尊話§凡人はリスペクトするのだ [日常]
くさすだけくさして、他の人間をリスペクトしない人がいる。その人が優れた何かを発揮してみせても、難癖をつけて一向に評価しようとしないのだ。
なぜ“リスペクト”することを拒否するような態度をとるのだろう。
そうした人たちの口から出る言葉はほとんど決まっていて「あんなのたいしたことない」とか「自分だってできる」とかいった類で、負けず嫌いとも言えないようなレベルなのである。
そうした人の中には、自分には真似ができないとか、勝ち目がないような状況に対し、くやしさの裏返しとしてそした態度に出る人が少なからずいるようだが、ひょっとしてそれは、あたかも自分が負けたような気持になって、負けましたと素直に認めることができず、そうであるがゆえに“ディスる”ということなのか。
まあ、そうした人に向かって謙虚にリスペクトをと言っても無駄だろうからわざわざそんなことを言うつもりはないけれど、心の中はみじめさで満ち溢れていることだろうと想像することは簡単である。
《日常のトピックス一覧》
なぜ“リスペクト”することを拒否するような態度をとるのだろう。
そうした人たちの口から出る言葉はほとんど決まっていて「あんなのたいしたことない」とか「自分だってできる」とかいった類で、負けず嫌いとも言えないようなレベルなのである。
そうした人の中には、自分には真似ができないとか、勝ち目がないような状況に対し、くやしさの裏返しとしてそした態度に出る人が少なからずいるようだが、ひょっとしてそれは、あたかも自分が負けたような気持になって、負けましたと素直に認めることができず、そうであるがゆえに“ディスる”ということなのか。
まあ、そうした人に向かって謙虚にリスペクトをと言っても無駄だろうからわざわざそんなことを言うつもりはないけれど、心の中はみじめさで満ち溢れていることだろうと想像することは簡単である。
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別話§終活のおはなし~明治生まれの男性~ [終活]
[承前]
今年の3月、明治生まれ最後の男性が亡くなったと知った。詳しい統計資料が存在していないが、存命の明治生まれはすべて女性で800人ほどとのこと。
昭和前半に生まれた人間が古稀を迎えた年に明治の男がいなくなったのだが自分と明治末年生まれの人間とは43歳差でしかなく、自分より43歳年下は、現在27歳で平成生まれということに気がつく。
元号に執着はなく、だからもう平成以降は西暦と同期させることもできずにいるし、昭和、平成、令和と元号3つを生きてきたと言われても感慨らしきものはない。
そして可能性がゼロというわけではないが、大正生まれの全員がこの世からいなくなるところを見届けることができるかどうか……微妙といえば微妙なタイミングのようだ。
[続く]
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今年の3月、明治生まれ最後の男性が亡くなったと知った。詳しい統計資料が存在していないが、存命の明治生まれはすべて女性で800人ほどとのこと。
昭和前半に生まれた人間が古稀を迎えた年に明治の男がいなくなったのだが自分と明治末年生まれの人間とは43歳差でしかなく、自分より43歳年下は、現在27歳で平成生まれということに気がつく。
元号に執着はなく、だからもう平成以降は西暦と同期させることもできずにいるし、昭和、平成、令和と元号3つを生きてきたと言われても感慨らしきものはない。
そして可能性がゼロというわけではないが、大正生まれの全員がこの世からいなくなるところを見届けることができるかどうか……微妙といえば微妙なタイミングのようだ。
[続く]
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