懐話§昭和三十年代~傷痍軍人~ [昭和]
[承前]
小学生の頃、大きな縁日に行くと必ず見かけたのが“傷痍軍人”と呼ばれる人たちだった。四肢の何らかを失った2、3人で、ハーモニカを吹いたりしてお金を求めるのだった。
終戦の前年に応召した父は、彼らを見るたびに「傷痍軍人は軍人恩給を受けているはずだから」とお金を渡すようなことはせず、さらに「中には、ヤクザあたりが金を稼いでいて、居酒屋で酒を呑んでいるところを見た」などとも言っていたことを思い出す。
それが本当のことかどうか、1970年代に入ると傷痍軍人の姿を見ることはなくなったが、年齢を考えればまだ五十代くらいだったはずだから、白い衣装で街に出ていたと考えられなくもないが、気がつけば消滅していたのだ。
彼らが本物であれ偽であれ、子ども心に戦争の悲惨さを植え付けてくれたことだけは間違いない。
[続く]
《昭和のトピックス一覧》
小学生の頃、大きな縁日に行くと必ず見かけたのが“傷痍軍人”と呼ばれる人たちだった。四肢の何らかを失った2、3人で、ハーモニカを吹いたりしてお金を求めるのだった。
終戦の前年に応召した父は、彼らを見るたびに「傷痍軍人は軍人恩給を受けているはずだから」とお金を渡すようなことはせず、さらに「中には、ヤクザあたりが金を稼いでいて、居酒屋で酒を呑んでいるところを見た」などとも言っていたことを思い出す。
それが本当のことかどうか、1970年代に入ると傷痍軍人の姿を見ることはなくなったが、年齢を考えればまだ五十代くらいだったはずだから、白い衣装で街に出ていたと考えられなくもないが、気がつけば消滅していたのだ。
彼らが本物であれ偽であれ、子ども心に戦争の悲惨さを植え付けてくれたことだけは間違いない。
[続く]
《昭和のトピックス一覧》
コメント 0