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弦話§ヤメン・サーディのヴァイオリンを聴く [クラシック]

勤労感謝の祝日、今年最後のクラシック演奏会に行ってきた。ヤメン・サーディのヴァイオリン・リサイタルである。昨年秋、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の新コンサートマスターに就任。現在は正式採用を目指し試用期間中。ピアノは沢木良子。

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プーランク:ヴァイオリン・ソナタ FP119
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 A-Dur Op.100

**********************休憩**********************

フランク:ヴァイオリン・ソナタ A-Dur FWV8

[アンコール]
クライスラー:愛の悲しみ
ラヴェル:5つのギリシャ民謡から第2曲「むこうの教会へ」

一曲目、プーランクのソナタは、ほとんど初めて聴くような曲だが、曲の形を掴みかねてしまった。プーランクらしいエスプリ、諧謔、ユーモアというものは見当たらず、いささか硬派とでもいった趣と見受けた。そして楽器が鳴ってくれない。会場の空気も少しばかり冷えていて、ピアノの影に音が隠れることしばしで、楽しめたとはいえず。

二曲目のブラームスは、ここに来て楽器も温まって芳醇な響きが会場を満たすようになって、サーディの真価が発揮されだしたと感じる。

そして休憩後のフランクは、ヴァイオリンという楽器の魅力を余すことなく披瀝した。たった一台のヴァイオリンが、あれだけのホール空間を音楽で満たしきる様子を思い知ることになったのだ。

アンコールはちょっと不思議なクライスラーの『愛の悲しみ』とラヴェルの歌曲『5つのギリシャ民謡』から第2曲が演奏された。ラヴェルは、彼の故郷であるイスラエルの今に対するメッセージではなかったか。

ちなみにサーディは、ユダヤ系のダニエル・バレンボイムとパレスチナ系のエドワード・サイードが創設したウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団の出身である。

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創話§交響曲とその“楽章” [クラシック]

交響曲とは、げに不思議な音楽である。

ソナタ形式の第1楽章、そして入れ替わることもあるが、第2楽章は緩徐、第3楽章はメヌエットかスケルツォ、終楽章はロンド形式……これはまあ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンといった古典派音楽の作曲家たちの約束事で、ロマン派になると徐々に崩れていって、5楽章構成の交響曲も珍しくはない。

さて、作曲家は4つの楽章をどのようなイメージで作曲し、一つの交響曲としてまとめていくのだろう。

もっとも単純なのは、一つのモチーフ――メロディーとかリズムとか――を各楽章に共通して用いることで、これはベートーヴェンの交響曲第5番を聴けば、第1楽章冒頭の“ダダダダーン!”が全楽章を通して使われている。

ベートーヴェンは“運命の動機”をこれでもかとばかり執拗に使い続けて、いやでも我々の脳髄に刻み込まれてしまう……恐るべき手管ではないか。

そしてロマン派の作曲家の交響曲はといえば、古典派の形式は影を潜めてしまうわけで、どのような手法で楽章を作曲し一つの交響曲にまとめていくのだろう。

ブラームスは4つの交響曲を作ったが、そのどれもメヌエットやスケルツォの三拍子舞曲の楽章を置かなかった。そして、ただ漠然と聴いているだけの我々には、ブラームスがどのような発想で交響曲を形作っていったものか、想像することはできないのである。

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爛話§ルイージ&コンセルトヘボウ~凄い~ [クラシック]

火曜日、サントリーホールでファビオ・ルイージ指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を聴いた。プログラムは以下の通り。

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ウェーバー:オペラ『オべロン』序曲
リスト:ピアノ協奏曲第2番 A-Dur
ピアノ/イェフィム・ブロンフマン
[アンコール]
ショパン:ノクターン第8番 Des-Dur Op.27-2

**********************休憩**********************

チャイコフスキー:交響曲第5番 e-moll Op.64
[アンコール]
チャイコフスキー:オペラ『エフゲニー・オネーギン』よりポロネーズ

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音色感、ダイナミックレンジ、レスポンス……そのすべてを兼ね備えた、とにかくスーパー・オーケストラである。

