと思っていたら「幹事をやっているから、次の同窓会に出て」と言う。それ以前に2回同窓会に出たが、その時も幹事はおろか出席すらしていないのだ。
それから先は、おざなりな対応に終始して電話を切ったのだった。その次に電話がかかってきたのは3年前。話す内容も以前と似たようなもので、これはやっぱりおかしいと、LINEで繋がっている地元の同級生に確かめると……案の定というか、同窓会名簿を見ては同級生に電話をかけまくっていたというのである。
あまり頻繁にかかってくるものだから、電話に出なくなったり着信拒否までする同級生も少なくないとか。
本人にしか窺い知れない心の闇があるのは間違いないが、こちらにはこちらの事情もあって、申し訳ないことながら電話に出ることは遠慮させてもらうことにした。保育園のクリスマス会で一緒に並んでお遊戯をした彼の名前は電話機の“出ない”リストに入っているのである。そして思い出す言葉……
関わるのは……やめよう
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廻話§緑の海の街の今 [日常]
開発が始まって半世紀になろうとする我がエリアである。元々は田畑と林のエリアだったが、開発によって大規模団地が建ち、地域ごとに学校や商店街が設備された。
そうして、その当時の写真を見ると、団地や小学校などの周囲にはようやく植栽が施されたばかりで、あたかも禿山の如く、直射日光に当たりっぱなしだし、寒い北風は吹き放題の荒涼とした世界だったことに驚かされたのだ。
そんな地域も40年経てば、木々は成長して鬱蒼とした緑の海が出現し、まさに緑蔭都市の名にふさわしいと言えるまでになったのである。
確かに、地域が誕生して以来住み続けてきた人たちには高齢化が進み、死を迎える人も増えてきた。そうして町もまた相応に老いていっているのだが、何よりかけがえがないのが、そうして淡々と成長を続けてきた緑の木々たちなのだ。
もちろん、半世紀も経てば元気だと思われていた木々も老木となり、中には病気になって朽ち果て、春になると咲き誇って楽しませてくれていた桜の木も気がつくと切られてなくなってしまっていたりする。
半世紀という月日は様々な営みを繰り返しつつ、成長から喪失、そして再生へと連なっていくということだ。
《日常のトピックス一覧》
そうして、その当時の写真を見ると、団地や小学校などの周囲にはようやく植栽が施されたばかりで、あたかも禿山の如く、直射日光に当たりっぱなしだし、寒い北風は吹き放題の荒涼とした世界だったことに驚かされたのだ。
そんな地域も40年経てば、木々は成長して鬱蒼とした緑の海が出現し、まさに緑蔭都市の名にふさわしいと言えるまでになったのである。
確かに、地域が誕生して以来住み続けてきた人たちには高齢化が進み、死を迎える人も増えてきた。そうして町もまた相応に老いていっているのだが、何よりかけがえがないのが、そうして淡々と成長を続けてきた緑の木々たちなのだ。
もちろん、半世紀も経てば元気だと思われていた木々も老木となり、中には病気になって朽ち果て、春になると咲き誇って楽しませてくれていた桜の木も気がつくと切られてなくなってしまっていたりする。
半世紀という月日は様々な営みを繰り返しつつ、成長から喪失、そして再生へと連なっていくということだ。
《日常のトピックス一覧》
自話§オートマチック車 [自動車]
運転免許を取得した当時はマニュアル車教習しかなかったので、マニュアル免許を持っている。だが、教習していた時からオートマ車に乗ろうと決めていたのだ。
免許を取って車を購入しようと考えカタログを眺めたら、まずマニュアル車が出てきて、次にオートマ車が、そして価格もオートマのほうが高かった。
だが、オートマ車に乗ると決めたのは、日本の道路を運転するには明らかにオートマ車のほうが適していると考えたからだ。特に都市部に関して、道は狭いし、信号の数が半端なく多く、停まったり走ったりを頻繁に繰り返さなくてはならず、いちいちクラッチワークをしてギアチェンジをするのが煩わしいと考えたからだ。
