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惣話§おかずにはなりません(個人の感想 [私事]

自分的に“おでん”の具とか鶏唐揚げは、ご飯のおかずになってくれない。おでんに関していうなら、練物の類はおかずにならないのだ。竹輪に始まって、さつま揚げなどなどといったあたりが該当する。

理由はというと、出汁はしっかり取れていても、やや薄味なところが、ご飯のおかずになりにくいのではなかろうかと想像。その他も、厚揚げや大根、卵と、いずれもおかずにするには、どこか物足りないと感じてしまうのだ。

だからもちろん、おでん定食などとは注文したことなど一度もない。これは実家暮らしをしていた子どもの頃から、食卓におでんが登場しても、それをおかずに食べたことなどはなかった。

そして鶏唐揚げも同様におかずになってくれない。これに関しても我が身はマイナーな存在で、食事処に行けば唐揚げ定食など珍しくもなくメニューにあって、多くの人が注文していることは承知している。

そして、ビールの肴として鶏唐揚げをいただくのは日常のことだが、これがおかずとなると、何とも手を出しにくい。

あまりにも個人的な嗜好ゆえに、どうしておかずになってくれないのか、その理由を解明するのは至難の業ということだろうか。

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現話§漢字の使用はほどほどにしています [私事]

文章を書く時の文字遣いは人それぞれであるが、個人的にはあまり過剰な漢字使用は控えるようにしている。それは仕事をしている中で培われた部分があったりもしていて、それは、文章の中に漢字を使い過ぎると、すらすらと読みにくいからということがある。

今はパソコンの漢字変換機能が簡単に使えるから、特に考えることなく漢字表記してしまう人も少なくないだろう。だが、読みやすい文章をと考えるのであれば、読みにくい漢字を多用するべきではない。心掛けているのは……

有難う御座います→ありがとうございます

良い→よい、いい

宜しく→よろしく

出来る→できる

……などなどで、どれも使ったことは一度もない。ただし、出来るは使わないが“出来上がり”あたりは使っている。そうして、上のような漢字表記を使ってしまうなら、自分の文章ではなくなってしまうのではと感じるのだ。

だからといって、漢字表記を避けてばかりで平仮名が増えてしまうようだとそれはそれで読みにくい文章になってしまう可能性もあるわけだから、常にそのあたりの塩梅については、自分なりに気を遣っているつもりではある。

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儘話§あと5センチ・・・・・・ [私事]

あと5センチ、身長が高かったらと思う時がないでもない。ちなみに現在の身長は171cmである。

中学生から高校生の頃は、もちろん標準身長を超えていたし、クラス中でも背の高いほうに入っていた。そうして東京に出てきた頃、電車に乗っていても、自分より身長の高い人はそれほどいなかった。

それが10年も過ぎた頃、ふと周囲を見回すした時に、かつてのように身長が他の人より高くはなくなってしまっていたのだ。そりゃあ、年々体格は向上していって、標準身長だってとっくに170cmを超えてしまっていたのだから。

というわけで、あと5センチほど身長が高かったらいいなあ、と思うことがあるのだが、それは……半ば負けず嫌いというか、見栄とでもいうべきか。

そしてさらに虫のいい願望を言うのなら、膝から下にその5センチを足してやってくれればとは身のほど知らずのわがままなのである。

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勉話§小学館の学習図鑑シリーズのおかげ [私事]

そもそも子どもの頃から好奇心旺盛だったかどうかはわからない。明らかなのは、好奇心を呼び覚まされたことで、それが小学館の学習図鑑シリーズであったのだ。

たぶん小学校2年生か3年生の頃に、親が図鑑シリーズの中から何冊か……動物、植物、昆虫、魚貝、気象天文、スポーツ、保健と人体、理科実験などなどを買ってもらった。

そうした図鑑ものに興味を持ったようで、暇さえあれば、何度も何度も読み返していたことを思い出す。小説の類も読まないではなかったが、それ以上に図版が多く、自然や科学を扱った図鑑のほうよりに惹かれていたようだ。

そうして、動植物、昆虫の名前やら生態を知り、気象現象や宇宙へと思いを馳せていたが、そんな中にあって理科実験の図鑑には多くを学ばせてもらったのである。

掲載された実験の全部ができたわけではなく、家にある限られた器材で、興味を持ったいくつかを実際に実験してみただけだが、そんなあれやこれやが学習実践に役立ったのは間違いない。

