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昏話§クラシック喫茶なるものが[下] [クラシック]

[承前]

さて、頻繁に足を運んだのは中野の“クラシック”という喫茶店であった。これがいつ崩れ落ちてもおかしくない、中に入ると素人普請ではないかというような傾いた階段や2階の床……中野駅北口を出て、中野ブロードウェイ手前の路地にあった。

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店の中は薄暗いので、うっかり踏み外したらやばいという、迷宮のような店内だが、これが何とも居心地がよく、一度行ったら病みつきになってしまったのだ。

というわけで、お世辞にもきれいとはいえない店内に妙なる楽曲が流れて、そんな中でコーヒーを啜るのだが、その当時コーヒー1杯150円は、貧乏学生にはありがたかった。そしてミルクピッチャーとして使われていたのは赤いマヨネーズの蓋、お冷やが入っているのはワンカップ大関のそれだった。

入り口を入ってすぐ、小さい黒板が置かれていて、客がリクエストを書き込むようになっていた。黒板のスペースはすぐ一杯になってしまうから、我慢強く待つのである。

当然ながら2時間くらいはあっという間に過ぎてしまい、ようやく自分がリクエストした音楽が流れだす。そしてコーヒーをもう1杯。

クラシックに通っていたのは2年かそんなものでしかない。大学帰りのついでの寄り道で、行けたのは月に一回もあったかどうか……画家でもあった店主は1989年に逝去。家族が後を継いだが、その家族も亡くなり、クラシックが閉店したのは2005年のことである。

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昏話§クラシック喫茶なるものが[上] [クラシック]

クラシック喫茶とかジャズ喫茶なるものがある。膨大なLPレコードを所有して、客のリクエストに応えるというのが大雑把なシステムである。ジャズ喫茶は行ったことがないのでわからないが、クラシック喫茶の中には“会話禁止”を打ち出している店もあった。

大学時代、そんなクラシック喫茶に何軒か通ったことがある。板橋の赤塚に下宿していた時、成増の駅から吉祥寺までのバスが走っていて、時折バスに乗って吉祥寺のクラシック喫茶に出かけた。最初に入ったのが“こんつぇると”というクラシック喫茶。ここは小ぢんまりしていて、店に入ると店員が「会話できませんがよろしいですか」と聞いてくる。

2回ほど行った記憶だが、それっきりになってしまったのは、そんな店の雰囲気が気詰まりになったようだ。

回数を重ねたのは、かつての近鉄百貨店裏の“バロック”という店。ここも私語禁止とあったが、店の雰囲気が穏やかなことと、ほとんどは独り客ゆえに居心地はよかった……こんつぇるとだって独り客ばかりだったが。

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半日くらい長っ尻する客もいたようだが、そこに流れている音楽を2、3曲聴き、長くて3時間もいなかったような記憶である。リクエストをしたことはほとんどなかった。

そして、吉祥寺に続いて中野のクラシック喫茶については次回に。
                               [続く]

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辛話§どんどん遠くなる [クラシック]

上野の東京文化会館への足が遠のいている。年に一度か二度の東京・春・音楽祭に重い腰を上げるのがやっとになってしまった。

とにかく、我が家から山手線の東側まで出向くのがきついと感じる。じゃあ歌舞伎座はどうなのだと問われたら、まあ昼の部などは気楽に行けるし、小田急線を使えば、地下鉄を乗り継いで意外と簡単に行ける。歌舞伎座に行くのは、心理的に気楽だったりもする。

だが上野は、終演が21時としたら、家に帰り着くのが22時半を過ぎてしまうのだ……これはきつい。特にこの10年ほど夜に弱くなったので、22時とは、完全に真夜中なのだ。

そうしてクラシックの演奏会から遠のいているのも事実で、マチネーであれば、まあまあ気兼ねなく行けはするのだが。

そうして、足が遠のいたコンサートホールはいくつもある。まず横浜がアウト。神奈川県民やみなとみらいなど、もう20年以上出かけていない。さらに彩の国さいたま芸術劇場や所沢のミューズにもすっかり足が遠のいた。

結局、まあまあ何とか通えるのは、山手線西側のNHKホール、新国、オペラシティ、それに武蔵野あたりになってしまって、だから歌舞伎座通いは何としても死守しておきたいのである。

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活話§ダネル弦楽四重奏団~武蔵野小ホール~ [クラシック]

何とも痛快でおもしろいコンサートだった。ベルギーのダネル弦楽四重奏団が、ほとんど聴いた記憶のないチャイコフスキーの四重奏曲を全曲演奏するというので“全曲”好きとしてはチケットを買ってしまったのだ。それにしても会員料金2250円とは破格である。