“軽い手慣らしの”オベロンから、すべての楽器がよく鳴って、音楽を聴く喜びに心が躍る(月並

ブロンフマンを聴くのは、ちょうど10年前のベルリン・フィルハーモニーで同じくコンセルトヘボウとの共演。今回も初めて聴くリストの第2協奏曲。豪快に鳴らしまくる人だと思っていたが、粒立ちのくっきりした、しかも繊細なピアノ。それに合わせるオケの反応のよさは並々ならぬものがあって、舌を巻いていた。ピアノとチェロ・ソロのアンサンブルもまた佳き。

アンコールに弾かれたショパンが、これまた木目細かい、触れようものならはかなく融け落ちてしまう氷細工の如く。

そしてメインのチャイコフスキー。低音弦が終始モノトーンで音楽を奏で、それをベースに、ヴァイオリンや管楽器が様々な色を紡いでいく。時に繊細であり、時にダイナミックな音量でホールの空間を満たしていく。

シルキーな弦楽器がメロディーを受け渡していくところ、ヴィオラの雄弁さに惹きつけられてしまうのも当然のことだろう。

特筆しておきたいのは、ホルンのソロであり、クラリネットやファゴットをはじめとする木管群のアンサンブル……とても書き切れるものではないぞ。

チャイコフスキーの交響曲でお腹一杯になった後、アンコールの追い打ちは『エフゲニー・オネーギン』よりポロネーズ。どっぷりコンセルトヘボウのチャイコフスキーの音楽に溺れた一夜なのだった。

終演は21時15分。電車を乗り継いで帰宅したのは23時少し前。

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週話§日曜枯寂~カセットテープ~ [クラシック]

カセットテープ以前、父親が何の脈絡もなくオープンリールのテープレコーダーを買ってきたが、衝動的で意味不明だとは、今でも思う不思議なこと。そして、たいして活用されずに終わったのだ。

それからしばし間があって、カセットテープのレコーダーを買ったのは宮仕えした年の冬、ボーナスをはたいてオーディオを揃えた時である。

最初はワンウェイのレコーダーだったが、しばらくしてオートリバースに買い替えたのは、クラシック音楽の演奏時間の長さゆえである。主に使っていたのは、往復90分テープで、120分テープは薄さに問題ありで使わずだった。

あろうことか、年末のバイロイト音楽祭放送で『パルジファル』を録音したが、その時はオートリバースではなかったので、タイミングを見計らって、テープをひっくり返したのだ。

当時は、レコードプレイヤー、FMチューナー、カセットレコーダー、それにアンプ一揃いでオーディオを楽しんでいたわけだが、CDが浸透していくにつれて、テープレコーダーを使う頻度が少なくなってしまった。そして、カセットはというと、当時全盛だったカーオーディオで重宝に使われたのである。

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顧話§今日の歴史~初日に行ったのだ~ [クラシック]

1986年10月12日、サントリーホール開場。

大阪のザ・シンフォニーホールに遅れること4年。東京にも待望久しいコンサート専用ホールがようやく誕生した。37年前のことである。

この日の午前、完成式典が行われた。オーケストラのチューニングをするのに、佐治敬三サントリー社長が、パイプオルガンのAを押してという演出で第一音がホールに響いた。演奏されたのは芥川也寸志作曲の『響』だった。

それに続いて、一般客を入れての最初のコンサートは、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮、NHK交響楽団によるベートーヴェンの第九交響曲が演奏されたのだ。

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残念ながら最初のコンサートのチケットは取れず、同じ日17時開演で行われた“ザ・ガラ オープニングナイト”に出かけることはできた。これがまた盛りだくさんな消化不良を起こした内容で、こちらを見ればどれほど詰め込んだかが理解できるだろう。

しかも並行して小ホール(ブルーローズ)でもパフォーマンスが行われ、入場者は大ホールと小ホールと行き来することになったでのある。

かくしてプログラムが終了したのは23時を過ぎていたという、欧米のガラ公演並みの凄まじさ。当日は車で往復したが、それはもう大正解だった。

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美話§藤村実穂子[東京文化会館小ホール] [クラシック]

