去話§空間換算二畳半 [東京]
一浪して予備校に通うべく東京に出てきたのは1973年。暮らし始めたのは、意外にも代々木駅徒歩5分のところ。1階に家主一家が住んでいて、2階の何部屋かを間貸ししていたのだ……家賃は7200円。
借りた部屋は南向き。それはいいのだが、窓から首を出して右を向いたら、すぐ眼の前を、オレンジ色の中央線快速が頻繁に行き来していたのだった。まさに東京の真っ只中にいることを否応もなく実感させられた。
部屋の広さは三畳で、寝起きするには十分の広さだったが、奥の一畳の上半分が押し入れになっていて、空間換算すると二畳半の居住空間だったのである。
トイレは1階で、家主を含めた居住者全員の共同使用。2階に借家人用として、小さな流しと一口ガスコンロが自由に使えたが、自分以外の人間は自炊していなかったようで、ほとんど独占状態だった。
そんな、朝から晩まで“国電”が行き来しているそうな騒々しい空間から始まった東京暮らしも、気がつけば間もなく半世紀となり“青雲の志”みたいな何かを持って東京にやって来たのかすら思い出せない……そもそも青雲の志など持っていたかどうかすら忘れている。
《東京のトピックス一覧》
借りた部屋は南向き。それはいいのだが、窓から首を出して右を向いたら、すぐ眼の前を、オレンジ色の中央線快速が頻繁に行き来していたのだった。まさに東京の真っ只中にいることを否応もなく実感させられた。
部屋の広さは三畳で、寝起きするには十分の広さだったが、奥の一畳の上半分が押し入れになっていて、空間換算すると二畳半の居住空間だったのである。
トイレは1階で、家主を含めた居住者全員の共同使用。2階に借家人用として、小さな流しと一口ガスコンロが自由に使えたが、自分以外の人間は自炊していなかったようで、ほとんど独占状態だった。
そんな、朝から晩まで“国電”が行き来しているそうな騒々しい空間から始まった東京暮らしも、気がつけば間もなく半世紀となり“青雲の志”みたいな何かを持って東京にやって来たのかすら思い出せない……そもそも青雲の志など持っていたかどうかすら忘れている。
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