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悼話§小澤征爾さん(指揮者) [クラシック]

小澤征爾が亡くなった。確かもう10年くらい演奏会で指揮をしていないのではないか……それくらいの不在の後の死去となった。

過去に小澤が振った演奏会を確か5回聴いている。1975年、新日フィルの第九。1982年に二期会の『ファルスタッフ』を、1991年にはカザルスホールで行われた新日フィルハイドン交響曲全曲シリーズ最終回に、1992年ヘネシーオペラ『さまよえるオランダ人』を、最後が1997年にサイトウキネンで『マタイ受難曲』である。

最も感銘を受けたのは、ハイドン全曲最終回の小澤の指揮だった。この日は体調不良で、前半の交響曲第103番と協奏交響曲を沼尻竜典が、後半の104番『ロンドン』一曲を小澤が振ったのだった。おそらく急遽指揮をすることになった沼尻の音楽は、まあ平板というか無難に振りおおせのたが、休憩後の小澤の『ロンドン』の豊かな表情付けに、最初の2曲は何だったのだろうと思ったのだ。

なお、小沢の死に先立つ1月23日には、1962年に結婚して1966年に離婚した最初の妻江戸京子が86歳で逝去している。享年八十八

合掌

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週話§日曜流転~聴かないCD~ [クラシック]

万単位のCDを持っている人など珍しくないのが、クラシック聴きの世界であるが、我が所有枚数はといえば、おおよそ1000枚程度でしかない。まあ、ライトなクラシック好きレベルと言ったところだろう。

そんなCDコレクションの中にあって、とんとプレイヤーで再生したことのないCDがどれほどあるものか……これが、意外と多そうな気がしている。

ワーグナーの楽劇など、半分も聴いていないのではないか。それは単純に、再生時間が長過ぎるからという理由が大きいからで、30分程度の音楽であればいそいそと聴くのだが『ラインの黄金』のように2時間半に及ぶような、しかも全曲で2枚組を聴き通すなど、よほど時間と“聴く気”がなかったら面倒で煩わしいことなのだ。

だから時折、実演が行われるにあたって、それじゃあ予習を……と言ってもおいそれと重い腰は上がってくれない。

ちなみに来月は『トリスタンとイゾルデ』の実演に2回“も!”行くことになっていて、今から憂鬱を抱えているのである。

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契話§サブスクは・・・・・・しない [クラシック]

インターネットでのサブスク(サブスクリプション)配信が隆盛状態にある。とりわけ音楽配信においては、月額1000円ほどで、数千万曲が聴き放題というのだ。いちいちCDを買ったりせずとも、いくらでもパソコン経由で聴きたい音楽が楽しめるのだ。

だが、手は出していない。理由は簡単……アラ七十という、もはやお迎えが近い身にしてみれば、毎月いくばくかの金額を銀行引き落としで払い続けるには時間切れが近くなってしまっていると考えるからである。

そして気まぐれにサブスクでも始めて、ほどなくあの世逝きとなった時に、聴かなくなったサブスクの課金が、銀行口座がすっからかんになるまで引き落とされ続けるということか。

これがまあ、五十代とかであったりしたら“一つ試してみますか”と、何かサブスクを始めるかもしれないが、この年齢まで来てしまったら、わざわざ加入することはない。

確かに、CDを買わなくとも気兼ねなく音楽を聴けるというのは、四六時中音楽が聴きたい向きには願ってもないことだろうが、そこまで頻繁に音楽を流し続けるのは、いささか煩わしいと感じる我が身にとっては、諸手を挙げて歓迎というわけにはいかないのだ。

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弦話§青木調ヴァイオリン・リサイタル [クラシック]

2023年も押し詰まりつつある12月中旬の終わり、ちょっと縁あるヴァイオリニストのリサイタルを聴いてきた。文京シビック小ホール。

ヴァイオリン:青木調
ピアノ:江尻南美

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モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第35番 A-Dur Kv.526
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 A-Dur Op.100

