週話§土曜枯寂~卒業式~ [私事]
保育園の卒園式に始まって、小学校、中学校、高校、大学と卒業式を経験しているが、どれもほとんど記憶に残ってはいない。
さすがに保育園の記憶がないのは60年以上も前のことだから、当然といえば当然の話ではあるけれど。
そして記憶的なものとして微かに残っているのは、小学校以降の卒業式のどれも“せいせいした”というもので、意外とセンチメンタルな感情を持っているはずなのに、卒業する学校に未練の“み”の字も持ち合わせていなかったのだ。
どこか、先へ先へと前進していく、大げさに言えば気概に溢れていたということだろうか。何ともさばさばしたものだった。
そして大学では卒業生全体の卒業式には出ていない。出る余裕などはなく、卒業感謝の会の幹事の一人として最後の打ち合わせに大わらわだったのだ。
打ち合わせの直後に、学科全員が集まった学位記授与には出席したが、成績がよかったわけでも、出席名簿順が早いわけでもなかったのに、不思議なことに、いの一番に名前を呼ばれてうろたえてしまったのは記憶に生々しく、あれはきっと“さっさと出って行ってしまえ”とでもいったニュアンスではなかったのかとは、今さらながら思うことである。
《日常のトピックス一覧》
さすがに保育園の記憶がないのは60年以上も前のことだから、当然といえば当然の話ではあるけれど。
そして記憶的なものとして微かに残っているのは、小学校以降の卒業式のどれも“せいせいした”というもので、意外とセンチメンタルな感情を持っているはずなのに、卒業する学校に未練の“み”の字も持ち合わせていなかったのだ。
どこか、先へ先へと前進していく、大げさに言えば気概に溢れていたということだろうか。何ともさばさばしたものだった。
そして大学では卒業生全体の卒業式には出ていない。出る余裕などはなく、卒業感謝の会の幹事の一人として最後の打ち合わせに大わらわだったのだ。
打ち合わせの直後に、学科全員が集まった学位記授与には出席したが、成績がよかったわけでも、出席名簿順が早いわけでもなかったのに、不思議なことに、いの一番に名前を呼ばれてうろたえてしまったのは記憶に生々しく、あれはきっと“さっさと出って行ってしまえ”とでもいったニュアンスではなかったのかとは、今さらながら思うことである。
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