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チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番 D-Dur Op.11
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第2番 F-Dur Op.22

**********************休憩**********************

チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番 es-moll Op.30

[アンコール]
ショスタコーヴィチ:エレジー
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第3番第2楽章

さて、音楽が始まったとたんに、ニュアンスに満ちて有機的なダネルQの演奏に引き込まれてしまった。何を言っても第1ヴァイオリンのマルク・ダネルが目に立つ。感情の赴くままに右脚を高く上げたり、右脚を上げたり、さらには両脚が宙を舞う……踏ん張らなくてもいいのかなと。

個人的に、第1ヴァイオリンはアマデウスQを想起させるように感じたが、どんなものだろう。

1番の快活な終楽章が終わった後、観客の喝采がこの日の演奏がどんなものであったか、正直な反応である。動き回るダネルに比べれば、他の3人はというと、冷静にかっちりと音楽を組み立てていく……動と静の妙味なのか。

↓ショスタコーヴィチは沈潜していく


前の週に聴いたヴォーチェQがヴァイオリンとチェロが急遽入れ替わったりしたことで、不本意な消化不良に終わってしまったのに比べると、音楽の闊達さ有機的なアンサンブルと、最後まで満足のいく演奏を聴かせてくれた。

本プロ終了は21時ちょうど。バスで吉祥寺に出て電車を乗り継ぎ、22時半の帰宅。

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転話§ニーベルングの指環がディスク一枚で [クラシック]

四夜で演奏時間15時間に及ぶワーグナー畢生の大作『ニーベルングの指環』を、直径12cmのたった一枚のディスク(ブルーレイオーディオ)に収めて発売されるという。

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40年ちょっと前にCDが発売された時、ベートーヴェンの第九がCD一枚に収録されたことに人々は驚いたが、これはもはや、そうした領域をはるかに凌駕してはいないか。技術はここまでデータを圧縮できるようになった。

日本のリスナーの多くは今だにディスク信仰を持ち続けていて、だから自宅に“ブツ”としてのCDをコレクションすることで“安心”している節がある。まさに唯物信仰そのものである。

だが、欧米世界では、ディスクを所有するよりもサブスクでデータを外部から取り込むディスクレスが浸透してきている。事実、ドイツ&オーストリアを旅行する時に借りたレンタカーだが、最後の3年ほどは、カーオーディオにCDプレイヤーは装備されておらず、iPod touchやiPadなどのメディアを接続して音楽を再生するようになっていて驚いた。

自分自身は、そうした状況までは何とか対応することができたが、いよいよ現実は想像の域を超えてしまった。そんな15時間のディスクを再生し嬉々として聴くような気力はないし、そうした再生装置を新たに誂えるつもりも持ち合わせてはいないのだ。

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仏話§ヴォーチェ弦楽四重奏団~フランス~ [クラシック]

ドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲という好物に惹かれて、サントリーホールのローズルームへ。

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ドビュッシー:弦楽四重奏曲 g-moll Op.10
バルメール:『風に舞う断片』[日本初演]

**********************休憩**********************
ドビュッシー(バルメール編曲):
『抒情的散文』より1・2・4曲(ソプラノと弦楽四重奏用編曲)[日本初演]
ラヴェル:弦楽四重奏曲 F-Dur

[アンコール]
ドビュッシー(バルメール編曲):『抒情的散文』より第4曲「夕べ」

ヴァイオリン奏者が“体調不良”で、チェロが“諸般の事情”で、それぞれ代演が参加しての来日公演となった……やや不安なニュースではある。

1曲目のドビュッシー……座った席がステージからは左端奥で、ヴィオラ奏者が真正面に見えるからか、終始ヴィオラの音が目立って聴こえてきた。

普段、それほど注意深くヴィオラを聴くほどマニアックではなく、そのあたはおもしろかったが、肝腎の第一ヴァイオリンが、こちらからは背中を向けて演奏しているので、音が届いてくれなかった。そもそも音色が細めの奏者のようだ。

ちょいと物足りない演奏と感じたのは、2曲目の“ゲンダイオンガク”が控えていたからかどうか。パワー温存だったのかもしれない。

そんな2曲目は、ピチカートとハーモニクスが“風に舞う断片”を表していいたということか、そうはいても二度と聞く機会のない“一期一会”の音楽ということである。

休憩後、ドビュッシーのピアノ伴奏歌曲『抒情的散文』を弦楽四重奏に編曲した全4曲のうち3曲が、ソプラノの波多野睦美によって歌われた。残念ながら、彼女の歌声が弦楽器にかき消されてよくわからなかった。ローズルームは、座席やステージが固定されておらず可変で、この日は客席が横長に伸びていたが、だからなのか音が拡散していったような印象。

