過話§上京五十年~住んだ下宿~ [東京]
予備校1年、大学4年の間に暮らした下宿は、駅名で言うと山手線代々木、東武東上線成増と一軒ずつ。
代々木の時は三畳間だったが、そのうちの一畳の上半分が押し入れになっていたので、空間実質二畳半というものだった。交通の便は抜群によかったのだが、3年目に入って、弟が上京して同居することになったので、大学の学生課が紹介してくれた、ちょっと広めの下宿に引っ越した。
駅からは歩いて10分ほどで、部屋は六畳間に三畳ほどの板の間に流しとガス台が付いていた。できれば狭くとも、それぞれ独立した部屋があればよかったが、これがギリギリの選択だったのである。
住み心地は上々で、駅前には大きなスーパーが、下宿から歩いてすぐには、銭湯や八百屋などが並んでいて、それも助けになってくれたのだ。
結局、住み心地がよかったことと、何度も引っ越しをすれば、それだけ資金が必要になるから、3年間そのままお世話になった。家主さん一家も穏やかな人達だったのである。
卒業を控えた前年末に就職先が決まり、さすがにそのままお世話になることもできず、交通の便も考えて荻窪にアパートを借りたが、風呂が付いておらず、さりとて銭湯に行ける時間に帰宅することもできず、駅前にある割高なサウナを利用したが、半年で音を上げてあっさり風呂付きのアパートに引っ越したのだ。
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代々木の時は三畳間だったが、そのうちの一畳の上半分が押し入れになっていたので、空間実質二畳半というものだった。交通の便は抜群によかったのだが、3年目に入って、弟が上京して同居することになったので、大学の学生課が紹介してくれた、ちょっと広めの下宿に引っ越した。
駅からは歩いて10分ほどで、部屋は六畳間に三畳ほどの板の間に流しとガス台が付いていた。できれば狭くとも、それぞれ独立した部屋があればよかったが、これがギリギリの選択だったのである。
住み心地は上々で、駅前には大きなスーパーが、下宿から歩いてすぐには、銭湯や八百屋などが並んでいて、それも助けになってくれたのだ。
結局、住み心地がよかったことと、何度も引っ越しをすれば、それだけ資金が必要になるから、3年間そのままお世話になった。家主さん一家も穏やかな人達だったのである。
卒業を控えた前年末に就職先が決まり、さすがにそのままお世話になることもできず、交通の便も考えて荻窪にアパートを借りたが、風呂が付いておらず、さりとて銭湯に行ける時間に帰宅することもできず、駅前にある割高なサウナを利用したが、半年で音を上げてあっさり風呂付きのアパートに引っ越したのだ。
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