何度も何度も聴いてきた藤村実穂子の歌曲リサイタルは……これまで紀尾井ホールで行われていたのが、上野は東京文化会館小ホールでの開催。

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プログラムは以下のとおり。ピアノ伴奏はヴォルフラム・リーガー。

モーツァルト:

静けさは微笑み Kv.152
喜びの鼓動 Kv.579
すみれ Kv.476
ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼く時 Kv.520
夕べの想い Kv.523

マーラー:『さすらう若人の歌』

恋人の婚礼の時
朝の野を行けば
胸の中には燃える剣が
恋人の二つの青い眼

**********************休憩**********************

ツェムリンスキー:『メーテルリンクの詩による6つの歌』 Op.13

三人姉妹
目隠しされた乙女たち
乙女の歌
彼女の恋人が去った時
いつか彼が帰ってきたら
城に来て去る女

細川俊夫:2つの日本の子守唄(日本民謡集より)

五木の子守唄(熊本県民謡)
江戸の子守唄(東京都民謡)

[アンコール]
ツェムリンスキー:

子守唄
春の日
夜のささやき

冒頭のモーツァルトから、磨き上げられた声がホールの空間に満たされた。“いつもの”流れからするなら、最初のモーツァルトは声慣らしの位置付ける人が多く、どこかまとまりがなく物足りなかったりするのだが、この日のモーツァルトは、そうした流れなどではなく、声もしっかり出て……という以上に完成度が高く、いきなり腹一杯になってしまいそうだった。

紀尾井ホールで聴いた時、何がなし“?”と感じるようなこともなくはなくて、不完全燃と感じていたのだが、この日は、そうした不満を一気に吹き飛ばす、どこか“吹っ切れた”ようなステージだったのである。

続くマーラーは、さらにモーツァルトの好調を維持した上、さらに細部に磨きをかけて、彼女らしい細やかさが発揮されたのだ。

言うまでもないが、彼女に合わせるリーガーの伴奏が、精妙にして絶妙かつ融通無碍で、二人の合わせ技の見事さよ。

後半は、初めて聴くツェムリンスキーと細川俊夫が編曲した日本民謡2曲。日本民謡は、いかにもな節回しの自然さを感じ、確かな日本語歌唱を堪能することができた。

アンコールはツェムリンスキーが3曲……“Schlaf(眠る)”という単語が出てきて、彼女の「そろそろ終わり」というメッセージということか。

実は、上野に来るまで年齢的な衰えがあるのではと不安を抱きながらだったのだが、そんなことなど微塵も感じさせない、最初から最後まで誠実そのもののステージを見せてくれたのである。

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短話§楽曲名を省略する件~自虐的~ [クラシック]

とかく単語の省略をしたがるのが日本人である。特に外来語の省略は得意だが、およそ外国人には理解できない省略をしているとは言うまでもない。

我が趣味であるクラシック音楽もその例に漏れず、様々な省略をしていて、百花繚乱というか賑やかというか……いくつか例を挙げてみよう。

手始めに、バッハのブランデンブルク協奏曲を“ブランデン”と略すのは、
かわいいほうだと思われる。

そしてモーツァルトのレクイエムを“モツレク”とは、クラシックに疎い人には何のことだかわからないだろう。そしてさらに続けていってみようか。

定番といえば、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をとれぞれ、ベトコン、メンコン、チャイコンと省略したのは、ずいぶん昔からのことと思われる。

ブルックナーやドヴォルザークの頭を取ってブル7やドヴォ8と呼ぶあたりはともかく、ここにショスタコーヴィチが登場すると話はややこしくなる。頭を取ってショス5と言うのかというと“ブー!”と大外れで、正解は……

タコ5(ご)

……なのだ。これについては『タモリ倶楽部』でクラシックが取り上げられた時、タコ5をどう略すのかというクイズが出て、劇団ひとりが「ビッチ・ファイヴ」と答えて見事に外していた。