**********************休憩**********************

J.S. バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番 C-Dur 「フーガ」
エネスク:ヴァイオリン・ソナタ第3番 a-moll Op.25
     「ルーマニアの民俗様式で」

[アンコール]​
シューマン:ロマンス

青木調はNHK交響楽団第1ヴァイオリン奏者である。オーケストラの中で合奏しているから彼女が弾く実際の音を聴く機会は、こういう場でしかないので貴重である。

何度か、彼女が第1ヴァイオリンを弾いている鶴クァルテットの演奏を聴いているが、どこかお行儀のいいお勉強会的な音楽で、もう少し羽目を外してくれればと思ったのだった。

この日も、もちろん生真面目さは変わらないが、1曲目のモーツァルトから芯のある彼女なりの主張が感じられる音楽が流れてきた。

前半2曲だけでもかなりのプログラムで、後半はバッハの無伴奏からフーガを弾いた後にエネスクのソナタと続いた。これが超絶技巧の難曲と思えたが表情を変えることなく淡々と弾ききったのだった、最後にこの曲を持ってきたのは、それこそ彼女にとっての勝負曲ということだろう。

緊張を強いられた後のアンコールに弾かれたのは、シューマンのロマンス。行ってよかった今年最後のコンサートである。

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酩話§N響定期Cチクルス~幻想交響曲~ [クラシック]

土曜日の午後、NHK交響楽団Cチクルス定期を聴きに行ってきた。まあ、外出する口実みたいなものである。Cチクルスは休憩なし一時間ちょっとと気兼ねなく、3階席てっぺんのチケット代も1600円と“お得”である。

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指揮:ファビオ・ルイージ
NHK交響楽団

フンパーディンク:歌劇『ヘンゼルとグレーテル』前奏曲
ベルリオーズ:幻想交響曲 Op.14

10分足らずの前奏曲に続いて演奏されたベルリオーズがなかなかの聴き物で楽しめた。第1楽章は緊張が続かなくて散漫に聴いてしまったが、3楽章から終楽章へと、指揮者もオーケストラも気分が高まってきたようで、指揮者のアクション対するオケの反応も上々。

管楽器の強奏に弦楽器が負けることなく、巨大なNHKホールの空間が音楽で満たされたのだった。長めのカーテンコールの最後に、ルイジとコンマスが登場しての“一般参賀”あり。

考えてみれば、1973年のNHKホール柿落としからちょうど半世紀。その時に、サヴァリッシュがN響を指揮したベートーヴェンの第九を聴いたのだ。

その後、大学時代に2年ほど定期会員で演奏会に通い詰めたが、その当時のN響に現在ほどの技量はなく、NHKホールのアコースティックも良好とは言えなかったが、21世紀に入ってから聴いてみるなら、飛躍的に向上したと感じる。合わせてNHKホールの音響もかなり改善されたのではないか……個人の感想です。

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弦話§ヤメン・サーディのヴァイオリンを聴く [クラシック]

勤労感謝の祝日、今年最後のクラシック演奏会に行ってきた。ヤメン・サーディのヴァイオリン・リサイタルである。昨年秋、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の新コンサートマスターに就任。現在は正式採用を目指し試用期間中。ピアノは沢木良子。

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プーランク:ヴァイオリン・ソナタ FP119
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番 A-Dur Op.100

**********************休憩**********************

フランク:ヴァイオリン・ソナタ A-Dur FWV8

[アンコール]
クライスラー:愛の悲しみ
ラヴェル:5つのギリシャ民謡から第2曲「むこうの教会へ」

一曲目、プーランクのソナタは、ほとんど初めて聴くような曲だが、曲の形を掴みかねてしまった。プーランクらしいエスプリ、諧謔、ユーモアというものは見当たらず、いささか硬派とでもいった趣と見受けた。そして楽器が鳴ってくれない。会場の空気も少しばかり冷えていて、ピアノの影に音が隠れることしばしで、楽しめたとはいえず。