最後のラヴェル……ヴィオラがよく聴こえるのは変わらずだが、低音弦に負けていたヴァイオリンが、ようやく精彩ある音楽を聴かせてくれたが、音が細身であるのは変わらず。もう少し艶めかしさのようなものが感じられればと思ったのだが。

アンコールは本プロの歌曲から第4曲が歌われた。終演は21時5分。

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愉話§レパートリーは広がったか [クラシック]

クラシックを聴くようになって、そろそろ60年になるようだ。そして今だにレパートリーが超レベルに狭いままである。どうやらこのままお迎えが来そうだ。

結局のところ基本は、バッハに始まるドイツ&オーストリア系音楽で、それ以上には広がりを見せることはなかった。つまり、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ワーグナーにリヒャルト・シュトラウスで8割がたを占めて、残りいくらかをドビュッシーやラヴェル、プーランクといったフランス系、そして少しショパンを聴き、現代音楽と呼べるものは、せいぜいストラヴィンスキーのバレエ音楽どまりである。

そんな狭い範囲での嗜好でしかないが、それでもこの20年ほどで、辛うじてレパートリーは広がってくれた……と言っても、上に書いたドイツ系作曲家の作品がほとんどなのだが。

20年近く通い詰めた、オーストリアの小さな室内楽の催しに出かける内に、自然と室内楽に親しめるようになった。ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲だったり、シューベルトのピアノソナタ、そしてシューマンやブラームスのピアノと弦楽器のための作品とか。少しばかりだが幅は広がってくれた。

ワーグナーには喰いついて、数回のバイロイト詣もしたけれど、結局は中途半端な掘り下げすらできずに終わってしまうようだ。まあ……耳さえ喜んでくれればいいだけの話ではあるのだが。

あ、そしてブルックナーとマーラーには届きませんでした(笑

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提話§山根一仁~バッハの無伴奏~ [クラシック]

桜散る4月土曜日の午後、武蔵野市民文化会館小ホールで、若手ヴァイオリニスト山根一仁がバッハの無伴奏ソナタとパルティータ全曲を演奏するというので聴いてきた。

14時開演、20分の休憩を2回挟み、終演は17時15分という長丁場である。

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無伴奏ヴァイオリン・ソナタ1番 g-moll BWV1001
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ1番 h-moll BWV1002

**********************休憩**********************

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ2番 a-moll BWV1003
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ2番 d-moll BWV1004

**********************休憩**********************

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ3番 C-Dur BWV1005
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ3番 E-Dur BWV1006

↓チケット代は千円也!
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ステージ空間には何もなく、ヴァイオリンとその演奏者が聴衆と対峙する構図である。不思議なもので、あの譜面台ですら奏者と客を隔てているように感じることがあるので、ここまでの雰囲気は自分的には珍しい。

出を待つ間、袖から調弦する音がまったく聞こえず、ステージでもまったく調弦をしないで演奏を続けるというのはなかなかできないことではないか。確かヨーヨー・マ(チェロ)もステージ上では調弦をまったくしなかった。

演奏は、奇をてらわず、けれん味もなく、正面からバッハと向き合い、かつ自己主張もはっきりと聴いてとれるもの。曲間で調弦をしないから、あまり間をおかずに演奏していくから、客席の緊張感も良好に保たれたように思われる。

ノンヴィブラートのピリオド奏法にしてはらしい臭さもなく、豊かなニュアンスで6曲飽きずに聴き通すことができたのは演奏者の力量ゆえであろう。

ただ、6曲目、最後に演奏されたホ長調のパルティータは疲れもあったからか、ディテールがはっきりしなくなって弾き飛ばしたのではと感じた。帰り道、同居人が「シャコンヌと並んで一番聴かれる曲だから、普通に演奏しようとか思わなかったのでは」というような感想を言ったが……同感である。

バッハの無伴奏ヴァイオリン曲を全曲聴き通すという稀有な体験は、山根一仁の稀有な集中力の賜物によるものだった。

バッハは偉大なり!

