SSブログ

愉話§一日一句~呑み口もよく~ [俳句]

季語は・・・待春

待春の 夜や口開けは 朝搾り

【去年の今日】定話§二横綱四大関が理想か
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

異話§黄鶯睍睆~七十二候~立春 [七十二候]

立春の次候“黄鶯睍睆(うぐいすなく)”である。

七十二候のエントリーを続けている意味合いはというと、時節時節の区切りをブログに味付けとして加えるような心づもりで、だがまあ、そんな目論見もまた、当初からはずいぶんと崩れて苦しくなっている。

うまいこと時節の話題でも思いついてくれればいいが、10年以上も固定されたテーマに新しい話題などそうそう見つけられるはずもなく、時にはこうして適当な話題を振ってお茶を濁すこともあるのだ……やれやれ。

《七十二候のトピックス一覧》
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:blog

窮話§貧乏暮らしのこと [私事]

父親は仕事運に恵まれていなかった。物心ついたあたりから職を数回転々として定まらず、失業して仕事が見つからず、家でくすぶっている姿も眼にしたことがある。

だから、家が裕福だったとか感じたことは一度もない。一番記憶にはっきり刻まれているのは、テレビである。子ども心にも“なぜ、うちにはテレビがないのだろう”と思っていて、近所の知り合いの家に見せてもらいに行ったりもしていた。

テレビが入ったのは小学校2年だった1962年のことで、他の御宅より確実に2、3年は遅れていて、小学校の休み時間に同級生が前日のテレビ番組の話をしていても何のことだかさっぱりわからず、話についていけなかった……そんな些細なことだが、子ども心に引け目を感じさせてしまうのだ。

人口10万人ほどの地方都市の賑やかな街中にあった3軒長屋の借家には上水道も下水道も引かれておらず、3軒で共同井戸を使っていたり、戦前を彷彿とさせる暮らしぶりだった。その代わり極安の家賃であたかもエアポケットに落ちたような一角だったのである。

転職を繰り返していた父親は1965年に、引いてくれる人があって、学生を教える職業に就くことができ、その後20年の生活は保障されたのだった。

そんな父親を眼にしていたからかどうかはわからないが、何より貧乏暮らしのひもじさだけは何とかしたいと、あがいた結果かどうかはわからないが、37年半、一度も職を変えることなく過ごしてこれたのは僥倖というしかないだろう。

《私事のトピックス一覧》
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:blog