仮話§町中華という括り [B級グルメ]
いわゆる“本格中華”の店に食べに行くなど……数年に一回もないだろう。
結局、暖簾をくぐってしまうのは、このところ世間で呼び方が定着したと思われるカジュアル感満載の“町中華”の店ばかりである。
個人的にはもう、定食居酒屋系という捉え方をしていて、焼き餃子などを肴にひとしきりビールや紹興酒を呑んで、締めにラーメンとかチャーハンを食べてお勘定をするというものだ。まあ、赤ちょうちんで焼き鳥や冷奴を肴に酒を呑み、焼きおにぎりで締めるのとは、また別のバージョンと考えればいいだろう。
そんな町中華が性に合っていたこともあり、まだまだ食べ盛りだった頃は、焼き餃子だけでなく、野菜炒めとかもやし炒めも肴に追加して平らげたりもしていたし、締めに食べるのも半チャンラーメンとか、炒め野菜がたっぷりのった味噌ラーメンだったりと、モリモリと健啖な時代もあったのだった。
何を言っても、町中華の敷居の低さは圧倒的で、しかも昼から晩まで通して営業しているというのもあっぱれである。
神保町時代、たまたま通い詰めていた町中華が白山通りの三幸園で、それが気に入ってしまっていたがゆえの気楽な居酒屋遣いだったのだろう。
《B級グルメのトピックス一覧》
結局、暖簾をくぐってしまうのは、このところ世間で呼び方が定着したと思われるカジュアル感満載の“町中華”の店ばかりである。
個人的にはもう、定食居酒屋系という捉え方をしていて、焼き餃子などを肴にひとしきりビールや紹興酒を呑んで、締めにラーメンとかチャーハンを食べてお勘定をするというものだ。まあ、赤ちょうちんで焼き鳥や冷奴を肴に酒を呑み、焼きおにぎりで締めるのとは、また別のバージョンと考えればいいだろう。
そんな町中華が性に合っていたこともあり、まだまだ食べ盛りだった頃は、焼き餃子だけでなく、野菜炒めとかもやし炒めも肴に追加して平らげたりもしていたし、締めに食べるのも半チャンラーメンとか、炒め野菜がたっぷりのった味噌ラーメンだったりと、モリモリと健啖な時代もあったのだった。
何を言っても、町中華の敷居の低さは圧倒的で、しかも昼から晩まで通して営業しているというのもあっぱれである。
神保町時代、たまたま通い詰めていた町中華が白山通りの三幸園で、それが気に入ってしまっていたがゆえの気楽な居酒屋遣いだったのだろう。
《B級グルメのトピックス一覧》
コメント 0