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悼話§マウリツィオ・ポリーニさん(ピアニスト) [クラシック]

実演を複数回聴いたピアニストの一人である。初めてポリーニを聴いたのはショパンの練習曲集の録音で、第1曲からその技巧の見事さに腰を抜かしそうになった。完璧とは何かを思い知った瞬間だった。

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その後、初めて実演を聴いたのは1976年のNHK交響楽団定期公演。岩城宏之の指揮でショパンのピアノ協奏曲第2番だったが、演奏の記憶はまったくない。ただ、その後アンコールで弾かれたポロネーズ第5番の打鍵の強さにこれがポリーニなのかと思わされたのである。

1989年に東京文化会館でシューマンとショパンのプログラムを聴いた時は、あまりにもな会場のピリピリした緊張感にくたびれ果てた記憶があるのみ。

最後は1998年にサントリホールで2回、ベートーヴェンの後期ピアノソナタ3曲ずつ。記憶に残っているのは28番の終楽章。一瞬、指がもつれたように聴こえた。その直後から感情を顕わにして弾き始めたように感じたのだ。

あるいは、その頃には往年の技巧が失われてしまっていたということか……残念ながら素人風情の耳には感じ取れなかったのである。享年八十二

合掌

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圧話§LPレコードのミスプレス [クラシック]

LPレコードを聴いていたので、1970年代半ば過ぎのことである。無謀にもアルバイトでもらった給料をはたきまくって、アルヒーフ・レーベルが売り出した百枚組のバッハ大全集を買ってしまった。

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その当時、バッハの作品はというと、ブランデンブルク協奏曲あたりとかフルートソナタ、有名なオルガン曲くらいしか知らず、いい機会だと張り込んでしまったのである。

下宿の部屋に並んだ全11巻百枚組は壮観で、さてそれでは何から聴こうかと最初に目をつけたのがマタイ受難曲……バッハといえばマタイ受難曲ではないかと、厳かにプレイヤーの針を下ろした。

1枚目A面……何やら延々かつ淡々ととオルガンの音楽が鳴り続けるばかりで、人間の声が一向に聴こえてこない。業を煮やしてB面を聴いてみると、妙なるソプラノのアリアが聴こえてきたのだが、それではA面の音楽は何であろうか。どうやらマタイ受難曲とは別物なのではないか。

購入して一か月も経たないある日、アルヒーフから一通の手紙。内容は……

「マタイ受難曲1枚目A面に、誤ってフーガの技法をプレスしてしまいました。申し訳ありません。プレスし直したレコードをお渡しします。なお、ミスプレスのレコードはそのままお持ちください」



……というもので、何とまあ間違って別の音楽をプレスしてしまったのだ。そして待つことしばし、正しくプレスされた1枚目が到着し、仕切り直し。改めてしっかり“まじめに”何度も繰り返し聴いたのだった。

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悼話§小澤征爾さん(指揮者) [クラシック]

小澤征爾が亡くなった。確かもう10年くらい演奏会で指揮をしていないのではないか……それくらいの不在の後の死去となった。

過去に小澤が振った演奏会を確か5回聴いている。1975年、新日フィルの第九。1982年に二期会の『ファルスタッフ』を、1991年にはカザルスホールで行われた新日フィルハイドン交響曲全曲シリーズ最終回に、1992年ヘネシーオペラ『さまよえるオランダ人』を、最後が1997年にサイトウキネンで『マタイ受難曲』である。

最も感銘を受けたのは、ハイドン全曲最終回の小澤の指揮だった。この日は体調不良で、前半の交響曲第103番と協奏交響曲を沼尻竜典が、後半の104番『ロンドン』一曲を小澤が振ったのだった。おそらく急遽指揮をすることになった沼尻の音楽は、まあ平板というか無難に振りおおせのたが、休憩後の小澤の『ロンドン』の豊かな表情付けに、最初の2曲は何だったのだろうと思ったのだ。

なお、小沢の死に先立つ1月23日には、1962年に結婚して1966年に離婚した最初の妻江戸京子が86歳で逝去している。享年八十八

合掌

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週話§日曜流転~聴かないCD~ [クラシック]

万単位のCDを持っている人など珍しくないのが、クラシック聴きの世界であるが、我が所有枚数はといえば、おおよそ1000枚程度でしかない。まあ、ライトなクラシック好きレベルと言ったところだろう。

そんなCDコレクションの中にあって、とんとプレイヤーで再生したことのないCDがどれほどあるものか……これが、意外と多そうな気がしている。

ワーグナーの楽劇など、半分も聴いていないのではないか。それは単純に、再生時間が長過ぎるからという理由が大きいからで、30分程度の音楽であればいそいそと聴くのだが『ラインの黄金』のように2時間半に及ぶような、しかも全曲で2枚組を聴き通すなど、よほど時間と“聴く気”がなかったら面倒で煩わしいことなのだ。