1980年代前半でオートマ車の普及率は40%ほどだったようだが、これが80年代後半から爆発的な普及率となり、あれこれ調べてみたところ、10年前にはオートマ車の普及率が98%と、これはもう“特別な”車を除けば、日本の道路を走っている車のほぼ100%がオートマ車ということになる。
そんなマニュアル車優位の世界がヨーロッパなのだと思っていた。決心してドイツやオーストリアでレンタカーを運転した最初は2002年のこと。当時はネットで予約するのに、マニュアルかオートマかの選択はできず、くどいくらいにオートマ車を出してくれとお願いをしていたのだ。
それが、いつの頃だったか、2010年頃あたりと記憶するが、ネットから簡単にリクエストして希望通りに出てくるようになった。その頃のヨーロッパにおけるマニュアル車の比率は70%ほどもあったのだが、最近の調査ではそれが逆転して、オートマ車が70%を超えたのだという。
ヨーロッパにおいてマニュアルの比率が高かったのは、町中はともかくも、郊外に出れば信号などはほとんどなく、ギアチェンジする必要もなく長距離を走れたりしたからではないかと想像しているのである。
《ドライブのトピックス一覧》
免許を取って車を購入しようと考えカタログを眺めたら、まずマニュアル車が出てきて、次にオートマ車が、そして価格もオートマのほうが高かった。
だが、オートマ車に乗ると決めたのは、日本の道路を運転するには明らかにオートマ車のほうが適していると考えたからだ。特に都市部に関して、道は狭いし、信号の数が半端なく多く、停まったり走ったりを頻繁に繰り返さなくてはならず、いちいちクラッチワークをしてギアチェンジをするのが煩わしいと考えたからだ。
1980年代前半でオートマ車の普及率は40%ほどだったようだが、これが80年代後半から爆発的な普及率となり、あれこれ調べてみたところ、10年前にはオートマ車の普及率が98%と、これはもう“特別な”車を除けば、日本の道路を走っている車のほぼ100%がオートマ車ということになる。
そんなマニュアル車優位の世界がヨーロッパなのだと思っていた。決心してドイツやオーストリアでレンタカーを運転した最初は2002年のこと。当時はネットで予約するのに、マニュアルかオートマかの選択はできず、くどいくらいにオートマ車を出してくれとお願いをしていたのだ。
それが、いつの頃だったか、2010年頃あたりと記憶するが、ネットから簡単にリクエストして希望通りに出てくるようになった。その頃のヨーロッパにおけるマニュアル車の比率は70%ほどもあったのだが、最近の調査ではそれが逆転して、オートマ車が70%を超えたのだという。
ヨーロッパにおいてマニュアルの比率が高かったのは、町中はともかくも、郊外に出れば信号などはほとんどなく、ギアチェンジする必要もなく長距離を走れたりしたからではないかと想像しているのである。
《ドライブのトピックス一覧》
顧話§今日の歴史~個人的にはありがたく~ [日本]
1955年7月25日、日本住宅公団が発足。
我が老朽マンションは住宅公団から、1981年に組織変更で住宅・都市整備公団へと移行した直後から建設、分譲されたものである。
分譲マンションを購入しようと決めた時、限られた予算で自分に相応の物件をと、丁寧に探したのだった。経験者のアドバイスもおおいに参考にしていくつかの物件にあたり、これと思ったマンションの分譲抽選に応募もしたのだが、どれも倍率が高くて当選することはなかった。
経験者のアドバイスの中に「LとHとTの物件はやめておけ」というのがあり、これも忠実に守って、最終的に行き着いたのが、ニュータウンの公団や東京都の住宅供給公社がデベロッパーとなって建てたマンションである。
いわば“公的機関”の手になるものだから間違いはなかろうと、ダメもとで応募したら、供給公社の物件が補欠の繰り上がりで当選したのだ。
そして今住んでいるのも、公的機関である住宅・都市整備公団が建てたマンションで、既に40年以上が経過した超中古である。
そんな住都公団(略称)だが、建てるのはもちろん民間の建設業者の手になるもので、バブルの頃に建てたマンションがとんでもない欠陥建築で、すったもんだの揚句に建て替えをする羽目になった……そんな不祥事もあった。
《歴史のトピックス一覧》
我が老朽マンションは住宅公団から、1981年に組織変更で住宅・都市整備公団へと移行した直後から建設、分譲されたものである。