二曲目のブラームスは、ここに来て楽器も温まって芳醇な響きが会場を満たすようになって、サーディの真価が発揮されだしたと感じる。

そして休憩後のフランクは、ヴァイオリンという楽器の魅力を余すことなく披瀝した。たった一台のヴァイオリンが、あれだけのホール空間を音楽で満たしきる様子を思い知ることになったのだ。

アンコールはちょっと不思議なクライスラーの『愛の悲しみ』とラヴェルの歌曲『5つのギリシャ民謡』から第2曲が演奏された。ラヴェルは、彼の故郷であるイスラエルの今に対するメッセージではなかったか。

ちなみにサーディは、ユダヤ系のダニエル・バレンボイムとパレスチナ系のエドワード・サイードが創設したウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団の出身である。

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創話§交響曲とその“楽章” [クラシック]

交響曲とは、げに不思議な音楽である。

ソナタ形式の第1楽章、そして入れ替わることもあるが、第2楽章は緩徐、第3楽章はメヌエットかスケルツォ、終楽章はロンド形式……これはまあ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンといった古典派音楽の作曲家たちの約束事で、ロマン派になると徐々に崩れていって、5楽章構成の交響曲も珍しくはない。

さて、作曲家は4つの楽章をどのようなイメージで作曲し、一つの交響曲としてまとめていくのだろう。

もっとも単純なのは、一つのモチーフ――メロディーとかリズムとか――を各楽章に共通して用いることで、これはベートーヴェンの交響曲第5番を聴けば、第1楽章冒頭の“ダダダダーン!”が全楽章を通して使われている。

ベートーヴェンは“運命の動機”をこれでもかとばかり執拗に使い続けて、いやでも我々の脳髄に刻み込まれてしまう……恐るべき手管ではないか。

そしてロマン派の作曲家の交響曲はといえば、古典派の形式は影を潜めてしまうわけで、どのような手法で楽章を作曲し一つの交響曲にまとめていくのだろう。

ブラームスは4つの交響曲を作ったが、そのどれもメヌエットやスケルツォの三拍子舞曲の楽章を置かなかった。そして、ただ漠然と聴いているだけの我々には、ブラームスがどのような発想で交響曲を形作っていったものか、想像することはできないのである。

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爛話§ルイージ&コンセルトヘボウ~凄い~ [クラシック]

火曜日、サントリーホールでファビオ・ルイージ指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を聴いた。プログラムは以下の通り。

IMG_4541.JPG

ウェーバー:オペラ『オべロン』序曲
リスト:ピアノ協奏曲第2番 A-Dur
ピアノ/イェフィム・ブロンフマン
[アンコール]
ショパン:ノクターン第8番 Des-Dur Op.27-2

**********************休憩**********************

チャイコフスキー:交響曲第5番 e-moll Op.64
[アンコール]
チャイコフスキー:オペラ『エフゲニー・オネーギン』よりポロネーズ

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音色感、ダイナミックレンジ、レスポンス……そのすべてを兼ね備えた、とにかくスーパー・オーケストラである。

“軽い手慣らしの”オベロンから、すべての楽器がよく鳴って、音楽を聴く喜びに心が躍る(月並

ブロンフマンを聴くのは、ちょうど10年前のベルリン・フィルハーモニーで同じくコンセルトヘボウとの共演。今回も初めて聴くリストの第2協奏曲。豪快に鳴らしまくる人だと思っていたが、粒立ちのくっきりした、しかも繊細なピアノ。それに合わせるオケの反応のよさは並々ならぬものがあって、舌を巻いていた。ピアノとチェロ・ソロのアンサンブルもまた佳き。

アンコールに弾かれたショパンが、これまた木目細かい、触れようものならはかなく融け落ちてしまう氷細工の如く。

そしてメインのチャイコフスキー。低音弦が終始モノトーンで音楽を奏で、それをベースに、ヴァイオリンや管楽器が様々な色を紡いでいく。時に繊細であり、時にダイナミックな音量でホールの空間を満たしていく。