そうして理科ものへの興味を掻き立ててもらったが、それ以上に深まることはなく、文系へとシフトしていった。とはいえ、今でも頭の片隅に理科的な興味はしぶとく残っているのである。

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堵話§卒業単位と就職内定 [私事]

大学4年間は経済的事情ゆえに、1年次からせっせと単位の取得に努めた。

本末転倒であることは百も承知だったが、1年、2年と単位の荒稼ぎをしたのは、アルバイトの時間を捻出するためだったのである。

結果、3年次では火水木の三日登校で済むようになり、一か月10日くらいはカフェでギャルソンのアルバイトができ、それだけで月に3万ほどは稼げたのだ。

さらに4年になると登校は週2日、卒論ゼミと取り残した専門科目、加えて皆川達夫師の講座と4つほどを受講する日々だった。

4年次の科目を受講するにあたって、留年はせずに卒業することをを念頭に単位不足にならないよう、3年までの取得単位をきちんと計算し、ギリギリでというのは危ないので“保険”として念の為、余分に一講座押さえておいたのである。

大学のほうは、それで何とかなりそうと見極めができ、夏休みに2か月していた尾瀬の山小屋のアルバイトを終えて戻ってきたところで就活を始めた。

最初の頃は内定が一つも取れず、一時は蒼褪めかけそうになったが、すんでのタイミング(年末)で何とか内定をもらい、無事に37年半勤めて定年退職したわけだが、内定をもらった年末から年始が明けて大学に行く時、卒業単位を満たしているだろうかと不安になって、何度も何度も単位計算をしたが、もし、一科目でも取り損ねようものならどうなっていたか。

はっきりとは覚えていないが、確か2月頃、教務課の掲示板に、卒業認定者一覧表が貼り出されて、その中に自分の名前を見つけた時ほど胸をなで下ろしたことはなかった。

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衣話§我がアパレル全史 [私事]

自分が何を着たいか、今だにわからない人である。これから自分にまつわるアパレルについて書こうとしているのだが……書けるのか?

話は小学校5年の頃に遡る。我が田舎町にVANとJUNを扱う店がオープンしたのだ。そんなVANのボタンダウンシャツを生意気盛りの中学生が着ているのを見てびっくりした。トラッドのかっこよさに眼を惹かれたのだ。

我が家はそんな経済的余裕などあるはずもなく、小遣いを貯めてベージュのソックスを買うのが精一杯だった。ボタンダウンのシャツなど遥か遠くの存在なのだった。

高校の頃はジーンズが隆盛になりつつあって、当時の流行りだったベルボトムを2本ほどという日常を過ごしていて、それが大学から会社に入るくらいまでのスタイルであったか。

会社に入ってテニスを始めたが、ちっとも上達はせずだったが、その頃からポロシャツを着るようになった。フレッドペリーやルコック・スポルティフのポロから、少しラルフローレンも着たが、最近はノーブランド製品ばかりである。

会社にスーツを着ていく機会は少なかったが、曲がりなりにもリーマンゆえ数着ほどは今でもクローゼットに吊るしているが、既に無用の存在なのだ。

大雑把に数十年を俯瞰してみたが、ここに来ていわば“最後”に行き着いてしまったのが、Uニクロや×印良品で、それで日常を重宝に着て過ごす身なのである。

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週話§日曜枯寂~徹夜する~ [私事]

この四半世紀というもの、徹夜をした記憶がない。

宮仕え時代前半の20年ほどは午前様&朝帰りなど当たり前の職場だったのでそんなものかと思いつつ、昇ったばかりの朝の太陽を背に、タクシー帰宅をしていたのだ。

早朝の家にたどり着いて、風呂に入って布団に潜り込むが、数時間で起きて会社に出向く。さすがに寝ないわけにはいかない。そんなことしたら仕事にならない。

そうして昼過ぎに出ていく。仕事の性質上、それくらいに出て行ってもまだデスクに仕事は届いておらず、延々と夕方まで待つことになる。

そんな仕事から解放されたのは四十代半ば。その頃はそれなりに宵っ張りであったけれど、定年退職が近づいたあたりから少しずつ朝型の生活にシフトしていって、今の5時過ぎ起床、21時にはベッドにというパターンになっていった。

もちろん、徹夜なんてとんでもなく、まだまだ気力も体力もあった二十代の頃、上野発の夜行で尾瀬に行った時は、バスを降りて一睡もせずに尾瀬沼や尾瀬ヶ原に向かっていったことを思い出す。