まだまだ珍なる略し方はまだまだ存在するが“タコ5”だなどと、いかにもクラシック好きの“スノッブの裏返し”の自虐性を感じてしまうのである。

最後、不思議なのはワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を略していないことで、おそらくオペラのタイトルで最も長いであろうにもかかわらず、これを“ニュルマイ”などとは誰も言っていない……せいぜい“マイスタージンガー”であるとはどうしたことだろう。

追記:最近聞いて驚いたのは“ハイバリ”である。当然ハイバリトンのことだとばかり思い込んでいたら、ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲(ハイドン・ヴァリエーション)』なのだと……これは気がつかなかったぜ。

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供話§サブスクについての・・・・・・ [クラシック]

“サブスクリプション”を略してサブスク……相変わらず縮めるのが好きな日本人である。

インターネットの中に、様々な有料配信が存在していて、それは動画だったり、音楽であったり、購読サービスなどなどは一般的と思われるが、中にはビールや日本酒、コーヒーといった嗜好品、食料品のサブスクもあって、考えてみれば我が家でも無農薬野菜の宅配と契約していて、それもサブスクということか。

このエントリーで取り上げる話題は、音楽配信のサブスクについてであるが……この先、もうこれ以上、ツールを増やすことはしないと決めていて、周囲のSNS知り合いが重宝している様子を見ても心動かされることはない。

そりゃあ便利だろうことは想像に難くなく、無尽蔵ともいえる音源から選び放題で音楽を聴くことができるとは、CDを買わなくなるはずではないか。

利用しない理由は至極単純で、老い先そう長くない身の上には不相応であると判断した。加えて最近は、それほど頻繁に音楽を聴くことはなく、わざわざサブスクと契約するまでもないと判断したのである。

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明話§マチネー度高く [クラシック]

本来、マチネー(フランス語)は午前中という意味で、休日の午前11時開演の公演をそう呼んでいた。今でもウィーンフィルの日曜日に行われる定期演奏会は11時開演である。そして元旦のニューイヤーコンサートも11時開演だ。

そんなマチネーという呼称を拡大して、14時開演の午後の公演もマチネーと呼ぶようになったのである。

個人的には、マチネーはありがたい公演で、定年退職このかた、就寝時刻が早まってしまい、21時頃にはベッドに潜り込んでいる。東京の一般的な演奏会は19時開演で21時頃にはお開きだから、最近はいささか辛い。

そんなこともあって、14時開演のマチネーがありがたくなった昨今なのだ。歌舞伎座昼の部は11時開演で、宮仕えの頃は朝早く出かけるのが辛かったが今はむしろありがたい。

出がけに軽く昼飯を食べ、30分前には到着して開演を待つ。コンサートがはねても16時頃。ターミナル駅まで戻ってウィンドーショッピングをしているうち、折よく腹が空いてくれば、どこぞにしけ込んで酒食を楽しんで帰宅。

むしろマチネーのほうが終演後も時間が使えて楽しめるのだが、19時開演で21時終演では、さっさと帰るしかない……まだまだ体力があり余っていた頃は、軽く呑んで軽く食べてなんてこともできたが、何せ東京の郊外住まいのことゆえ、何もせず帰宅しても22時半くらいになってしまっては、我が身にとって、もはや真夜中というしかないのである。

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能話§他の言語で・・・・・・ [クラシック]

例えばドイツ・リートであったり、英語のミュージカル・ナンバーを他言語の人間が歌おうとするのは実に困難なことである。

実際、日本人がそれらの曲を歌う時の不自然さは、残念ながらこの先も未来永劫変わらないままのような気がしてしまう。



上は、ちょっと前久々に聴いたウィーン生まれのバリトン歌手エーリヒ・クンツが歌う『ウィーン、我が夢の町』だが、実に実にドイツ語は自然に耳に入ってくる……当たり前といえば当たり前なのだが、これが他言語の使い手には手も足も出ない。何とも美しいドイツ語である。

ドイツ語に疎い我が身の耳にも、言葉のほとんどがほとんどすべて耳に入ってくれるのだ。

イギリスのテナー歌手イアン・ボストリッジはドイツ・リートを手の内に入れている歌手だが、彼の歌うドイツ語はなかなかにユニークな印象だとは、何度も聴いた上での感想を持っていて、ゲルマン語系という親戚のような関係の言語を使う人間にしてそうなのである。

