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窮話§貧乏暮らしのこと [私事]

父親は仕事運に恵まれていなかった。物心ついたあたりから職を数回転々として定まらず、失業して仕事が見つからず、家でくすぶっている姿も眼にしたことがある。

だから、家が裕福だったとか感じたことは一度もない。一番記憶にはっきり刻まれているのは、テレビである。子ども心にも“なぜ、うちにはテレビがないのだろう”と思っていて、近所の知り合いの家に見せてもらいに行ったりもしていた。

テレビが入ったのは小学校2年だった1962年のことで、他の御宅より確実に2、3年は遅れていて、小学校の休み時間に同級生が前日のテレビ番組の話をしていても何のことだかさっぱりわからず、話についていけなかった……そんな些細なことだが、子ども心に引け目を感じさせてしまうのだ。

人口10万人ほどの地方都市の賑やかな街中にあった3軒長屋の借家には上水道も下水道も引かれておらず、3軒で共同井戸を使っていたり、戦前を彷彿とさせる暮らしぶりだった。その代わり極安の家賃であたかもエアポケットに落ちたような一角だったのである。

転職を繰り返していた父親は1965年に、引いてくれる人があって、学生を教える職業に就くことができ、その後20年の生活は保障されたのだった。

そんな父親を眼にしていたからかどうかはわからないが、何より貧乏暮らしのひもじさだけは何とかしたいと、あがいた結果かどうかはわからないが、37年半、一度も職を変えることなく過ごしてこれたのは僥倖というしかないだろう。

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