一晩くらい寝ずとも“平気の平左”で、しかも山登りしたことが懐かしい。

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継話§面倒だと感じる自分がいる [私事]

ネット関連の懸案が何件かあるが、腰が重くて上がらない。

1……パソコンの買い替え。今使っているパソコンは2018年に購入して、既に5年が経過した。これまでも5年をめどに買い替えていて、そろそろが近づいてきている。

それは重々わかっているのだが、今一つ踏ん切りがつかないまま年末が迫りつつあるのだ。

買い替える費用も問題だが、買い替えた後の新しいパソコンへの環境設定やデータ移行などなど、そうした作業が面倒でグズグズしている。中途半端にできてしまうものだから、そうした作業を有料のサポに依頼するのもいやなのである。

2……光回線の契約変更。契約している光回線は2007年からのもので、速度が遅いと感じたりしていて、そろそろ見切りをつけようかと考えている。乗り換え先は決めているが、腰が上がらない。

3……ガラケーからスマホへ。今のガラケーが使えるのも、あと2、3年。サポートも終了しているので、渋々スマホに移行しようかと考えているが、これもまた面倒で先に進めないでいる。

携帯電話をすることなどほとんどなく、同居人との連絡用程度で、言ってみれば“保険”みたいなつもりで持っている。iPod touchの類もルーターからWiFiを飛ばしていて、特に不便を感じることはない。

以上の3件が、当面の懸案として俎上に上がっていて、同居人とは「涼しくなってきたら……」と話をしているのだが、さて。

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労話§宮仕えを始めた頃・・・・・・ [私事]

めでたくも大学を卒業し、自分には不釣り合いともいえる望外な会社に職を得て、意気揚々と宮仕えを始めた……と言いたいところだが、実際のところは、不安だらけの“船出”だった。

仕事がスタートしたはいいが、肝腎の中身がさっぱりわからない。何がどうしてこのようになっていくものかが、まったく理解できなかったのである。

それでも、少しずつやるべき仕事は増えていくのだが、中身の理解度は遅々として進まず。半年が経って試用期間が明けて正社員となっても、絶望的に仕事を理解することができないまま。

そうして、1年が過ぎたくらいだったか、遅ればせながらようやく、仕事の何たるかがわかってきたように感じた。

多分に“技術的”な要素の多い職分であるがゆえなのかどうかわからないが職人仕事のようでもあって、人がやっているところを見たり、わからないところは聞いてみたりして、どうにか格好がついたかなと思えたのは3年ほど過ぎた頃だっただろうか。

そうして37年半、同じセクションで過ごしたが、自分的にはやっている仕事の本質を正しく理解したとは思えないまま定年退職を迎えたようである。

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週話§土曜枯寂~シュレッダー必需~ [私事]

日々届くのは“買ってください”的なダイレクトメールばかり。その表には我々の住所&氏名がきちんと印刷されている。大昔はそんな類でもかまわずゴミ箱に放り込んでいたが、昨今の個人情報云々を考えれば、そんな危険なことはできず、家庭用のシュレッダーを買い求めて、既に三代目となった。

昨今の様々な状況を鑑みるならば、個人情報が見えるまま処分するなどとは危なっかしくてならず、いつ何時……と考えれば、裁断しておくに越したことはない。

とはいえ、いちいちシュレッダーを引っ張り出して半年は溜め込んだ紙類を淡々と処理していくのは、やってしまえば15分ほどで終わるのに、何をグズグズしているのかと思うのである。

かくして、我らが個人情報は、数ミリほどの紙片クズとなり、燃えるゴミを出す日に回収されていくのであった。そういえばテレビドラマで、その紙片を復元するシーンがあったではないか……ゆめゆめ油断などできないのだ。

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興話§遊んでいる・・・・・・たぶん [私事]

遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん

アラ七十という年齢になり、残り時間も両手なのか片手なのかという状況が眼の前にあって、それじゃあどうしているのかといえば……要するにまあ、遊んでいるのである。

舞台芸術――歌舞伎だが――とか、演奏会あれやこれやに、宮仕え時代ほどではないけれど、まあまあせっせと通っている。これにラグビー観戦などを合わせると、年間40回は何だかんだと、劇場、コンサートホール、競技場へと出向いているのだ。

そうはいっても、この先劇的にそうした機会が増えるとは思えない。それは何より年齢的なものが大きいと思われる。先月、藤村実穂子のリサイタルを上野の文化会館小ホールで聴いたのだが、平日の19時開演の演奏会のために山手線を半周して行き来した時はすっかり疲れてしまった。そして帰宅したのも22時過ぎで、普通の日常であれば白河夜船の身である。