シルキーな弦楽器がメロディーを受け渡していくところ、ヴィオラの雄弁さに惹きつけられてしまうのも当然のことだろう。

特筆しておきたいのは、ホルンのソロであり、クラリネットやファゴットをはじめとする木管群のアンサンブル……とても書き切れるものではないぞ。

チャイコフスキーの交響曲でお腹一杯になった後、アンコールの追い打ちは『エフゲニー・オネーギン』よりポロネーズ。どっぷりコンセルトヘボウのチャイコフスキーの音楽に溺れた一夜なのだった。

終演は21時15分。電車を乗り継いで帰宅したのは23時少し前。

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週話§日曜枯寂~カセットテープ~ [クラシック]

カセットテープ以前、父親が何の脈絡もなくオープンリールのテープレコーダーを買ってきたが、衝動的で意味不明だとは、今でも思う不思議なこと。そして、たいして活用されずに終わったのだ。

それからしばし間があって、カセットテープのレコーダーを買ったのは宮仕えした年の冬、ボーナスをはたいてオーディオを揃えた時である。

最初はワンウェイのレコーダーだったが、しばらくしてオートリバースに買い替えたのは、クラシック音楽の演奏時間の長さゆえである。主に使っていたのは、往復90分テープで、120分テープは薄さに問題ありで使わずだった。

あろうことか、年末のバイロイト音楽祭放送で『パルジファル』を録音したが、その時はオートリバースではなかったので、タイミングを見計らって、テープをひっくり返したのだ。

当時は、レコードプレイヤー、FMチューナー、カセットレコーダー、それにアンプ一揃いでオーディオを楽しんでいたわけだが、CDが浸透していくにつれて、テープレコーダーを使う頻度が少なくなってしまった。そして、カセットはというと、当時全盛だったカーオーディオで重宝に使われたのである。

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顧話§今日の歴史~初日に行ったのだ~ [クラシック]

1986年10月12日、サントリーホール開場。

大阪のザ・シンフォニーホールに遅れること4年。東京にも待望久しいコンサート専用ホールがようやく誕生した。37年前のことである。

この日の午前、完成式典が行われた。オーケストラのチューニングをするのに、佐治敬三サントリー社長が、パイプオルガンのAを押してという演出で第一音がホールに響いた。演奏されたのは芥川也寸志作曲の『響』だった。

それに続いて、一般客を入れての最初のコンサートは、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮、NHK交響楽団によるベートーヴェンの第九交響曲が演奏されたのだ。

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残念ながら最初のコンサートのチケットは取れず、同じ日17時開演で行われた“ザ・ガラ オープニングナイト”に出かけることはできた。これがまた盛りだくさんな消化不良を起こした内容で、こちらを見ればどれほど詰め込んだかが理解できるだろう。

しかも並行して小ホール(ブルーローズ)でもパフォーマンスが行われ、入場者は大ホールと小ホールと行き来することになったでのある。

かくしてプログラムが終了したのは23時を過ぎていたという、欧米のガラ公演並みの凄まじさ。当日は車で往復したが、それはもう大正解だった。

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美話§藤村実穂子[東京文化会館小ホール] [クラシック]

何度も何度も聴いてきた藤村実穂子の歌曲リサイタルは……これまで紀尾井ホールで行われていたのが、上野は東京文化会館小ホールでの開催。

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プログラムは以下のとおり。ピアノ伴奏はヴォルフラム・リーガー。

モーツァルト:

静けさは微笑み Kv.152
喜びの鼓動 Kv.579
すみれ Kv.476
ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼く時 Kv.520
夕べの想い Kv.523

マーラー:『さすらう若人の歌』

恋人の婚礼の時
朝の野を行けば
胸の中には燃える剣が
恋人の二つの青い眼

**********************休憩**********************

ツェムリンスキー:『メーテルリンクの詩による6つの歌』 Op.13

三人姉妹
目隠しされた乙女たち
乙女の歌
彼女の恋人が去った時
いつか彼が帰ってきたら
城に来て去る女

細川俊夫:2つの日本の子守唄(日本民謡集より)

五木の子守唄(熊本県民謡)
江戸の子守唄(東京都民謡)

