懐話§昭和四十年代~富士山とスモッグ~ [昭和]
[承前]
高度経済成長期の影の部分は“公害”であった。騒音や水質汚染に始まってスモッグもまた、工場から吐き出される排気の悪しき産物だったのである。
スモッグのおかげで東京から富士山が見えなくなったのは、1960年代のことで、ニュースで富士山が見えないと小さからぬ話題として取り上げられたのだった。
その頃でも年末年始になると、その間は工場も操業を休むから、東京からも富士山が見えるのだと、これもまた、しばしばニュースになったことある。
そうして、排気ガス規制が厳しくなっていったこともあって、富士山が普通に見える日常が戻ってきたのはいつ頃のことだっただろうか。1980年代のはじめ、結婚して住み始めたマンションのベランダから、丹沢越しに富士山の姿が見えた時は、何だか得をした気分になった。
住み替えてたどり着いた今のマンションも、ちょこっとだが富士山が見えて本当にありがたいことである。何がどうというわけではないけれど、快晴の朝にベランダに出ると、青空をバックにした富士山が“そこにある”という幸せをささやかに感じるのである。
[続く]
《昭和のトピックス一覧》
高度経済成長期の影の部分は“公害”であった。騒音や水質汚染に始まってスモッグもまた、工場から吐き出される排気の悪しき産物だったのである。
スモッグのおかげで東京から富士山が見えなくなったのは、1960年代のことで、ニュースで富士山が見えないと小さからぬ話題として取り上げられたのだった。
その頃でも年末年始になると、その間は工場も操業を休むから、東京からも富士山が見えるのだと、これもまた、しばしばニュースになったことある。
そうして、排気ガス規制が厳しくなっていったこともあって、富士山が普通に見える日常が戻ってきたのはいつ頃のことだっただろうか。1980年代のはじめ、結婚して住み始めたマンションのベランダから、丹沢越しに富士山の姿が見えた時は、何だか得をした気分になった。
住み替えてたどり着いた今のマンションも、ちょこっとだが富士山が見えて本当にありがたいことである。何がどうというわけではないけれど、快晴の朝にベランダに出ると、青空をバックにした富士山が“そこにある”という幸せをささやかに感じるのである。
[続く]
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