悼話§市川猿翁さん(歌舞伎役者) [歌舞伎]
それまで、3階席上の幕見席で何回か観ていた歌舞伎をきちんと観ようと、1階2等席を張り込んで出かけたのが、三代目猿之助と玉三郎の顔合わせによる『義経千本桜』だった。1992年のことである。
白状するも何も、それまでも歌舞伎については何もわからずだったのだが、この時も同様で、ろくに筋も知らずに観て、記憶に残っているのは、猿之助の“けれん”や宙乗りといったものだけだった。
その数年後、再び猿之助で『當世流小栗判官』を観たが、これまたけれんを楽しんでおしまい。まだまだ歌舞伎を楽しむ余裕のようなものはなかったようだ。
その後、2003年の公演中に体調不良を訴え、パーキンソン症候群を発症して舞台から遠ざかったが、2012年に二代目市川猿翁を襲名し『楼門五三桐』で真柴久吉を務めたのが最後の舞台となった。
記憶に残っているのは、1992年のバイエルン国立歌劇場来日公演で、猿翁が演出したリヒャルト・シュトラウス『影のない女』の新演出上演。これは、視覚的に非常にわかりやすい舞台で、オペラのメルヘン的なところを巧みに表現していたのである。

まさに“稀代の風雲児”と言うことができただろう。享年八十三
合掌
《追悼のトピックス一覧》
白状するも何も、それまでも歌舞伎については何もわからずだったのだが、この時も同様で、ろくに筋も知らずに観て、記憶に残っているのは、猿之助の“けれん”や宙乗りといったものだけだった。
その数年後、再び猿之助で『當世流小栗判官』を観たが、これまたけれんを楽しんでおしまい。まだまだ歌舞伎を楽しむ余裕のようなものはなかったようだ。
その後、2003年の公演中に体調不良を訴え、パーキンソン症候群を発症して舞台から遠ざかったが、2012年に二代目市川猿翁を襲名し『楼門五三桐』で真柴久吉を務めたのが最後の舞台となった。
記憶に残っているのは、1992年のバイエルン国立歌劇場来日公演で、猿翁が演出したリヒャルト・シュトラウス『影のない女』の新演出上演。これは、視覚的に非常にわかりやすい舞台で、オペラのメルヘン的なところを巧みに表現していたのである。

まさに“稀代の風雲児”と言うことができただろう。享年八十三
合掌
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