[アンコール]
ツェムリンスキー:

子守唄
春の日
夜のささやき

冒頭のモーツァルトから、磨き上げられた声がホールの空間に満たされた。“いつもの”流れからするなら、最初のモーツァルトは声慣らしの位置付ける人が多く、どこかまとまりがなく物足りなかったりするのだが、この日のモーツァルトは、そうした流れなどではなく、声もしっかり出て……という以上に完成度が高く、いきなり腹一杯になってしまいそうだった。

紀尾井ホールで聴いた時、何がなし“?”と感じるようなこともなくはなくて、不完全燃と感じていたのだが、この日は、そうした不満を一気に吹き飛ばす、どこか“吹っ切れた”ようなステージだったのである。

続くマーラーは、さらにモーツァルトの好調を維持した上、さらに細部に磨きをかけて、彼女らしい細やかさが発揮されたのだ。

言うまでもないが、彼女に合わせるリーガーの伴奏が、精妙にして絶妙かつ融通無碍で、二人の合わせ技の見事さよ。

後半は、初めて聴くツェムリンスキーと細川俊夫が編曲した日本民謡2曲。日本民謡は、いかにもな節回しの自然さを感じ、確かな日本語歌唱を堪能することができた。

アンコールはツェムリンスキーが3曲……“Schlaf(眠る)”という単語が出てきて、彼女の「そろそろ終わり」というメッセージということか。

実は、上野に来るまで年齢的な衰えがあるのではと不安を抱きながらだったのだが、そんなことなど微塵も感じさせない、最初から最後まで誠実そのもののステージを見せてくれたのである。

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短話§楽曲名を省略する件~自虐的~ [クラシック]

とかく単語の省略をしたがるのが日本人である。特に外来語の省略は得意だが、およそ外国人には理解できない省略をしているとは言うまでもない。

我が趣味であるクラシック音楽もその例に漏れず、様々な省略をしていて、百花繚乱というか賑やかというか……いくつか例を挙げてみよう。

手始めに、バッハのブランデンブルク協奏曲を“ブランデン”と略すのは、
かわいいほうだと思われる。

そしてモーツァルトのレクイエムを“モツレク”とは、クラシックに疎い人には何のことだかわからないだろう。そしてさらに続けていってみようか。

定番といえば、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をとれぞれ、ベトコン、メンコン、チャイコンと省略したのは、ずいぶん昔からのことと思われる。

ブルックナーやドヴォルザークの頭を取ってブル7やドヴォ8と呼ぶあたりはともかく、ここにショスタコーヴィチが登場すると話はややこしくなる。頭を取ってショス5と言うのかというと“ブー!”と大外れで、正解は……

タコ5(ご)

……なのだ。これについては『タモリ倶楽部』でクラシックが取り上げられた時、タコ5をどう略すのかというクイズが出て、劇団ひとりが「ビッチ・ファイヴ」と答えて見事に外していた。

まだまだ珍なる略し方はまだまだ存在するが“タコ5”だなどと、いかにもクラシック好きの“スノッブの裏返し”の自虐性を感じてしまうのである。

最後、不思議なのはワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を略していないことで、おそらくオペラのタイトルで最も長いであろうにもかかわらず、これを“ニュルマイ”などとは誰も言っていない……せいぜい“マイスタージンガー”であるとはどうしたことだろう。

追記:最近聞いて驚いたのは“ハイバリ”である。当然ハイバリトンのことだとばかり思い込んでいたら、ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲(ハイドン・ヴァリエーション)』なのだと……これは気がつかなかったぜ。

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供話§サブスクについての・・・・・・ [クラシック]

“サブスクリプション”を略してサブスク……相変わらず縮めるのが好きな日本人である。

インターネットの中に、様々な有料配信が存在していて、それは動画だったり、音楽であったり、購読サービスなどなどは一般的と思われるが、中にはビールや日本酒、コーヒーといった嗜好品、食料品のサブスクもあって、考えてみれば我が家でも無農薬野菜の宅配と契約していて、それもサブスクということか。

