過話§尾瀬歩き昨今~夜行日帰り~[上] [尾瀬]
定年退職このかた、尾瀬に入ったのは、2015、2018、2019×2、2021×2の6回、今年はまだ入れないでいる。
宮仕え時代に尾瀬に入ったのは確か3回くらいで、山小屋でアルバイトしていた大学4年間(1974~1977年)の比ではなかった。アルバイトをしていた頃に尾瀬を訪れた人たちと、今の尾瀬を歩く人たちの動向が顕著に変わったことに気がつく。
↓群馬県側の登山口戸倉。ここから大清水や鳩待峠へ

かつて、尾瀬を訪れるメインルートは、大清水から三平峠を越えて尾瀬沼に向かうというものだった。その他に群馬県側からは戸倉から富士見峠を経て尾瀬ヶ原に下るコース、鳩待峠から尾瀬ヶ原に下るコース、そして福島県側からは御池から沼山峠を越えて尾瀬沼と、裏燧林道を歩いて尾瀬ヶ原に向かうコースがあった。
↓福島県側、沼山峠へ向かうバス

それがすっかり様変わりして、今は鳩待峠から尾瀬ヶ原を往復するコースが最もポピュラーになって、大清水からのコースは見る影もなくなってしまっている。
大きな理由として考えられるのは、関越自動車道が東京から沼田まで通っていることで、夜行日帰りツアーバスの手軽な尾瀬ハイキングが、鳩待峠から尾瀬ヶ原往復というルート設定になっていて、ハイカーは全日程数時間で、尾瀬ヶ原中田代あたりを折り返して鳩待峠に戻っていくのだ。
詳細な数字は知らないが、おそらくは山小屋泊の人数はかなり減ってしまったことは間違いない……次回は、山小屋泊が少なくなったこととその影響。
[続く]
《尾瀬のトピックス一覧》
宮仕え時代に尾瀬に入ったのは確か3回くらいで、山小屋でアルバイトしていた大学4年間(1974~1977年)の比ではなかった。アルバイトをしていた頃に尾瀬を訪れた人たちと、今の尾瀬を歩く人たちの動向が顕著に変わったことに気がつく。
↓群馬県側の登山口戸倉。ここから大清水や鳩待峠へ
かつて、尾瀬を訪れるメインルートは、大清水から三平峠を越えて尾瀬沼に向かうというものだった。その他に群馬県側からは戸倉から富士見峠を経て尾瀬ヶ原に下るコース、鳩待峠から尾瀬ヶ原に下るコース、そして福島県側からは御池から沼山峠を越えて尾瀬沼と、裏燧林道を歩いて尾瀬ヶ原に向かうコースがあった。
↓福島県側、沼山峠へ向かうバス
それがすっかり様変わりして、今は鳩待峠から尾瀬ヶ原を往復するコースが最もポピュラーになって、大清水からのコースは見る影もなくなってしまっている。
大きな理由として考えられるのは、関越自動車道が東京から沼田まで通っていることで、夜行日帰りツアーバスの手軽な尾瀬ハイキングが、鳩待峠から尾瀬ヶ原往復というルート設定になっていて、ハイカーは全日程数時間で、尾瀬ヶ原中田代あたりを折り返して鳩待峠に戻っていくのだ。
詳細な数字は知らないが、おそらくは山小屋泊の人数はかなり減ってしまったことは間違いない……次回は、山小屋泊が少なくなったこととその影響。
[続く]
《尾瀬のトピックス一覧》
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