顧話§今日の歴史~寿命は20年ほどだった~ [パソコン]
1978年9月26日、東芝が世界初の日本語ワードプロセッサを発表。
宮仕えを始めた年に、ワープロ第1号が発表されていた。もちろんパソコンすら自分にとっては雲の上の存在だったのだが。
仕事場にワープロがやって来たのは1984年のこと。最初は遠巻きに眺めていたが、自分がやっている仕事に役立ちそうなことを思いついたので、おずおずとディスプレイの前に座った。英文タイプは少しばかり心得があったが、会社が導入したのは親指シフトの富士通オアシス(OASYS)なのだった。
手探りで始めて見たが、意外にもすんなりと親指シフトを覚えて、いそいそと仕事のために必要なデータ入力を始めた。キーボードに慣れる意味もあって淡々と数百行に及ぶデータを入力し、入力したデータに変更が生じたり、新規データが登場した時はその都度更新、加除をして、データを充実させていったのだ。
そうしたおかげで、キーボード入力にも習熟して、ワープロを克服できたのである。
その後、会社全体の業務に展開していったワープロだったが、次第にパソコンに取って代わられるようになり、世紀が変わる頃には現場から姿を消してしまった。
ある意味、ワープロは時代が産んだ徒花(あだばな)だったのかもしれない。
《歴史のトピックス一覧》
宮仕えを始めた年に、ワープロ第1号が発表されていた。もちろんパソコンすら自分にとっては雲の上の存在だったのだが。
仕事場にワープロがやって来たのは1984年のこと。最初は遠巻きに眺めていたが、自分がやっている仕事に役立ちそうなことを思いついたので、おずおずとディスプレイの前に座った。英文タイプは少しばかり心得があったが、会社が導入したのは親指シフトの富士通オアシス(OASYS)なのだった。
手探りで始めて見たが、意外にもすんなりと親指シフトを覚えて、いそいそと仕事のために必要なデータ入力を始めた。キーボードに慣れる意味もあって淡々と数百行に及ぶデータを入力し、入力したデータに変更が生じたり、新規データが登場した時はその都度更新、加除をして、データを充実させていったのだ。
そうしたおかげで、キーボード入力にも習熟して、ワープロを克服できたのである。
その後、会社全体の業務に展開していったワープロだったが、次第にパソコンに取って代わられるようになり、世紀が変わる頃には現場から姿を消してしまった。
ある意味、ワープロは時代が産んだ徒花(あだばな)だったのかもしれない。
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