行話§桜始開~七十二候~春分 [七十二候]
春分の次候“桜始開(さくらはじめてひらく)”である。
今年も桜が咲いた。二十代の頃まで感性の類が中途半端でしかなく、咲いた桜を愛でるという風情を持ち合わせていなかった。
桜に対しての感情が芽生えたのは、今の場所に住み始めたあたりからではないかと想像するが、それこそ眼の前に桜が咲くのである。
眼の前にあれば、嫌でも桜について何らかの感慨を持つのは当然のことで、ようやく一年の“環”を実感することになったのだ。そうした季節の移ろいをありがたがるようになったのは、自分自身が年齢を重ねたからであろう。
結局のところ早い遅いはあれども、感性らしきものは醸成されて、ありがたくも、季節の有様を享受しているようだ。
若い頃、そうした感性がなかったことはもったいないと思うけれど、もしも持ち合わせていたら、あまりの多感さに自分自身が苦しくなったかも……。
《七十二候のトピックス一覧》
今年も桜が咲いた。二十代の頃まで感性の類が中途半端でしかなく、咲いた桜を愛でるという風情を持ち合わせていなかった。
桜に対しての感情が芽生えたのは、今の場所に住み始めたあたりからではないかと想像するが、それこそ眼の前に桜が咲くのである。
眼の前にあれば、嫌でも桜について何らかの感慨を持つのは当然のことで、ようやく一年の“環”を実感することになったのだ。そうした季節の移ろいをありがたがるようになったのは、自分自身が年齢を重ねたからであろう。
結局のところ早い遅いはあれども、感性らしきものは醸成されて、ありがたくも、季節の有様を享受しているようだ。
若い頃、そうした感性がなかったことはもったいないと思うけれど、もしも持ち合わせていたら、あまりの多感さに自分自身が苦しくなったかも……。
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