懐話§昭和四十年代~屋上ビアガーデン~ [昭和]
[承前]
1960年代半ば過ぎ、実家から表通りに出た商店街にショッピングセンターができた。今見れば、スカスカな中身のセンターだが、それはそれ開店当初はけっこうな賑わいだったりしていた。
レストラン街の類はなかったと記憶しているが、1階のフードコートが呼び物で、当時としては珍しい持ち帰り寿司の店などもあったのだ。
もう一つの呼び物としてオープンしたのが、屋上ビアガーデンである。そんな“ハイカラ”な飲食施設などなかった町だったから、けっこうな評判にはなったようで、ひとしきりは商売繁盛していたのである。
おまけにあまり上手いとは言えない素人のエレキバンドが入っていて、屋上から演奏するものだから、町内中に響きまくっていて、今だったら騒音だと文句が出たのは間違いないが、なぜか、文句が出た節はない。
斜め真下の我が家からも、それはよく聞こえていたが、毎晩演奏する曲目が同じでしかなかったのは辛かった。
今でも記憶している曲としては、ローリングストーンズの『タイム・イズ・オン・マイ・サイド』が演奏されていたようだ。
ただ、演奏自体は稚拙そのもので、遠吠えを聞いているような、なにがなし侘しさも感じたりしていたのである。
当然ながら未成年だったので、一回も行くことなく、いつの間にかクローズしていたようだ。
[続く]
《昭和のトピックス一覧》
1960年代半ば過ぎ、実家から表通りに出た商店街にショッピングセンターができた。今見れば、スカスカな中身のセンターだが、それはそれ開店当初はけっこうな賑わいだったりしていた。
レストラン街の類はなかったと記憶しているが、1階のフードコートが呼び物で、当時としては珍しい持ち帰り寿司の店などもあったのだ。
もう一つの呼び物としてオープンしたのが、屋上ビアガーデンである。そんな“ハイカラ”な飲食施設などなかった町だったから、けっこうな評判にはなったようで、ひとしきりは商売繁盛していたのである。
おまけにあまり上手いとは言えない素人のエレキバンドが入っていて、屋上から演奏するものだから、町内中に響きまくっていて、今だったら騒音だと文句が出たのは間違いないが、なぜか、文句が出た節はない。
斜め真下の我が家からも、それはよく聞こえていたが、毎晩演奏する曲目が同じでしかなかったのは辛かった。
今でも記憶している曲としては、ローリングストーンズの『タイム・イズ・オン・マイ・サイド』が演奏されていたようだ。
ただ、演奏自体は稚拙そのもので、遠吠えを聞いているような、なにがなし侘しさも感じたりしていたのである。
当然ながら未成年だったので、一回も行くことなく、いつの間にかクローズしていたようだ。
[続く]
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