分譲マンションを購入しようと決めた時、限られた予算で自分に相応の物件をと、丁寧に探したのだった。経験者のアドバイスもおおいに参考にしていくつかの物件にあたり、これと思ったマンションの分譲抽選に応募もしたのだが、どれも倍率が高くて当選することはなかった。
経験者のアドバイスの中に「LとHとTの物件はやめておけ」というのがあり、これも忠実に守って、最終的に行き着いたのが、ニュータウンの公団や東京都の住宅供給公社がデベロッパーとなって建てたマンションである。
いわば“公的機関”の手になるものだから間違いはなかろうと、ダメもとで応募したら、供給公社の物件が補欠の繰り上がりで当選したのだ。
そして今住んでいるのも、公的機関である住宅・都市整備公団が建てたマンションで、既に40年以上が経過した超中古である。
そんな住都公団(略称)だが、建てるのはもちろん民間の建設業者の手になるもので、バブルの頃に建てたマンションがとんでもない欠陥建築で、すったもんだの揚句に建て替えをする羽目になった……そんな不祥事もあった。
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丼話§どんぶり飯 [米]
老いて、すっかり少食――食欲がないわけではない――になってしまった。それでも大学生くらいの頃は、どんぶり飯辞さずな食欲はあったのだ。
よく食べていたなあと思い出すのは、山小屋でアルバイトしていた大学時代で、尾瀬沼東岸の山小屋でバイトしていた2年間、土曜日になると決まってカレーが出るのだった。
自分ばかりではない、若い食べ盛りの連中が、一日の仕事を終え、腹ペコで従業員食堂になだれ込むや、どんぶりにご飯をてんこ盛りにし、なみなみとカレーをかけるや、それを3杯、4杯と……文字通り“カレーは飲み物”なのである。
さすがに4杯とはいかなかったが、3杯は軽々と食べていたはずだ。そんな時代もあったのだなと、およそ半世紀ほど前を思い出しては“うへっ!”と喉に違和感を覚えてしまう。
大学を卒業して宮仕えを始めた頃には、人並みの食欲となり、そりゃあ……蕎麦屋のランチでかつ丼と蕎麦のセットを頼むくらいのことはして、平然とどんぶり飯を平らげていたのだが、今はどんぶりの器を見るのもちょっとという体たらくなのだ。
ただ、ちなみに我が家でご飯を食べる時は、ご飯茶碗より大きく、どんぶりより少しだけ小ぶりな茶碗を愛用しているだが。
《B級グルメのトピックス一覧》
よく食べていたなあと思い出すのは、山小屋でアルバイトしていた大学時代で、尾瀬沼東岸の山小屋でバイトしていた2年間、土曜日になると決まってカレーが出るのだった。
自分ばかりではない、若い食べ盛りの連中が、一日の仕事を終え、腹ペコで従業員食堂になだれ込むや、どんぶりにご飯をてんこ盛りにし、なみなみとカレーをかけるや、それを3杯、4杯と……文字通り“カレーは飲み物”なのである。
さすがに4杯とはいかなかったが、3杯は軽々と食べていたはずだ。そんな時代もあったのだなと、およそ半世紀ほど前を思い出しては“うへっ!”と喉に違和感を覚えてしまう。
大学を卒業して宮仕えを始めた頃には、人並みの食欲となり、そりゃあ……蕎麦屋のランチでかつ丼と蕎麦のセットを頼むくらいのことはして、平然とどんぶり飯を平らげていたのだが、今はどんぶりの器を見るのもちょっとという体たらくなのだ。
ただ、ちなみに我が家でご飯を食べる時は、ご飯茶碗より大きく、どんぶりより少しだけ小ぶりな茶碗を愛用しているだが。
《B級グルメのトピックス一覧》
闇話§完全に真夜中です [老化]
定年退職して半年ほど過ぎようとした頃から、生活時間が朝型へと移行していった。それまでは8時頃に起きていたが、退職して一年が過ぎたら6時半前後に起床するようになり、徐々に起きる時間が早くなって、今は5時前後には目が覚めてしまう。
それに伴って就寝時間も早くなり、退職することは日付が変わる前くらいに寝ていたのが、22時半になり、21時半になり……今は21時前にはベッドに潜り込んでいる。
ということは、どういうことかというと、夜の演奏会などがちょっと辛いということになったのである。通常、クラシックの演奏会は、19時開演で21時終演となっていて、終演時刻が既に就寝時間になってしまっているのだ。
