盤話§キーボード入力は [パソコン]
何の気まぐれか、親がタイプライターを買ってくれた。中学3年くらいの頃だっただろうか。それで、教えてくれる人がいたので、少しばかりタイピングの初歩を教えてもらった。
もちろん、きちんとしたポジションに指を置いて、一応はブラインドでタイプできるくらいまでになったが、そこからしばらくは長いブランクが続く。
次にキーボードに触れたのは、宮仕えを始めて数年、オアシスのワープロが仕事をしていたセクションにやって来た。何か仕事に使えそうだという気がしたが、今回は教えてくれる人はおらず、独学でオアシス独特な親指シフトのタイピングを覚えた。
それで10年ちょっと使っていたが、世紀が変わる頃、社員全員にパソコンが支給されることになった。もっとも、それ以前の1994年頃には、自宅でパソコンを動かすようになったので、そのタイミングでローマ字入力を始めて、今に至っている。
英文タイプライターでアルファベットの位置を覚えていたおかげで、さほど戸惑うこともなく、すんなりと入り込めたのはありがたや。
そんなこんなで、すっかりローマ字入力の人になってしまった。おかげで、キーボードのアルファベット右下に表示されている平仮名の配置はさっぱり覚えないままである。
《私事のトピックス一覧》
もちろん、きちんとしたポジションに指を置いて、一応はブラインドでタイプできるくらいまでになったが、そこからしばらくは長いブランクが続く。
次にキーボードに触れたのは、宮仕えを始めて数年、オアシスのワープロが仕事をしていたセクションにやって来た。何か仕事に使えそうだという気がしたが、今回は教えてくれる人はおらず、独学でオアシス独特な親指シフトのタイピングを覚えた。
それで10年ちょっと使っていたが、世紀が変わる頃、社員全員にパソコンが支給されることになった。もっとも、それ以前の1994年頃には、自宅でパソコンを動かすようになったので、そのタイミングでローマ字入力を始めて、今に至っている。
英文タイプライターでアルファベットの位置を覚えていたおかげで、さほど戸惑うこともなく、すんなりと入り込めたのはありがたや。
そんなこんなで、すっかりローマ字入力の人になってしまった。おかげで、キーボードのアルファベット右下に表示されている平仮名の配置はさっぱり覚えないままである。
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灼話§こんなに暑かったっけ? [天気]
18歳、高校3年まで過ごした町中の実家は、築80年だったかの見事なオンボロ借家……便利だけが取り柄なようなものだった。
冬は隙間風が寒かったが、夏は風通しがよく、扇風機だけで夏をしのぐことができたのだ。
とはいえ、半世紀以上前の北関東……日本……いや世界が、それほど暑かったのかといえば、今ほど暑くなどはないと確信を持って言うことができる。
論より証拠……試しに、気象庁のページからデータを引っ張り出してみた。1970年7月と2024年7月、それぞれ一か月の気象状況をご覧あれ。クリックして拡大。
1970年に最高気温が35度を超えた猛暑日は一日もなかったが、2024年は15日もあって、あまつさえこの月の最高気温は39.2度を記録したのだ。もちろん一か月だけ切り取って比較しても、どれほどの意味があるのかはわからないが、七十年生きてきた身にすれば、この20年ほどは記憶の限りでも最も暑いと言うべきだろう。
半世紀前、エアコンを使っている一般家庭などはほとんど存在せず、一部の商店や新しいビルなどでエアコンが稼働していて、そんな建物に入った時には“夢のような涼しさ”を感じたのだ。
51年前、東京で暮らし始めた時、三畳間の下宿からスタートしたが、その時部屋の中にはエアコンはおろか扇風機すらなかった。だが、暑いと感じはしても、何とか過ごすことができた。これが今のような気温状況だったら、おそらくは音を上げていたのではなかろうか。
《天気のトピックス一覧》
冬は隙間風が寒かったが、夏は風通しがよく、扇風機だけで夏をしのぐことができたのだ。
とはいえ、半世紀以上前の北関東……日本……いや世界が、それほど暑かったのかといえば、今ほど暑くなどはないと確信を持って言うことができる。
論より証拠……試しに、気象庁のページからデータを引っ張り出してみた。1970年7月と2024年7月、それぞれ一か月の気象状況をご覧あれ。クリックして拡大。
1970年に最高気温が35度を超えた猛暑日は一日もなかったが、2024年は15日もあって、あまつさえこの月の最高気温は39.2度を記録したのだ。もちろん一か月だけ切り取って比較しても、どれほどの意味があるのかはわからないが、七十年生きてきた身にすれば、この20年ほどは記憶の限りでも最も暑いと言うべきだろう。
半世紀前、エアコンを使っている一般家庭などはほとんど存在せず、一部の商店や新しいビルなどでエアコンが稼働していて、そんな建物に入った時には“夢のような涼しさ”を感じたのだ。
51年前、東京で暮らし始めた時、三畳間の下宿からスタートしたが、その時部屋の中にはエアコンはおろか扇風機すらなかった。だが、暑いと感じはしても、何とか過ごすことができた。これが今のような気温状況だったら、おそらくは音を上げていたのではなかろうか。
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