この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
俄話§初ラグビー観戦~J・P・R・ウィリアムス~ [ラグビー]
ウェールズ往年の名プレイヤーだったJ・P・R・ウィリアムスが1月に亡くなった。享年七十四
彼がプレイしているのを見た。それも初めてのラグビー観戦で、今から50年近く前、1974年の国立競技場、日本対ウェールズのテストマッチであった。新聞は取っていたけれど、どうしてテストマッチのスケジュールを知ったのか……謎である。

その当時、ラグビーに興味はあったが、大学ラグビーのテレビ中継を観るのがせいぜいだったし、今にして思えば“ニワカ”以下でしかなかったという記憶だ。
それでもウェールズのプレイは強烈かつ鮮烈で、前半キックオフから1分もしないうちにノーホィッスル・トライを決められ、その後もトライを重ね、6対82の圧倒的大惨敗を喫したのである。日本の6点は、早稲田から横河電機に進んだフルバックの植山による2本のペナルティキックに終わった。
そんな圧倒的なウェールズが当時最強だということは後になって知ったことだし、さらにJ・P・R・ウィリアムスや最強スタンドオフのフィル・ベネットという名前を知ったのはどういう経緯だったのか今もってわからない。
そのフィル・ベネットも一昨年6月に73歳で亡くなっていた。合掌
《ラグビーのトピックス一覧》
彼がプレイしているのを見た。それも初めてのラグビー観戦で、今から50年近く前、1974年の国立競技場、日本対ウェールズのテストマッチであった。新聞は取っていたけれど、どうしてテストマッチのスケジュールを知ったのか……謎である。

その当時、ラグビーに興味はあったが、大学ラグビーのテレビ中継を観るのがせいぜいだったし、今にして思えば“ニワカ”以下でしかなかったという記憶だ。
それでもウェールズのプレイは強烈かつ鮮烈で、前半キックオフから1分もしないうちにノーホィッスル・トライを決められ、その後もトライを重ね、6対82の圧倒的大惨敗を喫したのである。日本の6点は、早稲田から横河電機に進んだフルバックの植山による2本のペナルティキックに終わった。
そんな圧倒的なウェールズが当時最強だということは後になって知ったことだし、さらにJ・P・R・ウィリアムスや最強スタンドオフのフィル・ベネットという名前を知ったのはどういう経緯だったのか今もってわからない。
そのフィル・ベネットも一昨年6月に73歳で亡くなっていた。合掌
《ラグビーのトピックス一覧》
コメント 0