さらに帰宅するのに1時間半くらいかかり、家に帰ってから入浴してベッドに潜り込むのは23時を過ぎてしまう。
朝型の我が身にとって23時だなどとは、完全に真夜中になってしまったというのが現状なのである。もちろん、音楽を聴いている間に眠くなって、舟を漕ぐなどさすがにないけれど、帰りの電車はちと辛い。
そんな朝型老人にとっては、14時開演とかのマチネー公演は何ともありがたいものである。そして終演は16時、ちょっと街歩きをすれば、軽く外呑みの食事をしても、20時頃には帰宅できるのである。
《私事のトピックス一覧》
それに伴って就寝時間も早くなり、退職することは日付が変わる前くらいに寝ていたのが、22時半になり、21時半になり……今は21時前にはベッドに潜り込んでいる。
ということは、どういうことかというと、夜の演奏会などがちょっと辛いということになったのである。通常、クラシックの演奏会は、19時開演で21時終演となっていて、終演時刻が既に就寝時間になってしまっているのだ。
さらに帰宅するのに1時間半くらいかかり、家に帰ってから入浴してベッドに潜り込むのは23時を過ぎてしまう。
朝型の我が身にとって23時だなどとは、完全に真夜中になってしまったというのが現状なのである。もちろん、音楽を聴いている間に眠くなって、舟を漕ぐなどさすがにないけれど、帰りの電車はちと辛い。
そんな朝型老人にとっては、14時開演とかのマチネー公演は何ともありがたいものである。そして終演は16時、ちょっと街歩きをすれば、軽く外呑みの食事をしても、20時頃には帰宅できるのである。
《私事のトピックス一覧》
博話§株の投資は・・・・・・ [経済]
老い先短い身の上なので、今さら株に投資するなどとは考えもしていない。
若い頃……といっても四十代あたりに、利用している私鉄の株でも買ってみようとか考えたことはあった。株価が上がって儲けようとかそういうことではなく“買って応援”ではないが、株を持つことで、ささやかな株主配当や株主優待を受けようかとかそんな程度のつもりがあっただけだ。
残念ながら、株に回すほど手持ちの資金に余裕はなく、いつの間にかうやむやになってそれっきりとなってしまった。
もちろん、元より投資の才など持ち合わせていないから、複数の株を取引してうまいこと利益を上げてやろうなどとは考えもせず、いわば“地元企業”への応援投資というつもりというだけだったのである。
いずれにしても“株”なるものの構造であるとかシステムであるとか、まるでわかってなどおらず、そもそもそんな人間が株を転がすことなどできようはずもなく、そうであるがゆえの“賢明な”判断というところだろうか。
まあ、そんな経済音痴のおかげで、怪しい勧誘にも引っかからず、甘い言葉にもぐらつかず、支給される年金の範囲で、ささやかに老後生活を営み続けているのだ。
《日本のトピックス一覧》
若い頃……といっても四十代あたりに、利用している私鉄の株でも買ってみようとか考えたことはあった。株価が上がって儲けようとかそういうことではなく“買って応援”ではないが、株を持つことで、ささやかな株主配当や株主優待を受けようかとかそんな程度のつもりがあっただけだ。
残念ながら、株に回すほど手持ちの資金に余裕はなく、いつの間にかうやむやになってそれっきりとなってしまった。
もちろん、元より投資の才など持ち合わせていないから、複数の株を取引してうまいこと利益を上げてやろうなどとは考えもせず、いわば“地元企業”への応援投資というつもりというだけだったのである。
いずれにしても“株”なるものの構造であるとかシステムであるとか、まるでわかってなどおらず、そもそもそんな人間が株を転がすことなどできようはずもなく、そうであるがゆえの“賢明な”判断というところだろうか。
まあ、そんな経済音痴のおかげで、怪しい勧誘にも引っかからず、甘い言葉にもぐらつかず、支給される年金の範囲で、ささやかに老後生活を営み続けているのだ。
《日本のトピックス一覧》
過話§上京五十一年~アパート暮らし~ [東京]
結婚して落ち着くまでの独身期間は、アパート4軒を転々とした。代々木に始まって、成増、荻窪、井草である。
