懐話§昭和三十年代~学校給食~ [昭和]
[承前]
実家のあった自治体だが、その当時けっこう財政的には潤っていたようで、小学校に入った時には既に学校給食が日常化していた。
当初は、それぞれの学校内に給食室の設備があって、それぞれで調理が行われていたが、数年後には個別調理ではなくなり、給食センターで集中調理が行われるようになったのである。
小学校6年間では、牛乳ではなく、お湯に溶かした脱脂粉乳を飲んでいたがこれが不味い……多くの生徒は残していたが、それでも何とか飲んでいた。
その代わりおかずが食べられない。中華風と思われる“八宝菜”らしき料理が出てくるが、何だか野菜のごった煮にトロミをつけた得体のしれない代物で、生徒の評判は最悪だったのだ。
そして米飯食ではなく、食パンとコッペパンが一日おき交互に供されれていた。バターではなくマーガリンだったし、食パンはまだしも、コッペパンはぼそぼそしていて半分くらいは残したのである。
中学校では、瓶入りの牛乳が出てきて「おお!」っと喜んだが、脱脂粉乳と生乳のハーフ&ハーフだと知ったのは後になってのこと。
この牛乳が苦手な女子生徒も少なくなく、男子が毎日3本くらいを引き受けてぐびぐび飲んだおかげかどうか、身長も伸びてけっこう丈夫になったような気がしたのだが。
[続く]
《昭和のトピックス一覧》
実家のあった自治体だが、その当時けっこう財政的には潤っていたようで、小学校に入った時には既に学校給食が日常化していた。
当初は、それぞれの学校内に給食室の設備があって、それぞれで調理が行われていたが、数年後には個別調理ではなくなり、給食センターで集中調理が行われるようになったのである。
小学校6年間では、牛乳ではなく、お湯に溶かした脱脂粉乳を飲んでいたがこれが不味い……多くの生徒は残していたが、それでも何とか飲んでいた。
その代わりおかずが食べられない。中華風と思われる“八宝菜”らしき料理が出てくるが、何だか野菜のごった煮にトロミをつけた得体のしれない代物で、生徒の評判は最悪だったのだ。
そして米飯食ではなく、食パンとコッペパンが一日おき交互に供されれていた。バターではなくマーガリンだったし、食パンはまだしも、コッペパンはぼそぼそしていて半分くらいは残したのである。
中学校では、瓶入りの牛乳が出てきて「おお!」っと喜んだが、脱脂粉乳と生乳のハーフ&ハーフだと知ったのは後になってのこと。
この牛乳が苦手な女子生徒も少なくなく、男子が毎日3本くらいを引き受けてぐびぐび飲んだおかげかどうか、身長も伸びてけっこう丈夫になったような気がしたのだが。
[続く]
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遜話§自然を畏れよ [地震]
元旦に能登半島を中心に発生した最大震度7の“能登半島地震”では海岸線が85kmにわたって最大4mも隆起したと聞いて驚いた。これほどの地殻変動を見るなどとは想像だにしなかった。

写真は輪島の皆月漁港で撮られたものだが、ちょっと信じられないような光景である。これがもし、半島西岸の志賀原発で起きたとしたら……大惨事は免れなかったのは間違いないとしか言いようがない。
阪神淡路大震災や東日本大震災を経験してもなお、自然を侮っているように感じられるのは、まったく反省から学んでいないとしか思えない。地震を抑え込めるほどの知恵も力などまったくないのが人類なのである。
そうして、アイスランドでも火山活動が活発になってきていて、噴き出たマグマが住宅地まで達して、大規模な火災も発生している映像を目のあたりにした。
その様子を見ていると“畏怖”という言葉がふさわしいくらいに、人智の及ばない黙示録的な何かを想起させられる。
我々が不遜にも、自然界を変えられる所業としては、ただ単に二酸化炭素を垂れ流すことで、地球を温暖化させるという“天に唾”的な悪行くらいしか思いつかないのだが……。
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写真は輪島の皆月漁港で撮られたものだが、ちょっと信じられないような光景である。これがもし、半島西岸の志賀原発で起きたとしたら……大惨事は免れなかったのは間違いないとしか言いようがない。
阪神淡路大震災や東日本大震災を経験してもなお、自然を侮っているように感じられるのは、まったく反省から学んでいないとしか思えない。地震を抑え込めるほどの知恵も力などまったくないのが人類なのである。
そうして、アイスランドでも火山活動が活発になってきていて、噴き出たマグマが住宅地まで達して、大規模な火災も発生している映像を目のあたりにした。
その様子を見ていると“畏怖”という言葉がふさわしいくらいに、人智の及ばない黙示録的な何かを想起させられる。
我々が不遜にも、自然界を変えられる所業としては、ただ単に二酸化炭素を垂れ流すことで、地球を温暖化させるという“天に唾”的な悪行くらいしか思いつかないのだが……。
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