遊びに出るのも体力なのだなあと、夫婦二人しみじみ思い知ったのだった。若い頃には何でもなかった満員電車での移動にしても、時折だがしんどいと感じることも増えてきて、気がつけば自然に行動範囲が狭まってきているのだった。

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誕話§アラ七十~古希秒読み~ [私事]

本日、69歳となった。

20世紀の半ばに生まれた身が、21世紀のどこまで生き延びるものか、それはわからない。何しろ古希七十が眼の前なのだから。

うーん……七十半ばくらいだろうか、あるいは八十までは頑張れるかなどと考えたりはするが、齢百歳みたいなことなどゆめゆめ考えたことなどない。

まあ、かなりガタが来まくっている中古のオンボロ・ボディだが、生きる意志があって、とりあえずパーツが動いて、いくばくかの欲というか好奇心が我が身の中に健在であってくれれば、生きるのは楽しいに違いないのだが。

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週話§土曜枯寂~何かと忙しない~ [私事]

たいしたことではないが、日々やっておかなくてはならないあれこれが積み重なって、それを淡々とこなしている日常だ。

もちろん現役の宮仕えとは比べるのも恥ずかしいほどでしかないけれど、それでも、その日その日の区切りのようなものだと受け留めて動いている。

逆に、そうでもしないと曜日の感覚が明らかに失われてしまうから、やるべき日にやるべきことをしていくことが、我々の日常化の助けになってくれるようだ。

基本のきとしては、週二回の燃えるゴミ収集があって、そこから曜日感覚を維持できているということだろうか。

もう一つは、週に一度入荷する商品があって、それを求めるためにスーパーに行くというもの。別に買わなくても困るような類ではないけれど、その日と買いに行くと決めていだけである。

まあ、こうして必ずやることの合間に、ちょっとしたお出かけ……歌舞伎、コンサートのお楽しみやら、会社OB会の集まりとか大学地域校友会の打ち合わせなどなどが入ってきて、卓上カレンダーにスケジュールを書き込んでおかないと、Wブッキングしかねなかったりするくらいなのだ。

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週話§日曜枯寂~ご飯の量は・・・・・・~ [私事]

一度に炊くご飯は二合と決まっている。だが、毎日炊くわけではない。夕食の時に炊き、二人合わせて一合くらいは食べるだろうが、残りは冷凍して、翌日の昼食の時などに食べている。

ご飯をラップで包んだ後、水性マジックで包みが何グラムなのかを書いておくと便利だとは、後々になって気がついたこと。

一包みがだいたい150gから200g前後。おかずで食べる時は150~170gくらいだが、カレーのようなスパイスものだと200gちょっとをがんばるのだ。刺激物は、どうしても食べるご飯の量が増えてしまうが、カレーの量を鑑みれば、どうしてもそれくらいのご飯にしないと物足りない。もちろん、ご飯200g超という量はカレーを食べる時などに限られるが。

そして我が家の米は、宅配野菜から注文していて、2kgが月に2回届くのである。

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連話§コース料理は~根が根なので~ [私事]

いわゆるコース料理とか和食のおまかせとかは、食べる身にすれば不安要素が大きい。単純にどれほどの量なのか、最後まで食べ切ることができるものだろうかと考えてしまって、たぶん最後にコースを食べたのは数年前、高校の同期会のイタリア料理だった。

その時は、それぞれ量もほどほどだったので、残すことなく食べることはできて楽しいものだったが、いつもそうだとは限らない。

というわけで、年齢的な食欲事情もあるのかどうかはわからないが、例えば居酒屋の小皿料理とか、とんかつ屋とか天麩羅屋あたりのワンディッシュで料理が出てくるというのがありがたかったりする。

そして、たまには小洒落た旅館に泊まってみたいなどとも考えたりするが、そうした旅館にありがちなのが、これでもかと出てくる料理のオンパレードで、既にしてそんなに出されても食べ切れるものでないのは明らかなのだ。

せっかくの“おもてなし”であるのは重々理解できるけれど、食べられないものは食べられないわけで、例えば予約の時に軽いコースにしてくれとか、そうした調整が可能であればありがたいと思うが、そうした融通をきかせてくれるところがどれほどあるものかと思う……フードロス軽減に協力したいのだから。

《B級グルメのトピックス一覧》
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