代々木については何度も詳しく書いているので省略。成増は、大学2年から卒業するまでの3年間だった。同じく上京してきた弟と、6畳+4畳にキッチンが付いて、家主さんのお宅の2階を間借りしていた。成増の駅から徒歩10分ほど。地名は赤塚、住んでいる時は知らず、後で知ったことだが、すぐ近くに『怪談乳房榎』の赤塚乳房大神があったのだ。
そうして就職して住んだのが荻窪駅の北、日大二高近くの本天沼の6畳間。悪くはなかったが、仕事を始めたら時間が不規則で平日は銭湯に行けず、出勤前に駅近のサウナを利用する有様に音を上げて、わずか7か月、11月には井草の風呂付きアパートに引っ越してしまった。
賃貸の間借りからアパートへと移り住んだのは、1973年から1982年の10年足らず。
結婚して、今の地域で42年が過ぎた……あっという間とも言えるし、かくも遠くまで来てしまったとも思う。東京のアパート暮らしは“この先、自分がどうなっていくか”何の確信もないままに生きていた時代でもある。
《東京のトピックス一覧》
代々木については何度も詳しく書いているので省略。成増は、大学2年から卒業するまでの3年間だった。同じく上京してきた弟と、6畳+4畳にキッチンが付いて、家主さんのお宅の2階を間借りしていた。成増の駅から徒歩10分ほど。地名は赤塚、住んでいる時は知らず、後で知ったことだが、すぐ近くに『怪談乳房榎』の赤塚乳房大神があったのだ。
そうして就職して住んだのが荻窪駅の北、日大二高近くの本天沼の6畳間。悪くはなかったが、仕事を始めたら時間が不規則で平日は銭湯に行けず、出勤前に駅近のサウナを利用する有様に音を上げて、わずか7か月、11月には井草の風呂付きアパートに引っ越してしまった。
賃貸の間借りからアパートへと移り住んだのは、1973年から1982年の10年足らず。
結婚して、今の地域で42年が過ぎた……あっという間とも言えるし、かくも遠くまで来てしまったとも思う。東京のアパート暮らしは“この先、自分がどうなっていくか”何の確信もないままに生きていた時代でもある。
《東京のトピックス一覧》
片話§英語で会話をする時は [英語]
5月にドイツから知り合いが2週間の休暇を取ってやって来た。夫はドイツ人、妻が日本人である。毎年恒例のように日本にやって来て、一年前は妻だけと会ったが、今回は夫婦二組で食事をした。
カミさん同士が知り合いなので、会話は主に妻同士、そして夫同士それぞれで行われる。夫同士の会話は英語だ。
その英語だが……見事に錆びついている。たった年に一度、2週間ほどの海外旅行であっても、まがりなりに何とか使用に耐えていた。まあ吹けば飛ぶよなレベルではあるが、年に一度の海外旅行で持ち堪えていたのであろう。
それが、2020年このかたのコロナ禍で外遊を断念したことで、英語を使う場が消滅。目を覆うような体たらくとなってしまった。かつては、それなりに反応できたのが、まず単語が出てこない。そして文章が、英語としてまるで繋がってくれない。
秋の落葉のように、言葉がバラバラに散り落ちていく様を呆然と眺めていたのである。げに!機能は使ってやらないと、気がつかないうち、あっという間に劣化していくのをまざまざと実感した。
《ドイツのトピックス一覧》
カミさん同士が知り合いなので、会話は主に妻同士、そして夫同士それぞれで行われる。夫同士の会話は英語だ。
その英語だが……見事に錆びついている。たった年に一度、2週間ほどの海外旅行であっても、まがりなりに何とか使用に耐えていた。まあ吹けば飛ぶよなレベルではあるが、年に一度の海外旅行で持ち堪えていたのであろう。
それが、2020年このかたのコロナ禍で外遊を断念したことで、英語を使う場が消滅。目を覆うような体たらくとなってしまった。かつては、それなりに反応できたのが、まず単語が出てこない。そして文章が、英語としてまるで繋がってくれない。
秋の落葉のように、言葉がバラバラに散り落ちていく様を呆然と眺めていたのである。げに!機能は使ってやらないと、気がつかないうち、あっという間に劣化していくのをまざまざと実感した。
《ドイツのトピックス一覧》
行話§桐始結花~七十二候~大暑 [七十二候]
大暑の初候“桐始結花(きりはじめてはなをむすぶ)”である。
