高話§ジュピター~交響曲を一曲選ぶなら~ [モーツァルト]
もう、このまま狭い範囲でしか聴かないままに我がクラシック人生は終わりが近づいている。
交響曲もしかり、ハイドンちょっとだけ、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスはまあ何とか、ブルックナー惨敗、マーラー惜敗、ドイツ系以外は見るも無残な状況だが、そんな中“交響曲一曲”だけ選ぶという無謀な試みをしてみた。
モーツァルト:交響曲第41番 C-Dur Kv.551 “ジュピター”
この一曲をもって、我が交響曲が完結する。もちろん、数多ある交響曲からたった一曲を選ぶなどとは到底不可能でしかなく、無謀な試みであることは百も承知のことである。
なぜ、ジュピター交響曲を選んだのかと聞かれれば、ひとえに第四楽章のゆえなのだ。CDFE(ドレファミ)という単純なモチーフがフーガとなって、壮大に展開していく。フィナーレに近く最初のモチーフが再現された瞬間、オーケストラの醸す音楽は、神の音楽であるが如くに天上へと吸い込まれていくのだ。
日頃は無神論者であると任じているけれど、こういう時ばかりは、ひょっとしてどこかにいらっしゃるのではないか、ほんの少しだけだが、その存在を感じなくもなく、一瞬でもそんなことを感じさせてくれたモーツァルトに感謝せずにはいられない。
《オーケストラのトピックス一覧》
交響曲もしかり、ハイドンちょっとだけ、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームスはまあ何とか、ブルックナー惨敗、マーラー惜敗、ドイツ系以外は見るも無残な状況だが、そんな中“交響曲一曲”だけ選ぶという無謀な試みをしてみた。
モーツァルト:交響曲第41番 C-Dur Kv.551 “ジュピター”
この一曲をもって、我が交響曲が完結する。もちろん、数多ある交響曲からたった一曲を選ぶなどとは到底不可能でしかなく、無謀な試みであることは百も承知のことである。
なぜ、ジュピター交響曲を選んだのかと聞かれれば、ひとえに第四楽章のゆえなのだ。CDFE(ドレファミ)という単純なモチーフがフーガとなって、壮大に展開していく。フィナーレに近く最初のモチーフが再現された瞬間、オーケストラの醸す音楽は、神の音楽であるが如くに天上へと吸い込まれていくのだ。
日頃は無神論者であると任じているけれど、こういう時ばかりは、ひょっとしてどこかにいらっしゃるのではないか、ほんの少しだけだが、その存在を感じなくもなく、一瞬でもそんなことを感じさせてくれたモーツァルトに感謝せずにはいられない。
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