さらに手も足も出ないと感じるのは英語のミュージカル・ナンバーで、これはもうアメリカ人、あるいはイギリス人の独壇場としか思えない。それで思い出すのは『ウエスト・サイド・ストーリー』のレコーディングを撮影したドキュメンタリーで、トニーを歌ったホセ・カレーラスを、作曲者にして指揮をしていたレナード・バーンスタインが徹底的に絞りまくっていた映像。

見ながら“そもそも無理筋でね?”と思ったことが記憶に残っている。それほど、英語の歌を歌うのは本当に難しいと思い知ったのだ。

考えてみれば……みるまでもなく、日本人以外の人間が日本語の歌を歌えば奇妙に聴こえることは言うまでもないが。

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稽話§ゲネプロに潜り込んだ件 [クラシック]

今を去ること半世紀以上前、高校生の頃のことである。細々とクラシックを聴きだすようになったが、その手段は乏しいものだった。

まずレコードプレイヤーなどないから、レコードを買って何かしら聴くなどとは考えられず、ラジオもAMだけでは、クラシックなど流れる頻度など少ないものである。

演奏会など年に一度あるかないか……そんな中、群馬交響楽団が2年連続して真夏にベートーヴェンの交響曲第9番の演奏会を催した。ようやく第九に親しみ始めたところで、これは行かずばならない!とチケットを確保した。

会場は群響の本拠地高崎音楽センターである。我が田舎町からは電車で45分ほど。気分が高揚していたのかどうかはわからないが、高崎にとんでもなく早く着いてしまった。2時間以上は早く、しかも音楽センターの前に立っていたのだ。

当然ながら時間を持て余して、ホールの周りをうろうろしていたら、正面の入口が開いていて、人が出入りしていたので入ってみたら、客席まで行き着いてしまった。そうしたら……ゲネプロ(リハーサル)が始まってしまったのである。

これは困ったと思いながら動くに動けず、あるいは係員に見つかって誰何されれば追い出されたのは間違いないが、まったくそんなこともなく、指揮者の山田一雄が登場してリハーサルが始まった。

本当に音楽を通すだけで、止めてダメ出しとかもなく、けっこうあっという間に終わったのはいいが、今度は出入口が閉まって、外に出られなくなっていたのだ。

たぶん開場まで30分くらいだったと思うが、ホワイエ隅っこの目立たないところで身を固くして会場を待っていて、お客さんが入場してきた時はほっとしたものである。

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布話§ドライブの時の音楽 [クラシック]

運転している身にしてみれば、何か音楽を集中して聴くなどということなどほとんどない。単に何か流れていて耳を通過していけばそれだけでいい。

同居人が助手席に座る時は、まず同居人が聴きたいCDを持ってきてもらってそれを流していればいいのだが、年に一度か二度、一人でロングドライブする時の音楽選びに関しては悩ましいものがある。

30分くらいで終わってしまうCDを、延々と何度もリプレイするのも間抜けな話で、だからといってワーグナーのような3枚や4枚の組み物だったりすると、今度はいちいち入れ替えるのが面倒……というよりは運転中に入れ替えなど危なくてできない。

というわけで、一枚で録音時間一時間以上の演奏を選ぶとどうなるかというと、ブルックナーとかマーラーとか……ブルックナーとかマーラーといった選択肢になってしまう。

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そうして、先月の尾瀬行往復で聴いたのがブルックナー交響曲第5番……どうせ、右の耳から左の耳に抜けていくから何でもいいのだが、せっかくだから普段馴染みのない音楽を聴いてやろうと思ったのだが、これが選択肢としてどうだったかというと、意外と悩ましいところがあった。

つまり、ダイナミックレンジが広すぎるのだ。高速道路を走っている時に、ピアニッシモなどはほとんど聴こえず、それを聴こうとボリュームを上げようものなら、唐突に大音量が襲いかかってきて収拾がつかず、泡を喰ってしまうことになるのだ。

