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週話§日曜粛々~多摩ニュータウン50年~ [東京]

1971年に入居者を迎えた多摩ニュータウン……今年で50年なのである。入居が始まった当時は、まだ京王線も小田急線も開通しておらず、都心に通うためにはバスで聖蹟桜ヶ丘まで行くしかなかったのだ。

多摩ニュータウンを訪れた人ならわかることだが、開発するにあたって、幹線道路と鉄道を谷あいの低いところを走らせ、居住地域を丘陵の上に配置、居住地域には車道と歩道を分離させて、遊歩道をふんだんに通して行き来をスムーズにと考えてある。

そうはいっても半世紀も経てば、最初期の入居者は既に高齢の域に達して、5階建てまでの旧公団マンションにはエレベーターの設備がなかったり、坂の上り下りにも難儀するようになってきてしまった。

時間が経てば新たな問題が生まれ出てくるのは当然のことで、ほどなく我々の世代も、そうした問題に直面するのである。

今や、ニュータウンと呼ぶには、とっくにオールドタウンになってしまったわけだが、多摩ニュータウンに住み続ける人たちにとっては、四季の自然の変化を愛でられる住環境のすばらしさが何物にも代えがたいわけで、それこそが多摩ニュータウンの大きな魅力と言えるだろう。

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顧話§今日の歴史~東京の象徴として~ [東京]

1958年12月23日、東京タワー完工式。

東京の芝に東京タワーが完成した時は4歳だった。だが、かなり鮮明に記憶しているのは、完成の翌年に保育園の同級生が東京タワーに行ってきて、お土産をもらったのだった。

その時以来、東京といえば東京タワーという刷り込みのようなものができてしまったようで、それが長じて東京に出ていくという結果となったことは、間違いのないことである。

その後、初めて東京タワーに上がったのは1973年か74年のこと。幼時の夢とは違って、ようやく東京に“来た”といったような感慨は薄れていた。

東京タワーの今はといえば、都心の高層ビルのすっかり埋もれて、すっくと孤高の如く聳え立っていた面影はないが、そうなったらなったで、赤い塗装の華奢な姿を認めるのもまた心をときめかせてくれるようだ。

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顧話§今日の歴史~魚河岸の風情が~ [東京]

2018年10月6日、築地市場が卸売市場としての営業を終了。

直近……もう2年前のことである。築地市場の営業が終了し、豊洲市場が開場し、新しい市場が動き出したのである。

どちらの場内にも行ったことはないが、築地場内は相当に老朽化が進んでいたと思われるが、どうにかして改善&改良して存続できなかったものかと思うのだ。

豊洲の開場ありきで、地下水が汚染されていたりということもうやむやにされて、なし崩しに開場されてしまったということも感じないではない。そして、あっという間に“築地ブランド”なるものが消滅してしまったような気がするのである。

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顧話§ハイビジョンで1992年の東京を観る [東京]

こんな映像がYOUTUBEに上がっていたので紹介しておきたい。



『1992年の東京の日常風景』と題された、当時はまだ実用放送が始まってはいなかった時代に、ハイビジョンで撮影された東京の一日である。

時間的にはバブル崩壊から3年ほどが経過していて、そのあたりは服装を見れば一目でわかることだ。既に西新宿の高層ビル群はほとんどが完成しているが、初台のオペラシティは影も形もない。

映像を見ていて、今時と明確に違うことは“歩きタバコ”がはびこっていたことで、サラリーマンが歩いている場面では、タバコがお約束だったのだ。

無造作に喫っては無造作に路上に捨てておしまい……そうしたマナーの問題もタバコへの逆風が強くなった理由であることは間違いないところである。

今はといえば、東京都では間もなく禁煙条例が施行され、飲食店での喫煙ができなくなる。いまだに反発するところもあるが、一方ではオリンピックをあてにするという都合のよさでは、理解などが得られるはずもないだろう。

そしてそのことは、昨年秋に行われたラグビーワールドカップ日本大会でもしっかり刻み込まれたはずだと思ってはいるが、相変わらずのらりくらりとどっちつかずというの“日本という国”であることがよくわかるのである。

そうして、バブル崩壊以降30年近くが経過した今、世の中がよくなったような気がしないのはなぜだろうか。

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荘話§渋谷残像 [東京]

下の写真は、ちょうど2年前にヒカリエの上階にある劇場から見下ろした渋谷駅と正面にスクランブル交差点、左端に東京メトロ銀座線の様子である。

IMG_1892.JPG

東京で、いや間違いなく日本で一番街の変貌の激しい一帯と言えるだろう。銀座線渋谷駅はまだ旧ホームで、今年初めには手前に新しいホームが誕生した。

そして間もなく、写真左上の東急東横店が閉店して新しい建物に生まれ変わるのだ。

東京に出てきたのは1973年のこと。もちろんスクランブル交差点などはまだなく、繁華街ではあったけれど、新宿ほどに賑わってはいなかったのではという記憶である。スクランブル交差点の奥のファッションビルのあたりは、百軒店と呼ばれる、戦後生まれたごちゃごちゃした店が脈絡なく建っていて怪しい雰囲気を醸し出していた。

そうして同じ年、公園通りにはパルコがオープンし、坂の上にはNHKホールが開館したのである。

写真を撮ったヒカリエは、東急文化会館というビルで、最上階にはプラネタリウムがあり、地下の劇場では日曜日お昼に放送されていた人気お笑い番組『大正テレビ寄席』の収録も行われていたのだった。

そんな渋谷から、もう間もなく半世紀が経とうとしている。

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