夏至から一か月が経った。日没の太陽は、夏至の日からは6度ほど南下してきた。だが、北上しきった太陽が少しばかし南下してくれても、北側の部屋の窓から朝日が差し込んできてしまう。ぎりぎり8月一杯は差し込んでくるようなので、今年はきちんと確かめてみよう。
そして、夕方の世間が明るい頃に照明なしで風呂に入れるのも、まだもう少しは楽しめる。やはり電気照明と自然光とはまったく違っているのだ。
言うまでもなく、本番を迎えた暑さが途切れることなどはない。まだまだ、2か月は続く。
《七十二候のトピックス一覧》
夏至から一か月が経った。日没の太陽は、夏至の日からは6度ほど南下してきた。だが、北上しきった太陽が少しばかし南下してくれても、北側の部屋の窓から朝日が差し込んできてしまう。ぎりぎり8月一杯は差し込んでくるようなので、今年はきちんと確かめてみよう。
そして、夕方の世間が明るい頃に照明なしで風呂に入れるのも、まだもう少しは楽しめる。やはり電気照明と自然光とはまったく違っているのだ。
言うまでもなく、本番を迎えた暑さが途切れることなどはない。まだまだ、2か月は続く。
《七十二候のトピックス一覧》
街話§神保巷塵[108]共栄堂でカレー [神保町]
[承前]
先週、会社OB会の会合で一か月ぶりの神保町。11時集合して約2時間ほど事務仕事などをこなして13時頃に解散。
さすがに腹が減ったので神保町ランチである。どこにしようかと考えた、その一瞬後には共栄堂に足が向いていた。
ランチョンと同じビルの地下に共栄堂はあって、12時の昼時には並んで待つ繁盛ぶりだが、13時ともなると客席はほぼ埋まっているが、手際よく相席のテーブルに案内される。
注文したのはポークカレー、ご飯三分の二。ご飯が少なめなので、ソースが多いと感じてしまう……共栄堂ではルウとは言わずソースと呼ばれているのだ。
ややあって、ソースポッになみなみとポークカレー、そしてご飯……さらにカップに入った不思議なポタージュスープがテーブルにやってきた。
不思議なポタージュは“野菜と小麦を数回オーブンにかけルーを作り、コーンと生クリームを合わせたもの”と店のホームページにあったが、カレーを食べる合間の佳き相棒である。
そして真っ黒な“スマトラカレー”だが、肉以外の材料はすっかりソースに溶けこんで、どんな野菜を使っているのかわかりようがない。今時のようにパンチがきいた辛さがというわけではなく、見た目よりも味はまろやかと感じられるが、どうだろう。
そんな共栄堂は、1924年(大正13年)創業。何と今年が百周年となったのだ。東京のカレー・エリア神保町にあって、独自の位置を占めていて、何となく食べに行きたくなる店の筆頭なのだ。
[続く]
《神保町のトピックス一覧》
先週、会社OB会の会合で一か月ぶりの神保町。11時集合して約2時間ほど事務仕事などをこなして13時頃に解散。
さすがに腹が減ったので神保町ランチである。どこにしようかと考えた、その一瞬後には共栄堂に足が向いていた。
ランチョンと同じビルの地下に共栄堂はあって、12時の昼時には並んで待つ繁盛ぶりだが、13時ともなると客席はほぼ埋まっているが、手際よく相席のテーブルに案内される。
注文したのはポークカレー、ご飯三分の二。ご飯が少なめなので、ソースが多いと感じてしまう……共栄堂ではルウとは言わずソースと呼ばれているのだ。
ややあって、ソースポッになみなみとポークカレー、そしてご飯……さらにカップに入った不思議なポタージュスープがテーブルにやってきた。
不思議なポタージュは“野菜と小麦を数回オーブンにかけルーを作り、コーンと生クリームを合わせたもの”と店のホームページにあったが、カレーを食べる合間の佳き相棒である。
そして真っ黒な“スマトラカレー”だが、肉以外の材料はすっかりソースに溶けこんで、どんな野菜を使っているのかわかりようがない。今時のようにパンチがきいた辛さがというわけではなく、見た目よりも味はまろやかと感じられるが、どうだろう。
そんな共栄堂は、1924年(大正13年)創業。何と今年が百周年となったのだ。東京のカレー・エリア神保町にあって、独自の位置を占めていて、何となく食べに行きたくなる店の筆頭なのだ。
[続く]
《神保町のトピックス一覧》