顧話§今日の歴史~いずこへ?~ [鉄道]
1965年9月24日、国鉄が「みどりの窓口」を開設。
およそ60年前にコンピューターによる予約チケット発券システム「みどりの窓口」が営業を開始した。スタートした当初は“マルスM型”という、今は京都鉄道博物館に展示されているシステムが使われていた。
↓これを操作していたのだ~京都鉄道博物館~
すぐ目に入るのは線名と駅名が書かれた厚いノートのようなものをパタパタと探して、発駅と着駅にピンを差し、指定席券や特急券、急行券を発券させていたのだ。
開設した頃は、駅の窓口が開くのは10時、繁忙期には希望の座席を求めて長い列ができることもあったのである。
20世紀の間、数は少なかったがみどりの窓口を利用して、特急券や指定席を買い求めていた。21世紀に入ったら、ぱったりと国内移動をしなくなって、気がついたら、みどりの窓口がどんどん閉鎖されて問題になっていると聞いた。
時代はあっという間にインターネットを使っての予約になってしまっていて窓口を縮小しても問題ないと考えたのであろうが、今度はインバウンドの客が押し寄せて、窓口を維持する必要に迫られたのである。
そして、詳しくはわからないが、国鉄時代はともかくも、民営化された今、JR各社での統一&連携がなされていないとか聞いている。そうした縦割りの影響がどれほど出ているのだろうか。いずれにしても、窓口対応とネットとバランスよく運営してほしい。誰でもネットを操作してチケットが買えるわけではないのだ。
《歴史のトピックス一覧》
およそ60年前にコンピューターによる予約チケット発券システム「みどりの窓口」が営業を開始した。スタートした当初は“マルスM型”という、今は京都鉄道博物館に展示されているシステムが使われていた。
↓これを操作していたのだ~京都鉄道博物館~
すぐ目に入るのは線名と駅名が書かれた厚いノートのようなものをパタパタと探して、発駅と着駅にピンを差し、指定席券や特急券、急行券を発券させていたのだ。
開設した頃は、駅の窓口が開くのは10時、繁忙期には希望の座席を求めて長い列ができることもあったのである。
20世紀の間、数は少なかったがみどりの窓口を利用して、特急券や指定席を買い求めていた。21世紀に入ったら、ぱったりと国内移動をしなくなって、気がついたら、みどりの窓口がどんどん閉鎖されて問題になっていると聞いた。
時代はあっという間にインターネットを使っての予約になってしまっていて窓口を縮小しても問題ないと考えたのであろうが、今度はインバウンドの客が押し寄せて、窓口を維持する必要に迫られたのである。
そして、詳しくはわからないが、国鉄時代はともかくも、民営化された今、JR各社での統一&連携がなされていないとか聞いている。そうした縦割りの影響がどれほど出ているのだろうか。いずれにしても、窓口対応とネットとバランスよく運営してほしい。誰でもネットを操作してチケットが買えるわけではないのだ。
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演話§歌舞伎の年齢~芯の人たち~ [歌舞伎]
本格的に歌舞伎を観始めたのは2001年秋の平成中村座からだから、ようやく観劇歴20年を超えたばかり。まだまだ“ひよっこ”だ。
その頃には“前世代”と言えばいいか……十七世勘三郎、二世松緑、六世歌右衛門といった名優たちは既に亡く、舞台の中心にいたのは1940年代前半に生まれた、菊五郎(七)、白鸚(二)、團十郎(十二)、仁左衛門(十五)、吉右衛門(二)が五十代半ば過ぎて最盛期に入りつつあり、女形には、1950年生まれの玉三郎(五)、そして前世代最後であろう四世雀右衛門が踏ん張っていた。
そして彼らの後には、1950年代半ばに生まれた十八世勘三郎、十世三津五郎が虎視眈々と後を窺っていたのである。
そして2024年の今、團十郎、吉右衛門、勘三郎、三津五郎は亡くなり、菊五郎、白鸚も衰え、仁左衛門が孤軍奮闘しているような状況だ。次世代の芯となるべき役者としては、幸四郎(十)、菊之助(五)、松緑(四)、勘九郎(六)あたりを考えればよく、四十代から五十代に入って脂がのりつつあるはずだ。
問題は女形で、彼らの世代の女形といえば七之助(二)が四十代、彼に続くのが、まだ三十代の時蔵(六)、壱太郎(初)、新悟(初)、米吉(五)で、まだまだ未知数で、あと10年は熟成を待たなくてはならないだろう。
それなりに脇の人材は育ってきていると思われるが、我々にしてみれば、團十郎以下、脂の乗り切った芯の役者の死が及ぼした影響と空白は、あまりにも大きいのだ。
《歌舞伎のトピックス一覧》
その頃には“前世代”と言えばいいか……十七世勘三郎、二世松緑、六世歌右衛門といった名優たちは既に亡く、舞台の中心にいたのは1940年代前半に生まれた、菊五郎(七)、白鸚(二)、團十郎(十二)、仁左衛門(十五)、吉右衛門(二)が五十代半ば過ぎて最盛期に入りつつあり、女形には、1950年生まれの玉三郎(五)、そして前世代最後であろう四世雀右衛門が踏ん張っていた。
そして彼らの後には、1950年代半ばに生まれた十八世勘三郎、十世三津五郎が虎視眈々と後を窺っていたのである。
そして2024年の今、團十郎、吉右衛門、勘三郎、三津五郎は亡くなり、菊五郎、白鸚も衰え、仁左衛門が孤軍奮闘しているような状況だ。次世代の芯となるべき役者としては、幸四郎(十)、菊之助(五)、松緑(四)、勘九郎(六)あたりを考えればよく、四十代から五十代に入って脂がのりつつあるはずだ。
問題は女形で、彼らの世代の女形といえば七之助(二)が四十代、彼に続くのが、まだ三十代の時蔵(六)、壱太郎(初)、新悟(初)、米吉(五)で、まだまだ未知数で、あと10年は熟成を待たなくてはならないだろう。
それなりに脇の人材は育ってきていると思われるが、我々にしてみれば、團十郎以下、脂の乗り切った芯の役者の死が及ぼした影響と空白は、あまりにも大きいのだ。
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