顧話§今日の歴史~ドイツ統一完了~ [ドイツ]
1999年4月19日、ドイツ連邦議会がボンからベルリンに移転。
1989年にベルリンの壁が崩壊、翌年には旧西独と旧東独が統一された。だが首都をどこにするかが議論の種となっていた。
ベルリンが首都と決まったが、ベルリンにあったかつての議事堂が改修工事を行って、議会が移されるまで10年かかったのである。
ところで、我々夫婦は日本の国会議事堂に入ったことはないが、ドイツはベルリンの連邦議会議事堂には入ったことがある。時あたかも、ベルリン移転が完了した1999年9月のことで、ひょいと気軽に入ることができた。
↓写真はウィキペディアから借用。写真右奥にブランデンブルク門建つ
上の写真のような行列に並んで、ほどなく入場。エレベーターで屋上の丸い半球のガラスドームを歩いたりして、日本とドイツの彼我の差を痛感したのだ。
蛇足ながら、この建物には“下院”の議場しかなく、連邦参議院はポツダム広場近くのライプツィヒ通りにある。
《歴史のトピックス一覧》
1989年にベルリンの壁が崩壊、翌年には旧西独と旧東独が統一された。だが首都をどこにするかが議論の種となっていた。
ベルリンが首都と決まったが、ベルリンにあったかつての議事堂が改修工事を行って、議会が移されるまで10年かかったのである。
ところで、我々夫婦は日本の国会議事堂に入ったことはないが、ドイツはベルリンの連邦議会議事堂には入ったことがある。時あたかも、ベルリン移転が完了した1999年9月のことで、ひょいと気軽に入ることができた。
↓写真はウィキペディアから借用。写真右奥にブランデンブルク門建つ
上の写真のような行列に並んで、ほどなく入場。エレベーターで屋上の丸い半球のガラスドームを歩いたりして、日本とドイツの彼我の差を痛感したのだ。
蛇足ながら、この建物には“下院”の議場しかなく、連邦参議院はポツダム広場近くのライプツィヒ通りにある。
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肌話§Tシャツという生き方 [日常]
今はまだ長袖のお世話になっている季節だが、一か月後ゴールデンウィークのタイミングで半袖へ衣替えとなる。衣替え直後は殊勝にポロシャツを着て過ごしたりするが、5月半ばを過ぎようものなら、Tシャツの日常が待っているのだ。
宮仕えしていた頃、会社へは何を着て行こうかというドレスコードの類はなく、ノーネクタイのカジュアルなスタイルで行き来していた。ただ、自分の矜持としてTシャツを会社に着て行ったことはなく、それはそれでけじめをつけていたつもりである。
そして定年退職後……さらに自由度は増して、夏はTシャツ一枚着ただけで下もハーフパンツで生活している。そのおかげで、洗濯物が冬の時季の半分くらいで済んでいるのではないか。どのみち洗濯機が洗っているわけだが、何がなし気兼ねなく着て過ごしているような心持ちになっているようだ。
着ているTシャツは、ほとんどが黒。透けるのが好きではないので、白Tは持っていない。黒Tも、数年も経てば色が褪せてくるので、頃合いを見て、寝る時用として使い回しすることになっている。
《日常のトピックス一覧》
宮仕えしていた頃、会社へは何を着て行こうかというドレスコードの類はなく、ノーネクタイのカジュアルなスタイルで行き来していた。ただ、自分の矜持としてTシャツを会社に着て行ったことはなく、それはそれでけじめをつけていたつもりである。
そして定年退職後……さらに自由度は増して、夏はTシャツ一枚着ただけで下もハーフパンツで生活している。そのおかげで、洗濯物が冬の時季の半分くらいで済んでいるのではないか。どのみち洗濯機が洗っているわけだが、何がなし気兼ねなく着て過ごしているような心持ちになっているようだ。
着ているTシャツは、ほとんどが黒。透けるのが好きではないので、白Tは持っていない。黒Tも、数年も経てば色が褪せてくるので、頃合いを見て、寝る時用として使い回しすることになっている。
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