仮話§本名でお仕事 [日本語]
H野K吾という小説家がいる。今時珍しく、出す本のことごとくがベストセラーという超売れっ子なのである。
H野K吾は本名である。どこにでもあるという名前ではないように思えるが本人はあまり気にしていないのかどうか。
そんな本名にまつわる病院を舞台にした他愛ない笑い話がある。そんな彼が病院に診療に出かけて、待合室で順番待ちをしていると「H野K吾さん、どうぞ!」と呼ばれるということだ。
待合室の患者の中には、何人か彼の読者がいるかもしれないし、読まずとも名前くらい知っている人間はいくらでもいるだろうから、呼ばれた瞬間……「おっ!」という空気が流れるのではないか。もちろん待合室にいる人達が努めて表情を変えることなどしないだろうが。
というわけで、何が言いたいかというと、本名とは別にペンネームで執筆活動をしたほうがいいのではないかと思うのである。もちろん本人がそれでもかまわないと言うなら、とやかく言う話ではないけれど、公衆の面前でよく知られている名前を呼ばれることがあるかもと想定をしていたのだろうか。
追記:なお蛇足ながら、某ビール会社のラグビーチームにはI原S太郎という、某小説家と同姓同名のラガーマンが所属していたりする。
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H野K吾は本名である。どこにでもあるという名前ではないように思えるが本人はあまり気にしていないのかどうか。
そんな本名にまつわる病院を舞台にした他愛ない笑い話がある。そんな彼が病院に診療に出かけて、待合室で順番待ちをしていると「H野K吾さん、どうぞ!」と呼ばれるということだ。
待合室の患者の中には、何人か彼の読者がいるかもしれないし、読まずとも名前くらい知っている人間はいくらでもいるだろうから、呼ばれた瞬間……「おっ!」という空気が流れるのではないか。もちろん待合室にいる人達が努めて表情を変えることなどしないだろうが。
というわけで、何が言いたいかというと、本名とは別にペンネームで執筆活動をしたほうがいいのではないかと思うのである。もちろん本人がそれでもかまわないと言うなら、とやかく言う話ではないけれど、公衆の面前でよく知られている名前を呼ばれることがあるかもと想定をしていたのだろうか。
追記:なお蛇足ながら、某ビール会社のラグビーチームにはI原S太郎という、某小説家と同姓同名のラガーマンが所属していたりする。
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昏話§クラシック喫茶なるものが[下] [クラシック]
[承前]
さて、頻繁に足を運んだのは中野の“クラシック”という喫茶店であった。これがいつ崩れ落ちてもおかしくない、中に入ると素人普請ではないかというような傾いた階段や2階の床……中野駅北口を出て、中野ブロードウェイ手前の路地にあった。

店の中は薄暗いので、うっかり踏み外したらやばいという、迷宮のような店内だが、これが何とも居心地がよく、一度行ったら病みつきになってしまったのだ。
というわけで、お世辞にもきれいとはいえない店内に妙なる楽曲が流れて、そんな中でコーヒーを啜るのだが、その当時コーヒー1杯150円は、貧乏学生にはありがたかった。そしてミルクピッチャーとして使われていたのは赤いマヨネーズの蓋、お冷やが入っているのはワンカップ大関のそれだった。
入り口を入ってすぐ、小さい黒板が置かれていて、客がリクエストを書き込むようになっていた。黒板のスペースはすぐ一杯になってしまうから、我慢強く待つのである。
当然ながら2時間くらいはあっという間に過ぎてしまい、ようやく自分がリクエストした音楽が流れだす。そしてコーヒーをもう1杯。
クラシックに通っていたのは2年かそんなものでしかない。大学帰りのついでの寄り道で、行けたのは月に一回もあったかどうか……画家でもあった店主は1989年に逝去。家族が後を継いだが、その家族も亡くなり、クラシックが閉店したのは2005年のことである。
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さて、頻繁に足を運んだのは中野の“クラシック”という喫茶店であった。これがいつ崩れ落ちてもおかしくない、中に入ると素人普請ではないかというような傾いた階段や2階の床……中野駅北口を出て、中野ブロードウェイ手前の路地にあった。

店の中は薄暗いので、うっかり踏み外したらやばいという、迷宮のような店内だが、これが何とも居心地がよく、一度行ったら病みつきになってしまったのだ。
というわけで、お世辞にもきれいとはいえない店内に妙なる楽曲が流れて、そんな中でコーヒーを啜るのだが、その当時コーヒー1杯150円は、貧乏学生にはありがたかった。そしてミルクピッチャーとして使われていたのは赤いマヨネーズの蓋、お冷やが入っているのはワンカップ大関のそれだった。
入り口を入ってすぐ、小さい黒板が置かれていて、客がリクエストを書き込むようになっていた。黒板のスペースはすぐ一杯になってしまうから、我慢強く待つのである。
当然ながら2時間くらいはあっという間に過ぎてしまい、ようやく自分がリクエストした音楽が流れだす。そしてコーヒーをもう1杯。
クラシックに通っていたのは2年かそんなものでしかない。大学帰りのついでの寄り道で、行けたのは月に一回もあったかどうか……画家でもあった店主は1989年に逝去。家族が後を継いだが、その家族も亡くなり、クラシックが閉店したのは2005年のことである。
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