だから時折、実演が行われるにあたって、それじゃあ予習を……と言ってもおいそれと重い腰は上がってくれない。

ちなみに来月は『トリスタンとイゾルデ』の実演に2回“も!”行くことになっていて、今から憂鬱を抱えているのである。

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契話§サブスクは・・・・・・しない [クラシック]

インターネットでのサブスク(サブスクリプション)配信が隆盛状態にある。とりわけ音楽配信においては、月額1000円ほどで、数千万曲が聴き放題というのだ。いちいちCDを買ったりせずとも、いくらでもパソコン経由で聴きたい音楽が楽しめるのだ。

だが、手は出していない。理由は簡単……アラ七十という、もはやお迎えが近い身にしてみれば、毎月いくばくかの金額を銀行引き落としで払い続けるには時間切れが近くなってしまっていると考えるからである。

そして気まぐれにサブスクでも始めて、ほどなくあの世逝きとなった時に、聴かなくなったサブスクの課金が、銀行口座がすっからかんになるまで引き落とされ続けるということか。

これがまあ、五十代とかであったりしたら“一つ試してみますか”と、何かサブスクを始めるかもしれないが、この年齢まで来てしまったら、わざわざ加入することはない。

確かに、CDを買わなくとも気兼ねなく音楽を聴けるというのは、四六時中音楽が聴きたい向きには願ってもないことだろうが、そこまで頻繁に音楽を流し続けるのは、いささか煩わしいと感じる我が身にとっては、諸手を挙げて歓迎というわけにはいかないのだ。

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弦話§青木調ヴァイオリン・リサイタル [クラシック]

2023年も押し詰まりつつある12月中旬の終わり、ちょっと縁あるヴァイオリニストのリサイタルを聴いてきた。文京シビック小ホール。

ヴァイオリン:青木調
ピアノ:江尻南美

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モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第35番 A-Dur Kv.526
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 A-Dur Op.100

**********************休憩**********************

J.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 C-Dur 「フーガ」
エネスク:ヴァイオリン・ソナタ第3番 a-moll Op.25
     「ルーマニアの民俗様式で」

[アンコール]​
シューマン:ロマンス

青木調はNHK交響楽団第1ヴァイオリン奏者である。オーケストラの中で合奏しているから彼女が弾く実際の音を聴く機会は、こういう場でしかないので貴重である。

何度か、彼女が第1ヴァイオリンを弾いている鶴クァルテットの演奏を聴いているが、どこかお行儀のいいお勉強会的な音楽で、もう少し羽目を外してくれればと思ったのだった。

この日も、もちろん生真面目さは変わらないが、1曲目のモーツァルトから芯のある彼女なりの主張が感じられる音楽が流れてきた。

前半2曲だけでもかなりのプログラムで、後半はバッハの無伴奏からフーガを弾いた後にエネスクのソナタと続いた。これが超絶技巧の難曲と思えたが表情を変えることなく淡々と弾ききったのだった、最後にこの曲を持ってきたのは、それこそ彼女にとっての勝負曲ということだろう。

緊張を強いられた後のアンコールに弾かれたのは、シューマンのロマンス。行ってよかった今年最後のコンサートである。

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酩話§N響定期Cチクルス~幻想交響曲~ [クラシック]

土曜日の午後、NHK交響楽団Cチクルス定期を聴きに行ってきた。まあ、外出する口実みたいなものである。Cチクルスは休憩なし一時間ちょっとと気兼ねなく、3階席てっぺんのチケット代も1600円と“お得”である。

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指揮:ファビオ・ルイージ
NHK交響楽団

フンパーディンク:歌劇『ヘンゼルとグレーテル』前奏曲
ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14

10分足らずの前奏曲に続いて演奏されたベルリオーズがなかなかの聴き物で楽しめた。第1楽章は緊張が続かなくて散漫に聴いてしまったが、3楽章から終楽章へと、指揮者もオーケストラも気分が高まってきたようで、指揮者のアクション対するオケの反応も上々。

管楽器の強奏に弦楽器が負けることなく、巨大なNHKホールの空間が音楽で満たされたのだった。長めのカーテンコールの最後に、ルイジとコンマスが登場しての“一般参賀”あり。

考えてみれば、1973年のNHKホール柿落としからちょうど半世紀。その時に、サヴァリッシュがN響を指揮したベートーヴェンの第九を聴いたのだ。

その後、大学時代に2年ほど定期会員で演奏会に通い詰めたが、その当時のN響に現在ほどの技量はなく、NHKホールのアコースティックも良好とは言えなかったが、21世紀に入ってから聴いてみるなら、飛躍的に向上したと感じる。合わせてNHKホールの音響もかなり改善されたのではないか……個人の感想です。

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