顧話§今日の歴史~街は激変する~ [ドイツ]
1989年11月10日、ベルリンの壁撤去作業始まる。
前夜、ベルリンの壁が開放されたことを受けて、翌日から粛々と壁の撤去が進められた。
自分の話をすると、1989年までにドイツを旅行したのは3度だが、旧東独を旅行の目的地にしたことはなかった。それは多分に心情的な部分があって、わざわざ目的地にしようとは考えなかったのである。
結局、初めて旧東独を訪れたのは、壁の崩壊から10年近く経過した1998年のことで、その時はベルリンとドレスデンに行ったのだ。
初めてのベルリンは、まだまだ旧西側の通称クーダムのエリアが元気な繁華街として存在していた。旧西ベルリンに建つフィルハーモニーから、旧東側のポツダム広場を見やれば、まだまだ巨大な再開発の途上で、寒々しい光景が広がっていたことを覚えている。翌年の9月に訪れたら、ポツダム広場の再開発はほぼ完了していて、近代的なビル群の塊としてあった。
その時、ベルリンの街の重心がクーダムから移りつつあることを実感したのだが、そうした都市の変貌を見ることは稀で、ある意味貴重な体験と言うことができるだろう。
《歴史のトピックス一覧》
前夜、ベルリンの壁が開放されたことを受けて、翌日から粛々と壁の撤去が進められた。
自分の話をすると、1989年までにドイツを旅行したのは3度だが、旧東独を旅行の目的地にしたことはなかった。それは多分に心情的な部分があって、わざわざ目的地にしようとは考えなかったのである。
結局、初めて旧東独を訪れたのは、壁の崩壊から10年近く経過した1998年のことで、その時はベルリンとドレスデンに行ったのだ。
初めてのベルリンは、まだまだ旧西側の通称クーダムのエリアが元気な繁華街として存在していた。旧西ベルリンに建つフィルハーモニーから、旧東側のポツダム広場を見やれば、まだまだ巨大な再開発の途上で、寒々しい光景が広がっていたことを覚えている。翌年の9月に訪れたら、ポツダム広場の再開発はほぼ完了していて、近代的なビル群の塊としてあった。
その時、ベルリンの街の重心がクーダムから移りつつあることを実感したのだが、そうした都市の変貌を見ることは稀で、ある意味貴重な体験と言うことができるだろう。
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