このエントリーで取り上げる話題は、音楽配信のサブスクについてであるが……この先、もうこれ以上、ツールを増やすことはしないと決めていて、周囲のSNS知り合いが重宝している様子を見ても心動かされることはない。

そりゃあ便利だろうことは想像に難くなく、無尽蔵ともいえる音源から選び放題で音楽を聴くことができるとは、CDを買わなくなるはずではないか。

利用しない理由は至極単純で、老い先そう長くない身の上には不相応であると判断した。加えて最近は、それほど頻繁に音楽を聴くことはなく、わざわざサブスクと契約するまでもないと判断したのである。

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明話§マチネー度高く [クラシック]

本来、マチネー(フランス語)は午前中という意味で、休日の午前11時開演の公演をそう呼んでいた。今でもウィーンフィルの日曜日に行われる定期演奏会は11時開演である。そして元旦のニューイヤーコンサートも11時開演だ。

そんなマチネーという呼称を拡大して、14時開演の午後の公演もマチネーと呼ぶようになったのである。

個人的には、マチネーはありがたい公演で、定年退職このかた、就寝時刻が早まってしまい、21時頃にはベッドに潜り込んでいる。東京の一般的な演奏会は19時開演で21時頃にはお開きだから、最近はいささか辛い。

そんなこともあって、14時開演のマチネーがありがたくなった昨今なのだ。歌舞伎座昼の部は11時開演で、宮仕えの頃は朝早く出かけるのが辛かったが今はむしろありがたい。

出がけに軽く昼飯を食べ、30分前には到着して開演を待つ。コンサートがはねても16時頃。ターミナル駅まで戻ってウィンドーショッピングをしているうち、折よく腹が空いてくれば、どこぞにしけ込んで酒食を楽しんで帰宅。

むしろマチネーのほうが終演後も時間が使えて楽しめるのだが、19時開演で21時終演では、さっさと帰るしかない……まだまだ体力があり余っていた頃は、軽く呑んで軽く食べてなんてこともできたが、何せ東京の郊外住まいのことゆえ、何もせず帰宅しても22時半くらいになってしまっては、我が身にとって、もはや真夜中というしかないのである。

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能話§他の言語で・・・・・・ [クラシック]

例えばドイツ・リートであったり、英語のミュージカル・ナンバーを他言語の人間が歌おうとするのは実に困難なことである。

実際、日本人がそれらの曲を歌う時の不自然さは、残念ながらこの先も未来永劫変わらないままのような気がしてしまう。



上は、ちょっと前久々に聴いたウィーン生まれのバリトン歌手エーリヒ・クンツが歌う『ウィーン、我が夢の町』だが、実に実にドイツ語は自然に耳に入ってくる……当たり前といえば当たり前なのだが、これが他言語の使い手には手も足も出ない。何とも美しいドイツ語である。

ドイツ語に疎い我が身の耳にも、言葉のほとんどがほとんどすべて耳に入ってくれるのだ。

イギリスのテナー歌手イアン・ボストリッジはドイツ・リートを手の内に入れている歌手だが、彼の歌うドイツ語はなかなかにユニークな印象だとは、何度も聴いた上での感想を持っていて、ゲルマン語系という親戚のような関係の言語を使う人間にしてそうなのである。

さらに手も足も出ないと感じるのは英語のミュージカル・ナンバーで、これはもうアメリカ人、あるいはイギリス人の独壇場としか思えない。それで思い出すのは『ウエスト・サイド・ストーリー』のレコーディングを撮影したドキュメンタリーで、トニーを歌ったホセ・カレーラスを、作曲者にして指揮をしていたレナード・バーンスタインが徹底的に絞りまくっていた映像。

見ながら“そもそも無理筋でね?”と思ったことが記憶に残っている。それほど、英語の歌を歌うのは本当に難しいと思い知ったのだ。

考えてみれば……みるまでもなく、日本人以外の人間が日本語の歌を歌えば奇妙に聴こえることは言うまでもないが。

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