それゆえに、クラシックよりはロックとかポップスのほうが、音量の変化を気にせず聴くことができそうなのである。

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盤話§CDは千枚くらい・・・・・・だろうか [クラシック]

SNS繋がりの知り合いの中には数万枚を擁する猛者が何人かいたりして、これはもう世界が違うと思うしかない。というわけで我が家にあるCDは、クラシック以外も含めておおよそ1000枚くらい……正確に数えたことはないが。

その程度でも、1000枚すべてを聴いたわけではなく、放置したままのCDも多々あって、特にオペラの類にそれが顕著である。

聴きたくて買うのだから、買ってきてすぐ封を開けて聴いてみるのはもちろんだけれど、なぜか聞きそびれてしまう録音も少なくはない。

自宅滞在度多めなので、それじゃあクラシックでも聴きましょうとなると、あまり重い音楽とかは敬遠してしまって、何を聴くかというと頻度が高いのは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲あたりだったりして……それって重いんでね?と思わなくもないが、聴き慣れているということもあるので、気が楽ということもある。

結局、頻繁に聞く度合いが高い音楽は、似たようなところに落ち着いてしまうことになるのだ。だから1000枚という所有枚数だって、本当は多過ぎると言えるかもしれない。

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楽話§東京文化会館讃~色褪せぬ~ [クラシック]

既に今年は上野の東京文化会館を3度訪れている。大ホール2回、小ホールが1回である。

1961年4月に柿落としをして開館。我が身が初めて、文化会館の大ホールに入ったのは1973年11月で、小ホールは翌年春のことだった。十代の終わりの身に、前川國男設計の作品をあれこれ感じ取るようなことはできず、魅力的な姿のホールだと気づくまでには、ずいぶん長い時間がかかってしまった。



モダニズムを標榜する設計家前川國男の手になる建物はコンクリート打ちっ放しの外壁に内装もまた同様だが、大ホールも小ホールも壁の装飾には木材を使って、コンクリートの冷たさを軽減させている。

大ホールも見事だが、特筆すべきは小ホールで、ほぼ正方形の頂点に舞台、残るスペースに客席が配置され、初めて入った時は巨大な洞窟に入ったかのような気分になったが、背後の木組格子がコンクリートの質感を和らげてくれていることに気がついた。

↓東京文化会館のホームページより
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そして、大ホールと小ホールと、どちらもホワイエの空間が広く休憩時間をゆったり過ごすことができる。これに関しては、例えば新国立劇場だとか、NHKホールはまったく能がない。

古い建物の空間のほうが過ごしやすく、新しい建物が何だかなと思うのは、珍しいことではないが、東京文化会館の居心地のよさは特筆すべきである。

そんな東京文化会館唯一の残念なところは、バリアフリー未対応ということで、大ホールの2階以上へは階段を上がっていくしかない。そして小ホールは、緩いスロープでホワイエに行けるが、トイレは地下にあって階段を下りるしかないのである。

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週話§日曜枯寂~東京文化会館の姿~ [クラシック]

今月は東京・春・音楽祭で、大ホールのマイスタジンガーと小ホールで行われたピアノ演奏会を聴いてきた。

カーテンコール時は撮影がOKだったので一枚
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上野公園の入口に建つ東京文化会館は前川國男の設計で1961年に柿落としが行われたので、今年で満62年……前川の“モダニズム”建築は、今なお色褪せることはないことに驚かされる。

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大ホールはもちろんだが、特筆したいのは小ホールの空間である。座席表を見ると、ほぼ正方形の中にステージと半円形の客席がレイアウトされていてあたかも岩穴の中にいるような気分にさせられるが、後ろを振り向くと木が格子状に並んでいて、それがまた対照を生み出しているようだ。

こちらのリンクで“おお!”と感嘆したのは、ステージから客席を見た写真で、何と端然たる光景なのだろうとを思った。

耐震補強やリニューアル工事を経て、東京文化会館はここに至ったが、いずれは建て替えすることになるものかどうか、それはわからないが、可能な限りこの姿を保っていてくれればいいのだが。

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