甘話§蜂蜜~少しだけ~ [蜂蜜]
朝は、もう長いことバナナミルク、トースト1枚、コーヒーと変わらぬラインアップで過ごしている。同じものを食べて飲むルーチンだが、飽きることはない。
合わせて、小さじにほんの少しだけの蜂蜜を舐めている。これももう、20年は続けているルーチンではなかったか。

そしてその蜂蜜だが、スーパーなどで売られている色の薄いアレではない。ちょっとだけ贅沢をして、いい蜂蜜を買っている。それもせっかくの蜂蜜なのだからと、癖の強そうな蜂蜜を選んで買っている。
このところのお気に入りは、栗と蕎麦の蜂蜜で、どちらも色は褐色というか黒に近く、味も癖があって濃厚なことこのうえない。そんな癖のある蜂蜜だが、オーストリアアルプス土産の山チーズに合わせても、上々吉な味わいをもたらしてくれた。
それに比べると、昔々に実家で買っていたレンゲ蜂蜜とやらなどは、ほとんど“砂糖”でしかなく、自然がもたらしてくれる濃厚な味わいからは程遠いものがある。
《日常のトピックス一覧》
合わせて、小さじにほんの少しだけの蜂蜜を舐めている。これももう、20年は続けているルーチンではなかったか。
そしてその蜂蜜だが、スーパーなどで売られている色の薄いアレではない。ちょっとだけ贅沢をして、いい蜂蜜を買っている。それもせっかくの蜂蜜なのだからと、癖の強そうな蜂蜜を選んで買っている。
このところのお気に入りは、栗と蕎麦の蜂蜜で、どちらも色は褐色というか黒に近く、味も癖があって濃厚なことこのうえない。そんな癖のある蜂蜜だが、オーストリアアルプス土産の山チーズに合わせても、上々吉な味わいをもたらしてくれた。
それに比べると、昔々に実家で買っていたレンゲ蜂蜜とやらなどは、ほとんど“砂糖”でしかなく、自然がもたらしてくれる濃厚な味わいからは程遠いものがある。
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仏話§牧神の午後への前奏曲~ドビュッシー~ [ドビュッシー]
美しい音楽である。ドビュッシーが作曲したこの音楽を初めて聴いたのはいつのことだったか……記憶をたどると微かに高校生の頃だったと思われる。フランス語は“Prélude à l'après-midi d'un faune”となる。
バッハからリヒャルト・シュトラウスへと連なっていったドイツ音楽の構造とはまったく違う。何とも捉えようのない音楽に惹かれたのだが、それは、曲のイメージが、尾瀬とぴったり重なりあってしまったからだ

冬の積雪期は別にして、尾瀬にいると季節を問わず、頭の中で勝手に牧神の午後への前奏曲が鳴り出すのである。それはもう上の写真を見ればたちどころに理解できると思うが、どうやら水と林と草原という合わせ技で、そこに牧神が現れるのではないかという段取りである。
ドビュッシーと尾瀬の関わり合いについて、もう一曲紹介しておこうと思うが、それはフルート独奏のための『シリンクス(シランクス)Syrinx』というわずか36小節の音楽だが、個人的には“牧神”と表裏一体を為している作品と考えていて、牧神とシリンクスとは切り離すことのできない関係なのだ。
かつては考えられなかったことだが、この御時世ならタブレットに音楽を仕込んで現地で聴くことも可能になった。だが、自分としては音楽を流すより自分の頭の中で自然に鳴ってくれるほうが好ましい。
《クラシックのトピックス一覧》
バッハからリヒャルト・シュトラウスへと連なっていったドイツ音楽の構造とはまったく違う。何とも捉えようのない音楽に惹かれたのだが、それは、曲のイメージが、尾瀬とぴったり重なりあってしまったからだ

冬の積雪期は別にして、尾瀬にいると季節を問わず、頭の中で勝手に牧神の午後への前奏曲が鳴り出すのである。それはもう上の写真を見ればたちどころに理解できると思うが、どうやら水と林と草原という合わせ技で、そこに牧神が現れるのではないかという段取りである。
ドビュッシーと尾瀬の関わり合いについて、もう一曲紹介しておこうと思うが、それはフルート独奏のための『シリンクス(シランクス)Syrinx』というわずか36小節の音楽だが、個人的には“牧神”と表裏一体を為している作品と考えていて、牧神とシリンクスとは切り離すことのできない関係なのだ。
かつては考えられなかったことだが、この御時世ならタブレットに音楽を仕込んで現地で聴くことも可能になった。だが、自分としては音楽を流すより自分の頭の中で自然に鳴ってくれるほうが好ましい。
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