週話§日曜粛々~多摩ニュータウン50年~ [東京]
1971年に入居者を迎えた多摩ニュータウン……今年で50年なのである。入居が始まった当時は、まだ京王線も小田急線も開通しておらず、都心に通うためにはバスで聖蹟桜ヶ丘まで行くしかなかったのだ。
多摩ニュータウンを訪れた人ならわかることだが、開発するにあたって、幹線道路と鉄道を谷あいの低いところを走らせ、居住地域を丘陵の上に配置、居住地域には車道と歩道を分離させて、遊歩道をふんだんに通して行き来をスムーズにと考えてある。
そうはいっても半世紀も経てば、最初期の入居者は既に高齢の域に達して、5階建てまでの旧公団マンションにはエレベーターの設備がなかったり、坂の上り下りにも難儀するようになってきてしまった。
時間が経てば新たな問題が生まれ出てくるのは当然のことで、ほどなく我々の世代も、そうした問題に直面するのである。
今や、ニュータウンと呼ぶには、とっくにオールドタウンになってしまったわけだが、多摩ニュータウンに住み続ける人たちにとっては、四季の自然の変化を愛でられる住環境のすばらしさが何物にも代えがたいわけで、それこそが多摩ニュータウンの大きな魅力と言えるだろう。
《日常のトピックス一覧》
多摩ニュータウンを訪れた人ならわかることだが、開発するにあたって、幹線道路と鉄道を谷あいの低いところを走らせ、居住地域を丘陵の上に配置、居住地域には車道と歩道を分離させて、遊歩道をふんだんに通して行き来をスムーズにと考えてある。
そうはいっても半世紀も経てば、最初期の入居者は既に高齢の域に達して、5階建てまでの旧公団マンションにはエレベーターの設備がなかったり、坂の上り下りにも難儀するようになってきてしまった。
時間が経てば新たな問題が生まれ出てくるのは当然のことで、ほどなく我々の世代も、そうした問題に直面するのである。
今や、ニュータウンと呼ぶには、とっくにオールドタウンになってしまったわけだが、多摩ニュータウンに住み続ける人たちにとっては、四季の自然の変化を愛でられる住環境のすばらしさが何物にも代えがたいわけで、それこそが多摩ニュータウンの大きな魅力と言えるだろう。
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