悼話§ハリー・クプファーさん(演出家) [追悼]
旧東ドイツ出身の演出家ハリー・クプファーの舞台はいくつか観ているが、一番に刺激的だった舞台は、1991年に初めて訪れたバイロイト音楽祭で観た『ニーベルングの指環』四部作だった。
↓バイロイト音楽祭『ラインの黄金』冒頭

『ラインの黄金』冒頭、舞台最奥部から緑のレーザー光線が、最初は一筋でそれが4本になってライン河を表し、ラインの乙女がスモークの中から登場する……この先、何が起こるのだろうと胸をワクワクさせて座っていたことを今さらながら思い出す。
最後に彼が手掛けた舞台を観たのは新国立劇場の『パルジファル』だったがこれもまた示唆に富む演出だと感じた。享年八十四
合掌
《追悼のトピックス一覧》
↓バイロイト音楽祭『ラインの黄金』冒頭

『ラインの黄金』冒頭、舞台最奥部から緑のレーザー光線が、最初は一筋でそれが4本になってライン河を表し、ラインの乙女がスモークの中から登場する……この先、何が起こるのだろうと胸をワクワクさせて座っていたことを今さらながら思い出す。
最後に彼が手掛けた舞台を観たのは新国立劇場の『パルジファル』だったがこれもまた示唆に富む演出だと感じた。享年八十四
合掌
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悼話§髙橋力さん(ソラミミスト) [追悼]
髙橋力は、タモリ倶楽部名物コーナー“空耳アワー”の常連投稿者だった。一週おきくらいに投稿が採用されていたほどで「また髙橋力」と我々程度の視聴者ですら、彼の名前を覚えていたくらいである。
それが、このところ名前を見かけないと思ったら、大晦日のこんなツイートで10月に亡くなったことを知った……深夜番組の一投稿者の死が、SNSで拡散され、このような形で彼の死が惜しまれるのだ。享年四十六
合掌
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それが、このところ名前を見かけないと思ったら、大晦日のこんなツイートで10月に亡くなったことを知った……深夜番組の一投稿者の死が、SNSで拡散され、このような形で彼の死が惜しまれるのだ。享年四十六
合掌
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悼話§ペーター・シュライヤーさん(歌手) [追悼]
卓越した歌唱を聴かせてくれたペーター・シュライヤーが長い闘病の末に死
去したのは、先週のクリスマスのことだった。

彼を初めて聴いたのは1980年の1月、ギターのコンラート・ラゴスニックが
伴奏をしたシューベルトの『美しき水車屋の娘』のリサイタルだった。音量
がピアノの比ではないギター伴奏のゆえか、表現の起伏が激しく、時として
義太夫語りのように、感情が顕わになるようなこともあって印象深かったの
である。
シュライヤーの歌い口の巧さは、その後1988年のバイエルン国立歌劇場日本
公演『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のダーヴィッドの見事な歌で
強烈な印象を残したのだ。享年八十四
合掌
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去したのは、先週のクリスマスのことだった。

彼を初めて聴いたのは1980年の1月、ギターのコンラート・ラゴスニックが
伴奏をしたシューベルトの『美しき水車屋の娘』のリサイタルだった。音量
がピアノの比ではないギター伴奏のゆえか、表現の起伏が激しく、時として
義太夫語りのように、感情が顕わになるようなこともあって印象深かったの
である。
シュライヤーの歌い口の巧さは、その後1988年のバイエルン国立歌劇場日本
公演『ニュルンベルクのマイスタージンガー』のダーヴィッドの見事な歌で
強烈な印象を残したのだ。享年八十四
合掌
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悼話§マリス・ヤンソンスさん(指揮者) [追悼]
マリス・ヤンソンスが指揮する演奏会に行ったのは3度。最初は1986年のサントリーホールで、指揮する予定だったエフゲニ・ムラヴィンスキーが体調不良でキャンセルとなって代わりの指揮者として聴いた。
2度目は2009年の同じくサントリーホールでバイエルン放送響を指揮してブラームスの交響曲第2番とチャイコフスキーの第5番。
最後が2013年、ベルリン・フィルハーモニーで行われたベルリン音楽祭に、バイエルン放送響がミュンヘンから遠征してきて、以下のようなプログラムでの演奏会。


ルトスワフスキー:管弦楽のための協奏曲
----------------------休憩----------------------
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
[アンコール]
ショスタコーヴィチ:『ムツェンスク郡のマクベス夫人』間奏曲
屈託なくオーケストラを鳴らすことにかけては当代随一で、この時アンコールとして演奏されたショスタコーヴィチの間奏曲などは、まさに彼の独壇場と言えるだろう。
そして残念ながら、体調不良でのキャンセルが続いた。2010年はミュンヘンのヘラクレスザール。そして去年、ミューザ川崎でのバイエルン放送響来日公演の2回で、実演を聴くことが叶わなかった。享年七十六
合掌
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2度目は2009年の同じくサントリーホールでバイエルン放送響を指揮してブラームスの交響曲第2番とチャイコフスキーの第5番。
最後が2013年、ベルリン・フィルハーモニーで行われたベルリン音楽祭に、バイエルン放送響がミュンヘンから遠征してきて、以下のようなプログラムでの演奏会。


ルトスワフスキー:管弦楽のための協奏曲
----------------------休憩----------------------
バルトーク:管弦楽のための協奏曲
[アンコール]
ショスタコーヴィチ:『ムツェンスク郡のマクベス夫人』間奏曲
屈託なくオーケストラを鳴らすことにかけては当代随一で、この時アンコールとして演奏されたショスタコーヴィチの間奏曲などは、まさに彼の独壇場と言えるだろう。
そして残念ながら、体調不良でのキャンセルが続いた。2010年はミュンヘンのヘラクレスザール。そして去年、ミューザ川崎でのバイエルン放送響来日公演の2回で、実演を聴くことが叶わなかった。享年七十六
合掌
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